椎葉厳島神社 厳島神社を分社した神社で、那須大八郎が平家一族のために造らせたと伝わっている
平家一門が壇ノ浦で滅び、世の中がいくぶん静かになったこ頃、「平家の残党が日向の山奥にひそんで、お家再興を企てている」という噂が鎌倉に伝わってきた。
源頼朝はさっそく、那須与一に追討を命じる。
病気療養中の与一は、「私に代わって、お前が平家の残党を討て」と、弟の大八郎に申しつけて、那須家伝来の天国(あまくに)の太刀をさずけた。
兄にも劣らぬ弓の名手の大八郎は、屈強の家来を率いて日向に向かう。
大八郎は行軍中、「平家の者らは、いつまで世間を騒がせる気か」と腹を立てていたが、肥後から国境を超えて日向の山奥にはいると、人が住んでいるとはとても思えない。
馬も通らぬ険しい道が続き、聞こえるものは山鳥のさえずりと木々のささやきと谷川のせせらぎのみ。
都で贅沢三昧の暮らしをしていた人々が、今は、人跡の絶えた山中で侘しい生活をしているのかと思うと、「哀れ」という思いが込み上げてきた。
「あの辺が、平家の落人たちの住まいでございます」
土地の案内人の指差す方向に目をやると、雨露をしのぐだけの小屋がいくつか見える。
「年寄りと女子供は見逃せ。男でも手向かいせぬ者は討つな」
大八郎は家来たちに念をおした。
……
○「いかに宗高、あの扇のまん中射て、平家に見物せさせよかし」。
「どうだ宗高、扇のまん中を射通して、平家に見物させてやれ」。
○与一、畏まつて申しけるは、「射おほせ候はんことは不定(ふぢやう)に候ふ。射損じ候ひなば、長き御方(みかた)の御疵(おんきず)にて候ふべし。一定(いちぢやう)仕(つかまつ)らんずる仁に仰せつけらるべうや候ふらん」と申す。
与一は畏まって、「射通せるかどうか、分かりません。もし射そこないましたら、長く味方の御恥となりましょう。確実射通せる人に仰せつけられるのがようございましょう」と申し上げた。
○判官大きに怒つて、「鎌倉を立つて西国へおもむかん殿ばらは、義経が命を背くべからず。少しも子細を存ぜん人は、とうとうこれより帰らるべし」とぞのたまひける。
義経は激怒して、「鎌倉を立って西国へ向かう侍どもは、義経の命令に背いてはならない。少しでも不服がある者は、とっとと帰るがよい」とおっしゃった。
…… 原文に忠実な訳ではありません ……
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