源氏軍の進攻経路 (一の谷の戦い&屋島の戦い)
一の谷の戦いで大きな犠牲を払って敗北した平家一門は、海上を四国の屋島に逃れた。
だが、すぐに義経が迫ってくる。
義経は、戦術において天才的な発想のひらめきがあり、行動が迅速だ。
しかも、いつも自分が真っ先に突き進む。
鎌倉を一歩も動かず、戦略を練っている異母兄の頼朝とは好対照である。
ふたりの兄弟の間に亀裂がはいったのは、この屋島攻めの時からだという。
詳細は略すが、義経と軍目付(いくさめつけ)の梶原景時が作戦の立て方で反目して以来、景時がことあるごとに義経の悪口を頼朝に告げているからだ。
那須与一の子孫だという那須義定著『天の弓那須与一』によると、与一も、景時の讒言によって頼朝の勘気をこうむり、越後に配流されている。
軍目付の景時と対立した結果、義経は、激しい嵐の中を直属のわずかな部下だけを率いて四国に向かった。
…… ……
○さるほどに、阿波・讃岐に平家を背いて、源氏を待ちける者ども、あそこの峰、ここの洞(ほら)より、十四、五騎、二十騎、うち連れ参りければ、、判官ほどなく三百騎にぞなりにける。
そのうち、阿波と讃岐で平家に背いて源氏の到着を待っていた者らが、あそこの峰やここの洞穴から14、5騎、20騎と連れだってきたので、義経の軍勢はほどなく三百余騎となった。
○「今日は日暮れぬ。勝負を決すべからず」とて、引き退くところに、沖の方より尋常に飾つたる小舟一艘、汀(みぎは)へ向いてこぎ寄せけり。
「今日は日が暮れてしまった。決戦は明日だ」と軍を引いていると、沖のほうから立派に飾った小舟が一艘、海岸の方へ漕ぎ寄せてきた。
○磯へ七、八段ばかりになりしかば、舟を横さまになす。
そして、磯まで七、八段(約77~88m)ばかりのところで、舟を横向きにした。
…… 原文に忠実な訳ではありません ……
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平家物語の群像 那須与一①沖より尋常に飾つたる小舟一艘
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