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Channel: 吉備路残照△古代ロマン
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平家物語の群像 敦盛⑥戦の陣へ笛持つ人はよもあらじ

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$吉備路残照△古代ロマン-敦盛塚  敦盛塚 神戸市・須磨浦公園

直実は心ならずも敦盛を討ったことで人の命のはかなさ、人の世の無常を感じて出家したと一部には思われているようだが、それはいささか違うようだ。

直接の原因ではなく、遠因といったほうが近い。

もちろん、高度成長期の猛烈サラリーマンばりに一直線に生きてきた猪武者に、「ものの哀れ」を知るという人生の彩りを与えたのは確かだろう。

だが、出家の直接の機縁はもっと現実的で泥臭い。

頼朝の自分に対する扱いへの不満と、叔父(あるいは伯父)久下直光との土地争いにおける敗北が直接の原因のようだ。

土地争いの裁定に負けると、直実は証拠書類を投げ捨てて座を立って、刀を抜いて髻(もとどり;頭髪)を切り、私宅にも帰らず逐電してしまった。(『吾妻鏡』)

この時の敗北が現世への失望となり諦観となり、敦盛を討ったときの無常感につながったのではないだろうか。

「罪の軽重をいはず、ただ、念仏だにも申せば往生するなり、別の様なし」という法然の言葉を聞いて、切腹するか、手か足を一本切り落とそうと思っていた直実は、さめざめと泣いたという。(井川定慶集「法然上人伝全集」)。

直実は法然の浄土門に深く帰依するが、源平争乱期における法然の存在感の大きさには驚くべきものがある。

          ……       ……

○「あな、いとほし、この暁城の内にて管弦したまひつるは、この人々にておはしけり。当時味方に東国の勢何万騎かあるらめども、戦の陣へ笛持つ人はよもあらじ。上臈(じやうらふ)はなほもやさしかりけり」とて、

「実に、いたわしい。明け方、城内で笛を吹いていたのはこの方々だったのだ。味方には東国武士が何万騎もいるだろうが、戦場へ笛を持ってくる者などおるまい。高い身分の人はやはり優雅なものだ」といって、

九郎御曹司の見参に入れたりければ、これを見る人、涙を流さずといふことなし。
 
義経公のお目にかけたところ、これを見た居並ぶ人々人はみんな涙を流した。

○後に聞けば、修理大夫経盛(しゆりのだいぶつねもり)の子息に大夫(たいふ)敦盛とて、生年(しやうねん)十七にぞなられける。

あとで聞くと、平経盛の子息で敦盛といい、17歳であった。

     …… 原文に忠実な訳ではありません ……


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