「無官の太夫敦盛 熊谷次郎直実組討の図」 歌川豊国画 神戸市立博物館所蔵
敦盛が愛用した名笛『小枝(さえだ)』は、祖父の忠盛が鳥羽院からたまわり、忠盛が次男の経盛に与え、それから敦盛に伝わっている。
一の谷の殺伐とした陣中に流れる敦盛の美しい笛の音色は、殺し合いの明け暮れにささくれだった武士たちの気持ちを慰めてもいたようだ。
源平を問わず、感受性の豊かな武士たちの中には涙する者もいたであろう。
それにしてもなぜ、味方の軍船に向かって馬を泳がせているところを坂東のむくつけき荒武者に呼び止められるや、素直に引き返したのだろうか。
殺されに行くようなものだ。
……
○「そもそもいかなる人にてましまし候ふぞ。名のらせたまへ。助けまゐらせむ」と申せば、「汝は誰そ」と問ひたまふ。
直実が、「どなたでしょうか。お名乗り下さい。お助けしましょう」と言うと、「お前は誰か」とお尋ねになる。
○「物その者で候はねども、武蔵の国の住人、熊谷次郎直実」と名のりまうす。
直実は、「物の数に入る者ではありませんが、武蔵野国の熊谷次郎直実と申します」と名乗る。
○「さては、汝に会うては名のるまじいぞ。汝がためにはよい敵ぞ。名のらずとも首を取つて人に問へ。見知らうずるぞ」とぞのたまひける。
「それでは名乗るまい。お前の手柄になるぞ。首を取って人に尋ねよ。見知っている者があろう」とおっしゃった。
○熊谷、「あつぱれ、大将軍や。この人一人討ちたてまつたりとも、負くべき戦に勝つべきやうもなし。また討ちたてまつらずとも、勝つべき戦に負くることもよもあらじ。小次郎が薄手負うたるをだに、直実は心苦しうこそ思ふに、この殿の父、討たれぬと聞いて、いかばかりか嘆きたまはむずらむ。あはれ助けたてまつらばや」と思ひて、
直実は、「立派な大将軍だ。この人を討ち取ろうと助けようと、戦況に変わりはない。小次郎が軽傷を負っても自分は辛かっのに、この殿の父上はわが子が討たれたと聞いたら、どんなに嘆かれるだろう。お助けしたいものだ」と思って、
○後ろをきつと見ければ、土肥・梶原五十騎ばかりで続いたり。
振り返ると、土肥実平と梶原景時が五十騎ほどでやってくる。
…… 原文に忠実な訳ではありません ……
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