平敦盛『源平合戦図屏風』より
敦盛(あつもり)は、清盛の実弟経盛(つねもり)の三男。
織田信長が好んで舞ったと伝わる能『敦盛』の、敦盛である。
敦盛の長兄に、経正(つねまさ)という琵琶の名手がいる。
彼らは、武家平氏で初めて昇殿を許されて貴族の仲間入りを果たした祖父・忠盛から数えて三代目。
もはや、武士というより公家というイメージの方が強い。
ただ、平家一門の者にしても貴族社会にはいって初めて風雅の道を知ったわけではない。
忠盛と忠度がいい例だろう。
個人の資質として、立派な歌人であった。
一門ではないが、北面の武士として清盛と親交のあった西行というスターもいる。
三代目の経正と敦盛は、生まれながらの公達である。
経正が琵琶の名手なら、敦盛は笛の名人。
…… ……
○戦破れにければ、熊谷次郎直実、「平家の公達、助け船に乗らむと、みぎはの方へぞ落ちたまふらむ。あつぱれ、よからう大将軍に組まばや」とて、磯の方へ歩まするところに、
平家が敗れたので、直実が、「貴公子たちが助け船に乗ろうと波打ち際の方に逃げなさるだろう。あぁ、立派な大将軍と組みたいものだ」と、海岸の方へ馬を歩ませていくと、
○練貫(ねりぬき)に鶴縫うたる直垂(ひたたれ)に、萌黄匂(もよぎにほひ)の鎧着て、鍬形(くはがた)打つたる甲の緒締め、黄金作りの太刀をはき、切斑(きりふ)の矢負ひ、滋籐(しげどう)の弓持つて、連銭葦毛(れんぜんあしげ)なる馬に、金覆輪(きんぷくりん)の鞍置いて乗つたる武者一騎、
練貫に鶴の縫い取りをした直垂の上に萌黄匂の鎧を着て、鍬形をつけた甲の緒を締め、黄金(こがね)作りの太刀を腰につけ、切斑の矢を背負い、滋籐の弓を持ち、連銭葦毛の馬に金覆輪の鞍を置いて乗った武者が一騎、
(上図の、敦盛の武者姿の説明です)
○沖なる船に目をかけて、海へざつとうち入れ、五、六段ばかり泳がせたるを、
沖の船を目指して海へ乗り入れ、五、六段泳がせたのを、
○熊谷、「あれは大将軍とこそ見まゐらせ候(さうら)へ。まさなうも敵に後ろを見せさせたまふものかな。返させたまへ」と扇を上げて招きければ、招かれて取つて返す。
熊谷は、「大将軍とお見受けします。敵に後ろを見せるのは卑怯ですぞ。お戻り下さい」と、扇を上げて招くと、武者は引き返してきた。
…… 原文に忠実な訳ではありません ……
「織田信長」敦盛タペストリー「人間五十年~」
¥2,310
楽天
【送料無料】 CD/伝統音楽/観世流謡曲名曲撰 (六)敦盛/賀茂/COCJ-33050
¥3,000
楽天
青葉の笛―敦盛 (お能の絵本シリーズ (第3巻))/片山 清司
¥1,890
Amazon.co.jp
↧
平家物語の群像 敦盛①敵に後ろを見せさせたまふものかな
↧