旅宿(りょしゅく)の花
一の谷の戦いで討たれた平家の主だった武将は十人、と伝えられている。
越前三位通盛(みちもり)、その弟蔵人大夫業盛(なりもり)、
薩摩守忠度(ただのり)、武蔵守知章(ともあきら)、備中守師盛(もろもり)、尾張守清定(きよさだ)、淡路守清房(きよふさ)、
修理大夫経盛の嫡子皇后宮亮経正(つねまさ)、その弟若狭守経俊(つねとし)、同じく大夫敦盛(あつもり)。
清盛亡きあと、一門の事実上のリーダーであった父・知盛(とももり)の身代わりとなって討ち死にした智章。
熊谷次郎直実がのちに出家する一因ともなった、健気な振る舞いが哀れをさそう敦盛。
ともに、まだ十代半ばである。
彼らのことを思うと、昔の日本人には凛とした気品があったような気がしてならない。
こうした犠牲を払って、平家は四国の屋島に退いた。
…… ……
○よい首討ち奉つたりとは思へども、名をば誰とも知らざりけるが、箙に結付けられたる文(ふみ)を取つて見ければ、旅宿の花と云ふ題にて、歌をぞ一首詠まれたる、
身分の高い敵を討ちとったが、名前か分からないので箙(えびら:矢を入れて右腰につける武具)に結んである書付を解いてみると、旅宿の花という題で歌を一首詠んでいた。
○行き暮れて 木(こ)の下陰(したかげ)を 宿とせば
花や今宵の 主(あるじ)ならまし
日が暮れて、桜の木の下を今宵の宿とするならば、桜の花が主人としてもてなしてくれるだろう
○忠度と書かれける故にこそ、薩摩の守とは知りてげれ。
その書付に、忠度と書かれていたので薩摩守とわかった。
○やがて、頸をば太刀の鋒(さき)に貫き、高く差上げ、大音聲を揚げて、此の日來(ひごろ)日本國に鬼神と聞えさせ給ひたる薩摩の守殿をば、武藏の國の住人、岡部の六彌太忠純が討奉つたるぞやと、名のつたりければ、
六野太は、忠度の首を太刀の先に貫き、高く差し上げ大声で、「鬼神といわれる薩摩守殿を、お討ち申したぞ」と名乗ったので、
○敵も御方もこれを聞いて、あないとほし、武藝にも歌道にも勝れて、よき大將軍にておはしつる人をとて、皆鎧の袖をぞ濡しける。
「ああ、お気の毒に。武芸にも歌道にも秀でておられた方を。立派な大将軍を」と、敵も味方も鎧の袖を涙で濡らした。
…… 原文に忠実な訳ではありません ……
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