熊野育の大力、究竟の早業
『平家物語』によると、坂東武者を中心とする源氏の武将たちは、戦場で雄叫びを上げて敵と戦うだけの無骨者である。
平家には、武芸だけではなく、詩歌管弦などのみやびな世界に心を遊ばせる風流人が少なくない。
盛者必衰の理 (ことわり) 通りに滅亡していった平家。
その大波に流されて散っていった一門の人々。
『平家』は彼らに与えられた現世でのはかない運命に、文学や芸術そして西方浄土という、永遠の命を吹き込もうとしたのだろうか。
…… ……
○薩摩の守は聞ゆる熊野育の大力、究竟の早業にておはしければ、六彌太を摑(つか)うで、憎い奴が、御方ぞと云はば云はせよかしとて、六彌太を捕つて引寄せ、馬の上にて二刀(ふたかたな)、落付く所で一刀、三刀までこそ突かれけれ。
忠度は「憎い奴め。味方だと言ったのだから、味方だと思えばよかったのだ」と言って、熊野育ちの怪力と早わざで、刀を抜くと六野太を馬の上で2度、馬から落ちたところで1度突いた。
○二刀は鎧の上なれば通らず、一刀は内甲へ突入れられたりけれども、薄手なれば死なざりけるを、取つて押へて頸搔かんとし給ふ處に、六彌太が童、殿馳(おくればせ)に馳せ來て、急ぎ馬より飛んで下り、打刀を拔いて、薩摩の守の右の肘(かひな)を、臂(ひぢ)のもとよりふつと打落す。
1度目と2度目は鎧の上で通らず、3度目は内兜を突いたが浅すぎた。取り押さえて首を掻こうとしていると、六野太の家来がかけつけ、忠度の右腕を肘のもとから斬り落とした。
○薩摩の守、今はかうとや思はれけん、暫し退(の)け、最期の十念唱へんとて、六彌太を摑(つか)うで、弓長(ゆんだけ)ばかりぞ投げ退けらる。
忠度はもはや最期と思ったのか、「しばらく、下がっておれ。十念(南無阿弥陀仏と十遍唱えること)を唱える」といって、六野太をつかんで弓の長さ(七尺五寸。約2.2m)ほど投げ捨てた。
○其の後西に向ひ光明遍照十方世界、念佛衆生攝取不捨と宣ひも果てねば、六彌太、後より寄り薩摩の守の頸を取る。
忠度が西方に向かって十念を唱え、「光明遍照十方世界、念仏衆生攝取不捨(仏の光明はあまねく十方世界を照らし、念仏を唱える衆生を救いとってお捨てにならないという意味)」と言い終わると、六野太が後ろから忠度の首を討った。
…… 原文に忠実な訳ではありません ……
◇岡辺六野太忠純は、埼玉県深谷市萱場の清心寺に忠度の遺髪を持ち帰って葬ったという。供養墓が残っている。
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平家物語の群像 忠度⑥御方ぞと云はば云はせよかし
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