第二十八帖 野分
光源氏36 紫の上28 蛍兵部卿宮 玉鬘24 内大臣39
秋好中宮27 夕霧15 明石の君:27 柏木20
明石の姫君8 髭黒右大将 花散里22
雲井の雁 弁少将 近江の君
弘徽殿女御
野分 のわき/のわけ
秋の台風の古い呼び名
籬垣 ませがき
竹や柴などを粗く編んでつくった低い垣
小諸宿本陣の格子
長野県小諸市 北国街道沿
本陣 江戸期、大名など貴人用に宿場に設置された旅宿。
PS.島崎藤村の生家は
木曽路の「馬籠宿」で本陣、庄屋、問屋を兼ねていた。
「木曽路は山の中であった」〈夜明け前〉の冒頭
秋好中宮の【秋の御殿】の庭先には、例年になく秋の花々が咲き競い、花々のあいだを縫うように趣のある籬垣が巡っている。
【秋の御殿】の庭は自然の野辺を模して造られていて、花々に宿る朝夕の露はまるで光り輝く玉のようである。
庭の築山を覆うように春の可憐な花々が咲き誇っていた紫の上の【春の御殿】の景色が、やや色褪せて思い出されるほどだ。
「春秋の争い」は万葉の昔から行われていたが、総じて「秋」に軍配を上げる人が「春」よりも多かった。
ここ六条院では、【春の御殿】の花園の美しさを褒め称えていた人が、今度は、掌を返すように心変わりして、【秋の御殿】の花壇を称賛する様は時勢におもねる世情そのままである。
秋好中宮は庭の眺めがとてもお気に入りで、里住みがずいぶん長くなっている。
秋の花々もそろそろ盛りが終わる頃かなと思い始めた頃のある日、野分が激しく吹き荒れ、にわかに空がかき雲った。
強風で秋の草花がことごとく薙ぎ倒されてしまったので、草花にそれほど愛着をもっていない人々さえ胸を痛めた。
まして、秋好中宮の胸の内はいかばかりか。
日が暮れるにつれて、夕闇の空を次々に千切れながら飛んでゆく雲があまりにも不気味なので格子などを下ろさせた。
中宮は草花のことが気が気でない。
紫の上の【春の御殿】では、庭先の植え込みの手入れをさせていたとき、突然、激しい野分に見舞われた。
令和最初の斎王代が御禊の儀 「葵祭」を前に
令和元年五月四日 京都・下鴨神社
二川宿本陣資料館 豊橋市 【愛知探検街歩き】
JET STREAM ~Mr Lonely~反戦歌でもありました 訳詞付き
Song by Bobby Vinton