二十五帖 蛍
光源氏.36 紫の上28 蛍兵部卿宮 花散里22 内大臣39
秋好中宮27 夕霧15 明石の君:27 柏木20
玉鬘 24 髭黒右大将 明石の姫君8
「石山寺の紫式部」 三代目歌川広重画
八月十五夜の月が琵琶湖or瀬田川に映っているのを眺めて
いた紫式部の脳裏に、ひとつの物語の構想が浮かんだ。
すぐに手近にあった『大般若経』の用紙に、
「今宵は十五夜なりけりと思し出でて、殿上の御遊恋ひしく…」
と、流謫の貴人が都での生活を回想する場面を記した。
この書き出しは、光源氏が須磨に下っていたある十五夜に、
都での管絃の遊びを思い出す場面として「須磨」の帖に活かされる。
光源氏 玉鬘 内大臣 故夕顔
太政大臣という名誉職的な地位にある源氏は、宮廷の仕事は内大臣に任せ、日々ゆったりと心穏やかに暮らしているようにみえた。
六条院と二条院で暮らしている女君たちも、源氏の支援を受けて、それぞれの身分に応じて何の不安もなく静かに生活を楽しんでいる。
一方、玉鬘は源氏の求愛に悩まされ困りはてていた。
毎日の暮らしを楽しむ余裕などなく、心身ともに疲れ果てている。
むかし、九州の唐津に住んでいた頃、、ぶしつけに求婚してくる荒くれ男の大夫の監たいふのげんを嫌悪したときと比べてはいけないだろう。
だが養父の源氏からしつこく言い寄られることは、玉鬘の率直な思いとしては負けず劣らず「不快」なことである。
しかも、そのことは誰にも相談できないうえに、けっして口外してはならないことだから余計に始末が悪い。
悲しいときや辛いときは、筑紫から帰京したときに母親の夕顔がすでに亡くなっていたことが繰り返しくりかえし思い出された。
*母親(夕顔)さえ生きていたら---。
源氏自身、さすがに深入りすべきではないと自らを戒めてはいる。
しかし暇を見つけると、ついつい紫の上の目を盗んで『西の対』へ出向き、口説き文句を並べて玉鬘をひどく困惑させた。
近くに女房たちの気配がない時には、切羽つまったようすで想いを訴えるので、玉鬘はつらくて胸のつぶれる思いがしたこと度々である。
しかし、源氏の態度は今風にいえばセクハラとパワハラの最たるもので、玉鬘としてはあからさまに拒絶することはできない。
口説き文句が少しも意識に留まらないフリを装うしかなかった。
蛍兵部卿宮は、あいかわらず熱心に求婚の手紙を寄越してくる。
直近の宮の手紙には、
「お返事をお待ちしているうちにとうとう*五月雨になってしまいました」との苦情とともに、
「おそば近くに上がれたら、少しは気持ちが晴れるのですが--」。
*母親(夕顔)さえ生きていたら
源氏の恋愛遍歴のキーワードは、「身代わり」である。
「永遠の女性」の藤壺宮は亡き母・桐壺更衣の身代わりであり、
「理想の妻」である紫の上は藤壺宮の代わりだ。
同じように、玉鬘は今なお源氏が忘れられない夕顔の身代わりであ
ろう。
桐壺更衣→藤壺宮→紫の上がそうであるように、玉鬘が夕顔と似て
いることが度々指摘される。
*五月雨
当時、五月は結婚を避ける風習があった。
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