二十四帖 胡蝶
光源氏.太政大臣36 紫の上28 蛍兵部卿宮 花散里22
秋好中宮27 夕霧中将15 明石の君:27
玉鬘 24 髭黒右大将 明石の姫君8
源氏の間
紫式部が、『源氏物語』」を執筆したと伝えられる部屋。
紫式部が石山寺に参篭した八月十五日の
名月の夜、「須磨」と「明石」の帖の着想を得たとされる。
光源氏 玉鬘 内大臣 夕顔
玉鬘はそれなりに年齢を重ねているが、男と女のことに関してはまったくの初心である。
当時の貴族社会では、14~15歳にもなると普通に結婚している。
当時、結婚にあたっての心構えやもろもろの知識を教えるのは女房たちの務めだったという。
ちなみに、源氏は14歳のとき、二つ年上の故葵の上と結ばれている。
これまで添い寝以上の男女の接し方があると聞いたことがなかっ24歳の玉鬘は、男と女が添い寝したら子供ができるかも知れないと心配したのかもしれない。
当時の社会常識では、24歳は婚期をとうに過ぎている。
女房たちが、男女の秘密を教えていないわけだ。
幼いころに母親(夕顔)を亡くして、長年筑紫へ下っていたことなど、数奇な人生を送ってきたからであろうか。
あの件いらい、玉鬘はだれにも相談できず、ひとり、自分の身の上をはかなんで思い悩んでいた。
女房たちは、ここ数日うち沈んでいる玉鬘を病気だろうかと心配した。
乳母の娘の兵部が、
「源氏の君の日頃のお心づかいは本当に行き届いていて、もったいないほどでございす。
実のお父上(内大臣)でも、源氏の君ほど親身になってお世話をしてくださるかどうか--」
などと見当違いの話をするので、玉鬘は心外かつ不愉快であった。
そしてますます源氏が疎ましくなり、自分が情けなくなった。
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翌朝早く、西の対の玉鬘のもとに源氏から手紙が届いた。
いわゆる「*後朝の文」である。
拒絶された相手にも「後朝の文」を送ったのだろうか?
玉鬘は気分が悪くて臥せていたが、女房たちがしきりに、
「お返事を早く」
と催促するので、仕方なく手紙に目を通した。
*後朝の文 きぬぎぬのふみ
逢瀬の明けた朝、帰宅した男が女に贈る手紙。
当時は掛け布団ではなく、男女が衣きぬを脱いで一つの衣の中に
寝ていた。
夜が明けると、男は衣を身につけて帰ってゆく。
指原莉乃、宮脇咲良、矢吹奈子
上位3人の人気者がいっぺんにいなくなるHKT48の運命や如何。
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