二十三帖 初音
光源氏.太政大臣36 紫の上28 花散里22
明石の君:27 夕霧中将15 玉鬘 24 明石の姫君:8
宇治平等院と蓮
『鳳凰堂』と『浄土式庭園』は
藤原頼通が、「西方極楽浄土」と教主
である「阿弥陀如来」を*観想するために建てた。
空蝉
末摘花
空蝉と末摘花は「【六条院】ではなく、
光源氏の前の住居【二条院】の『東院』に住んでいる。
二人がどういう経緯で
【二条東院】に住むようになったかの説明はない。
源氏物語 ・第三帖「空蝉」 ・第六帖「末摘花」
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『春の御殿』以外の『御殿』に住んでいる女君たちには、大勢の客人たちが呼び交わす声や馬の鳴き声や牛車のきしむ音などが、ひっそりとした部屋に築地や木立を隔てて聞こえてくるのみだ。
年の改った華やぎを目の当たりにできないことが、何とももどかしい。
*まるで極楽浄土に住んでいながら、まだ蓮の花が開く前の蕾の中に閉じ込められているかのようだ。
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【六条院】でも、『春の御殿』以外の『御殿』で暮らしている女君たちは、正月の華やぎに取り残されたような疎外感にさいなまれている。
まして、『春の御殿』から遠く離れた【二条東院】に住んでいる一人暮らしの末摘花と空蝉の孤立感と寂寥感はいかばかりであろう。
いうまでもなく、ふたりの女君のあいだに交流はない。
正月の晴れがましい気分とは無縁の孤独な生活を強いられている。
だからといって、三が日に訪れなかった薄情な源氏をうらむ気はない。
救いは、彼女たちに人生の目的あるいは年来の趣味があることだ。
それぞれふと寂しさに襲われることもあるが、彼女たちなりに充実した日々を送っている。。
末摘花は若いころから続けている和歌を詠むことや、古今の和歌の研究に日々余念がない。
一方、尼僧である空蝉は日がな一日、熱心に仏道修行に励んでいる。
源氏のおかげで生活の基盤がしっかりしているから出来ることだ。
*観想
特定の対象に心を集中させること。
*まるで極楽浄土に住んでいながら---
極楽往生はしているが、階級が低いためになかなか「仏の姿」を
見たり「説法」を聴くことが出来ないでいる。