平家貞 菊池容斎(江戸時代)
内裏の小庭には、貴族らが忠盛を闇討ちする計画を伝え聞いた郎等(ろうどう:家臣)の平家貞が、腹巻姿(下図。現在の腹巻を想像しないで下さい)の武装で、大だんびら(幅の広い刀)を脇に差したまま、畏まって控えていた。
家貞はもともと平家の一族だが、今は郎等として仕えている。
勝手に庭に入り込んでいる家貞に気づいた内裏の役人たちが、「狼藉者、さがれ!!」と命じるが頑として動かない。
「主人の忠盛が今夜、闇討ちにされると聞いたので、退去するわけにはゆかぬ!!」
殿上では忠盛が刀を抜いてキラリと光らせ、庭には武装した家貞が控えているので、貴族らには手も足も出ない。
闇討ちを諦めた。
その腹いせに、鳥羽上皇の御前で忠盛が舞いはじめると、陰湿な侮辱の言葉を浴びせる。
2番目の、忠盛追い落としの策略だ。
忠盛を怒らせて実力行使をさそい、殿上から追放しようという算段だろう。
上皇の前で、よもや刀を抜くことはあるまい、と踏んだ。
「伊勢平氏は すがめなりけり」
「伊勢瓶子(へいじ)は 素瓶(すがめ)なりけり」
平家は桓武天皇の末裔だが、伊勢の国司として久しく伊勢地方に土着。
地下(じげ)階級(昇殿を許されない階級)として、貴族社会から遠ざかっている。
当時の人々は、平家を「伊勢平氏」と呼びならわしていた。
それでは、なぜ、「伊勢平氏は すがめなりけり」が、忠盛を侮辱することになるのか。
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腹巻姿
お侍さんも、よかったら
平家物語の群像 平忠盛④侮辱
平家物語の群像 平忠盛⑤腐りきった性根
瓶子(へいし へいじ 平氏)
貴族たちは、舞いを舞っている忠盛に対して、
「伊勢へいじは すがめなりけり」と囃し立てるが、
なぜ、そのことが忠盛を侮辱することになるのか。
頭の体操のようだが、表の意味はこうだ。
伊勢地方では当時、酢を入れる粗末な瓶子(へいし:酒器=徳利)が生産されていて、伊勢の酢甕(すがめ)は有名だった。
すなはち、伊勢地方では、徳利に酢を入れていた。
この意味で、「伊勢へいじは ~」に漢字をあてると
「伊勢瓶子は 酢甕なりけり」となり、「伊勢産の徳利は、酢甕である」という単なる事実をいっているに過ぎない。
よって、忠盛を侮辱していることにはならない。
だが、裏の意味があった。
平成の我々には予備知識を要しないので、裏の意味のほうが分かりやすい。
伊勢へいじとは、言うまでもなく忠盛のこと。
すがめは、やぶにらみ。
漢字を当てると、「伊勢平氏は すがめ(やぶにらみ)なりけり」となる。
平家年来の宿願がかなって忠盛が初昇殿したハレの日、しかも上皇の前で舞いを舞っている最中である。
貴族らは卑怯にも、「平忠盛はやぶにらみ。平忠盛はやぶにらみ」と囃し立てて、からかい辱めたのだ。
当時の貴族たちの性根が、どれほど腐り切っていたことか。
同時に、忠盛の器量の見せ所でもあった。
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平家物語の群像 平忠盛⑥忠盛と家貞
琵琶法師
闇討ちで忠盛を亡き者にしようとして頓挫した貴族らは、次に卑怯きわまる方法で忠盛を辱め、実力行使を誘おうとした。
場所柄、刀に手を掛けることはあるまいと踏んだ上で、何人かが殴られる位のことは覚悟したのだろう。
囃し続けた。
「平忠盛はやぶにらみ、平忠盛はやぶにらみ」
この陰湿な卑しい心性は、そのまま貴族社会の終焉を示しているのではないだろうか。
一方、もし忠盛が怒り心頭に発して彼らに手を出せば、ただちに貴族社会から追放されるだろう。
さすがに、なす術がない。
舞い終えると、忠盛は宴会が終わる前に無念の思いを残して御殿を退出するが、貴族たちの見ている前で、女官を呼び出して、先ほど彼らに見せつけた刀を預けた。
あとで分かることだが、この行為には驚くほどの忠盛の聡明さと深謀遠慮が隠されている。
新聞や週刊誌風に書くと、「今の政治家に欲しい」ところだ。
庭に降りると、郎等の家貞が不安げな面持ちで待ちかねていた。
「殿、如何でございました?」
忠盛は、貴族らから受けた屈辱をどれほど家貞にぶちまけたかったことか。
だが、家貞の直情径行の性格を知る忠盛は、それらの言葉をごくりと呑み込んだ。
「格別のことはない」
もし口にすれば、家貞は抜刀して貴族たち目がけて斬り込むだろう。
このあたりの緊迫感にあふれた、また主従の間にかよう情の簡潔な描写、平家物語でも白眉の名文である。
五節豊明の節会と宴会が終わると、貴族たちは刀を帯びて参内した忠盛の行為と、家臣を小庭に控えさせたことは前代未聞だと、忠盛を罷免するよう鳥羽上皇に訴えた。
3番目の策謀である。
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平家物語の群像 平忠盛⑦武人にして歌人
明石の浦
貴族らの訴えを聞いて驚いた鳥羽上皇、忠盛を呼んで問いただした。
忠盛は、明快に申し開きをする。
「家臣が庭に控えていたことは存じませんでした。悪巧みをする人々がいることを耳にした家臣が、私の身を案じて秘かに来ていたのであれば、それは私にはどうすることもできません。それでも罪がありますのなら、家臣を差し出しましょう」。
さりげなく、貴族らの陰謀を織り込んでいる。
「次に刀のことですが、女官に預けてあります。刀をお調べの上で、処置をお願い致します」
刀を持ってこさせて吟味すると、刀身は銀箔を押し付けただけの木刀。
上皇は、あとで訴えられることを想定して木刀を用意していた周到さは見事であると賛嘆した。
家貞の行動についても、「武家の慣わしであろう」と罪には問わなかった。
上皇は、かえって忠盛の洞察力と計画性をほめたたえ、忠盛は面目を施した。
また、忠盛は無骨なだけの武人ではなく、風流を解する歌人でもある。
任地の備前の国から都にのぼってきたとき、上皇に、「明石の浦はどんな様子であったか」と尋られたときに詠んだ和歌。
○有明の 月も明石の 浦風に 波ばかりこそ よると見えしか
有明の月の光も明るい明石の浦は、潮風に吹かれて波ばかりが 〇 打ち寄せ、そこだけ夜に見えたことです
上皇は感心して、金葉集に収録した。(完) 次回から平清盛
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平家物語の群像 平清盛①保元・平治の乱
平清盛 六波羅蜜寺蔵
平忠盛は、仁平3(1153)年1月、58歳で死去。
嫡男の清盛が、跡を継いだ。
3年後に保元の乱、さらに3年後に平治の乱。
二つの乱を経て、清盛は権力の階段を急速に昇ってゆく。
保元の乱とは、平安末期の保元元(1156)年7月に皇位継承問題や摂関家の内紛によって、朝廷が後白河天皇方(藤原忠通・平清盛・源義朝ら)と、崇徳上皇方(藤原頼長・平忠正・源為義・源為朝ら)に二分して、武力衝突に至った政変である。
後白河天皇方の、あっけない勝利に終わった。
ちなみに、平忠正は忠盛の弟。
叔父である忠正を斬った清盛を、郎等の家貞が、こっぴどく叱責したという。
平治の乱は、保元の乱から3年後の平治元(1159)年12月に、後白河上皇の近臣間の暗闘が、源平武士団の対立に結びついて勃発した。
清盛が熊野詣で京を離れている間に、藤原信頼や源義朝らが起こしたクーデターが発端。
後白河上皇と二条天皇は幽閉され、藤原通憲(信西入道)は逃亡するが数日後に自害、さらし首にされた。
だが、熊野から急いで引き返してきた清盛によって天皇は内裏を脱出、六波羅邸に迎えられる。
後白河上皇も、仁和寺に退避した。
追い込まれた義朝は、軍勢を率いて六波羅に攻め込むが、激闘の末に清盛に敗れる。
なお、義朝の嫡子・源頼朝は助命されて伊豆に流され、20年後の決起旗揚げまで流人生活を送る。
両乱において、軍事的な中心勢力であった清盛は、目覚ましく官位を上げていく。
たちまち中納言、大納言になり内大臣になると、左右の大臣を経ずして太政大臣になる。
一門も多くが出世して、大臣や大将を平家が独占しそうな勢いであった。
娘の徳子(建礼門院)は高倉天皇の中宮となり、安徳天皇を産んだ。
清盛は、外戚(天皇の外祖父)となる。
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平家物語の群像 平清盛②5人の弟たち
教盛に追われ八艘飛びの義経
日本神話にしてもギリシャ・ローマ神話にしても、神々の名前とそれぞれの関係性、あるいは地名などの固有名詞を覚えるのは大変である。
長ったらしいうえに意味のありそうにもない名称の場合、うんざりして匙を投げたくなる。
というより、自分の記憶力に失望して何度投げたことやら。
だが、ある程度の知識がないと、読んだり見たりするときに少しも面白くないのも事実である。
神話や伝説に比べれば、平家物語の主要な登場人物と人物相互の関係、地名や官位などを記憶するのは楽だろう。
平清盛の5人の弟たちを並べてみる。
○次男 家盛
忠盛と正室・藤原宗子(池禅尼…清盛に源頼朝の助命を嘆願)の長男。
鳥羽法皇の熊野詣に随行した帰途、26歳で病死。
○三男 経盛(つねもり 敦盛の父)
母は、源信雅の娘。保元元年に安芸守。常陸、伊賀、若狭の国守を歴任。壇ノ浦の戦いでは重鎮として奮戦し、弟の教盛と手を取り合って入水。
詩歌・管弦に長じ、歌集『経盛集』がある。
○四男 教盛(のりもり)
母は、藤原家隆の娘。叔父の平時忠と憲仁親王(高倉天皇)の立太子を謀って解官。高倉が即位すると正三位、蔵人頭、参議、権中納言、中納言。
源義経に壇ノ浦で八艘飛びをさせた剛の者。
○五男 頼盛(よりもり 池大納言)
母は、池禅尼。清盛と反目。源義仲入京阻止のため、宗盛より山科へ向うよう命を受けるが断る。平家滅亡後、母の恩に報いた頼朝により厚遇。
文治元年、病のため東大寺で出家、法名は重蓮。
○六男 忠度(ただのり 薩摩守)
母は、藤原為忠の娘。熊野で生れ育ったとも。都落ちの際、和歌の師・藤原俊成に歌を託したという話は有名。一ノ谷の戦いで、岡部忠澄に討たれた。
家集『忠度集』があるほか、『千載集』『新勅撰集』に採録。
平忠盛が多情だったのか当時は普通のことだったのか。
次男の家盛と五男の頼盛だけが同腹(池禅尼)で、他の兄弟はみんなそれぞれ母親が異なる。
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平家物語の群像 平清盛③ふたりの父 エピソード
白河法皇
京都・祇園の八坂神社辺りに、白河上皇と平忠盛の逸話が残っている。
5月20日過ぎの、じめじめとした雨の降る宵の口、上皇が忠盛らを供にお忍びで寵愛する祇園女御のもとへ通っていた。
女御の住まい近くの御堂の脇に、何やら怪しげなものが光っている。
頭からは銀の針がたくさん突き出て、右手には槌を、左手には光る物を持っている。
「鬼が出た!」、上皇と供の者らは尻込みした。
一行の中に忠盛を見つけた上皇は、「あの鬼を射殺してみよ」。
忠盛は鬼などではなくどうせ狐か狸だろう、むやみに殺生はしたくない、生け捕りにしようと近付いた。
きらりと光り、ふっと消え、また光る怪しげな物に、走り寄って組み付いた。
「これ、何をなさる」と、苦しげな声がする。
60歳余りの人物が、御堂の灯篭に灯を入れようとして、片手に油瓶を、もう一方に灯明を持ち、雨除けに麦わらを広げて頭に被っていたのが、灯に揺らいで鬼に見えたのだ。
上皇は、「射殺していたら、大変なことであった。忠盛の振る舞いは、誠に思慮深い。武士とは心優しいものだ」と忠盛の冷静沈着さをほめ、褒美に祇園女御を与えた。
その時、祇園女御はすでに上皇の子を身籠っていた。
「生まれた子が姫なら、私の子にする。男なら、おまえの子として立派な武士に育てよ」
平清盛、落胤説だ。
一方、滋賀県の胡宮神社の古文書によると、清盛の母は祇園女御ではなく、祇園女御の妹と白河上皇との間に産まれた子ということになっている。
「祇園女御の妹説」を採る歴史家は少なくない。
白河上皇は平忠盛に「褒美に祇園女御を与えた」が、上皇にはこういうことが度々あったようだ。
もらう方も貰う方だが、何より祇園女御(当時の女性たち)は、ご褒美になることをどう思っていたのだろうか。
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平家物語の群像 平清盛④ふたりの父 忠盛と白河
揚羽蝶 平氏の代表的な家紋
○平忠盛 (平正盛の子 平忠盛①~⑦参照 中井貴一)
白河・鳥羽両院政期の武力的支柱(北面の武士)で、伊勢守・備前守・播磨守などを歴任。
牛馬の管理や御幸の警護を行う武力組織の中核である、院御厩(いんのみうまや)の預になる。
日宋貿易の海上交通ルートである瀬戸内海に海賊が跋扈し、国司の力だけでは追討が困難になる。
鎮圧するために平家の棟梁である忠盛が追討使に任命され、海賊追討に成功、降伏した海賊を家臣に組み入れた。
得長寿院造営の功により、清涼殿・殿上の間への昇殿を許される。
受領(国守)としての収入と日宋貿易により巨万の富を蓄えて、平氏繁栄の基礎を築いた。
笛を吹き、琵琶を弾き、舞いにすぐれ、和歌が勅撰集『金葉集』に採録されるとともに、家集『平忠盛集』を持つほどの趣味人であり歌人である。
○白河法皇 (後三条天皇の第1皇子 伊東四朗)
延久4(1072)年、貞仁(さだひと)親王、白河天皇となる。
応徳3(1086)年11月、息子の善仁(よしひと)親王に天皇の位をゆずり、8歳の堀川天皇が即位。
白河は上皇となり、院庁で院政を始めた。
43年におよぶ院政が始まり、摂政や関白として権力を振るっていた藤原氏が衰え始める。
院庁の警備をするために北面の武士をおくが、北面の武士となった源氏や平氏、特に平氏が力を持つようになる。
中宮・賢子との仲は良く妻妾は多くないが、賢子の死後は身分を問わず多数の女性と関係をもち、それらの女性を次々に寵臣に与えた。
崇徳天皇や平清盛が、「白河法皇の御落胤」という噂が当時から広く信じられた所以だ。
清盛の実父は白河だから、清盛の位階の上がり方が非常に早かったとする有力な説がある。
男色の傾向もあり、近臣として権勢を誇った藤原宗通、あるいは北面武士の藤原盛重や平為俊らは寵童(少年愛)上がり。
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平家物語の群像 平清盛⑤妻たちと娘たち
平時子(二位の尼)と安徳天皇 山口県下関市
○先妻 明子(高階基章の娘 重盛と基盛の母 加藤あい)
○後妻 時子(二位の尼 深田恭子)
中流貴族・平時信(公家平氏。清盛の流れは武門平氏)の娘。
平滋子(建春門院 後白河譲位後の妃 高倉天皇の生母 成海璃子)は異母妹。
平時忠(「平家にあらずんば人にあらず」 森田剛)は同母弟。
平清盛(松山ムケンイチ)に嫁し、宗盛・知盛・重衡・徳子(建礼門院)を産む。
仁安3(1168)年、清盛が病を得て出家した際、ともに出家。
承安1(1171)年、徳子が高倉天皇に入内して従二位を贈られ、二位の尼と呼ばれる。
治承4(1180)年、徳子が皇子(安徳天皇)を出産し、天皇の外祖母となる。
一門とともに都落ちし、壇ノ浦で安徳を抱いて入水。
○長女(修理太夫藤原信隆の妻)
歌や絵に優れた才女で、仏教に帰依、毎日『法華経』を読経していたと伝わる。
○二女(左大臣藤原兼雅の妻)
絵にすぐれ、紫宸殿の障子にも描いたと伝えられている。
○三女 徳子(建礼門院 高倉天皇の中宮 安徳の生母)→後日、独立記事に
壇ノ浦で安徳と共に海に投じたが、源氏に救われる。
剃髪して真如覚と号して、洛北大原の寂光院に住んだ。
○四女 盛子(もりこ/せいし 摂政藤原基実の妻)
11歳のとき基実が死去、摂関家の遺領を全て相続した。
盛子の死による摂関家領の帰属問題は、後白河(松田翔太)と清盛の全面衝突を惹起する。
○五女 完子(寬子 さだこ/かんし 近衛基通の妻 衣通姫)
基通は基実と先妻の間の息子だから、盛子の義理の子。
別名を「衣通姫(そとおりひめ)」と呼ばれたほど肌が美しく、和歌に優れる。
平家の都落ちの時は、安徳天皇のお供をして西下した。
○六女(冷泉大納言藤原隆房の妻)
類まれな美貌に恵まれた箏琴の名手。
○七女 御子姫君(みこのひめぎみ)
厳島内侍(厳島神社の巫女)との間に生まれ、後白河法皇から女御待遇を受ける。
母の厳島内侍が、『平家納経』を発願した。
○八女 廊御方(ろうのおんかた 母は常盤御前 義経の妹)
平治の乱で戦った義朝(玉木宏)の愛妾、常磐御前(武井咲)に生ませた娘。
壇ノ浦で捕らわれ、異父兄の源義経に護送されて都に戻る。
姉婿の藤原兼雅に女房として仕え、一女を産む。
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平家物語の群像 平清盛⑥息子たちの虚実
平重衡 安福寺所蔵
『平家物語』は、文字通り「物語」である。
すぐれた文学作品であり、歴史的事実を客観的になぞる「史書」ではない。
「物語」を面白くする効果をねらって、時には嘘をつく。
嘘があるからといって、作品としての価値が下がるわけでは無論ない。
ここでは、息子たちを『平家』の内容に即して並べ、個々人を独立させて記述するときに、「嘘」の部分を指摘したい。
○嫡男 重盛 (母は明子 小松内府 勝村政信)
「善人」の重盛が、「悪人」の父・清盛をいさめるという構図になっている。
温厚篤実で学識があり、武人としても優れた理想的人物。
保元・平治の乱で功をたて、従二位の内大臣まで進み、「小松内府」と呼ばれた。
源頼朝が伊豆で挙兵する前に亡くなり、後継者と思い定めていた清盛を嘆かせた。
○二男 基盛 (母は明子 右近将監高階基章の娘) 早世
○三男 宗盛 (時子の産んだ長男 鶴見辰吾)
清盛没後、器量不足をいわれたが家督を継ぎ平家の棟梁となる。
官位昇進は早く、内大臣、従一位にまで昇った。
源義仲の入京を前に、一門とともに安徳天皇を奉じて西走。
壇ノ浦で入水したが、息子の清宗を探しているうちに捕らえられる。
敗軍の将として源頼朝の前に引き出されたとき、卑屈な態度に終始して助命を乞い、非難・嘲笑された。
京都に送還される途中、義経の命を受けた橘公長により、近江国篠原宿で斬首された。
○四男 知盛 (時子の次男 新中納言 阿部寛)
「入道相国最愛の息子」『玉葉』九条兼実。
源頼政を宇治川の合戦で滅ぼし、源行家を美濃に破るなど軍事面での中心的存在。
宗盛が父から貴族的な資質を受け継ぎ、知盛は武人的資質を受け継いだ。
捕虜を無用に殺すことは避ける温情の武将。
壇ノ浦では、一門の者たちが入水を果たすのを見守って、最後に入水。
「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」
○五男 重衡 (時子の三男 三位中将 細川茂樹)
尾張守、左馬頭、中宮亮、蔵人頭、左近権中将などを歴任、「三位中将」と呼ばれた。
治承4年12月には、知盛と反平氏勢力の拠点である南都攻撃の総大将として東大寺・興福寺を焼く。
翌3月には、尾張の墨俣川の合戦で源行家を破った。
都落ちの後も、備中水島の合戦で、足利義清らの軍を撃破するなど活躍した。
一ノ谷の戦いで生け捕りにされ、京中を引き回された後、鎌倉へ下向。
奈良僧徒の請で南都に送られ、木津川で斬首。
美貌の貴公子は人柄もよく、女性に大変な人気があった。
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平家物語の群像 平清盛⑦嫡孫:維盛と資盛 甥:敦盛
平敦盛 『源平合戦図屏風』
平家の子弟を「公達」といい、源氏の子弟を「御曹司」と呼ぶ。
「公達(きんだち)」のほうは官位を持つゆえの言い習わしゆえ今に残っていようはずもないが、「御曹司」は平成の世にもなお使われている。
主に名門の子弟や資産家の息子を指すようだ。
後世、徳川家光は将軍就任に際して、「自分は生まれながらの将軍である」と居並ぶ大名らを前に高らかに宣言したが、維盛と資盛は生まれながらの公達であった。
曽祖父の平忠盛が昇殿を許されたとき、旧貴族らから猛反発を受けて闇討ちされようとしたことを思えば、正に隔世の感。
○維盛 (これもり 重盛の嫡男 母は官女 桜梅少将)
「光源氏の再来」と称された、まばゆいほどの美貌の貴公子。
19歳、後白河法皇50歳の祝賀で、烏帽子に桜の枝と梅の枝を挿して「青海波」を舞い、その美しさから「桜梅少将」と呼ばれるようになった。
富士川の戦いと倶利伽羅峠の戦いに大将軍として出陣するが、壊滅的な敗北を喫する。
都落ちの際、戦線を離脱した。
○資盛 (すけもり 重盛の次男 母は藤原親盛の娘)
和歌に優れ「新勅撰和歌集」「風雅和歌集」に採録されている。
叔母の建礼門院徳子に仕える歌人の建礼門院右京大夫と恋仲であった。
13歳のとき、資盛が関わった殿下乗合事件は、『平家物語』に「これこそ、平家の悪行のはじまり」として描かれている。
後に、織田信長は資盛の末裔を主張して、天下布武の拠り所(源平交代思想)とした。
○敦盛 (あつもり 成経の末子)
一ノ谷の戦いで、平家は義経軍に奇襲されて敗走。
敦盛が退却船に向かおうとしていると、源氏方の熊谷直実が通りがかり一騎討ちを挑んだ。
敦盛は応じたが、百戦錬磨の直実に叶うはずもなく、ほどなく捕らえられる。
直実の息子・直家と同じ十代半ば。
敦盛を討ったことが直実を苦しめ、それも一因となって出家。
法然上人に帰依した。
織田信長の好んだ『人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を享け滅せぬもののあるべきか』は幸若舞の『敦盛』の一節。
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平家物語の群像 平清盛⑧鹿ヶ谷の陰謀
俊寛僧都忠誠之碑 鹿ヶ谷山荘跡に立つ石碑
平清盛という政治的野心をもった武士が日本史上に登場した意味は、それまでの藤原氏中心の貴族政治から武家による政治へと、歴史の歯車を大きく回転させたことにあろう。
受領として蓄えた財力に貴族にはない武力が加われば、貴族社会などひとたまりもない。
ただ、初めての武家による政権は中途半端であった。
武家でありながら、当然の如くに貴族化していく。
天下の権を握るために、貴族社会という既成の枠組みの中で官位を上げていったのだ。
このことは、次に政権を担った源頼朝の例を見れば明らかであろう。
頼朝は、貴族社会とは切れた独自の武家政権である幕府を、鎌倉という遠隔の地に開いた。
官位を上げようという発想は、そもそもない。
平家が貴族化していったことは、武家による政権のおこぼれを少なからず期待していた各地の武士団の反感を買った。
同時に、既得権を奪われた貴族らも反発した。
平時忠が、「平家にあらずんば人にあらず」とこの世の春を謳歌したということは、平氏に恨みを抱いている不満分子がたくさんいたということの裏返しである。
安元3(1177)年6月、平家を打倒しようと、不満分子が鹿ヶ谷の俊寛僧都の山荘に集結した。
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平家物語の群像 鹿ヶ谷の陰謀①伏線
殿下乗合事件
平家一門がこの世の春を謳歌していたころ、一門の勝手気ままな振る舞いに比例するかのように、世間では反平家の機運が高まっていた。
主たる要因が3つある。
第1に、嘉応2(1170)年7月の殿下乗合事件
『平家物語』によると、摂政・藤原基房の車列が平資盛の一行と鉢合わせしたとき、資盛が下馬の礼をとらないことに基房の従者が腹を立て、資盛を馬上から引き摺り下ろして辱めを加えた。
これを聞いた資盛の祖父の清盛は激怒して、新帝元服加冠の儀のため参内する基房の車列を300騎の兵で襲撃。
随身たちを馬から引き摺り下ろして髻(もとどり)を切り落としたり、牛車の簾(すだれ)を引き剥がしたりなどの報復を行った。
基房は、参内(さんだい)できず面目を失う。
これを聞いた重盛は、資盛を叱責して伊勢で謹慎させる。
人々は平家の悪行を怒る一方で、重盛をほめたたえた。
第2に、承安元(1171)年の徳子の入内
清盛の娘・徳子は後白河法皇の猶子(養女)になり、高倉天皇に入内(じゅだい)。
翌年、中宮になった。
平氏は成り上がりであり、中宮になれるき家柄ではない。
徳子の入内は、貴族たちの反感を深めた。
第3に、治承元(1177)年の成親ではなく重盛と宗盛の昇進
内大臣で左大将(常設の武官職の最高位)の藤原師長(もろなが)が左大将を辞任。
何人もの貴族が後継を希望するが、とりわけ藤原成親(なりちか)が後白河法皇の寵臣であることを頼みに、強引にその地位に就こうとしていた。
ところが、左大将には右大将の平重盛が昇進、右大将には弟の宗盛が就いた。
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平家物語の群像 鹿ヶ谷の陰謀②主なメンバー
藤原成親五輪の塔 吉備の中山 岡山市
左大将の位を義弟の重盛に奪われた成親は憤り、このままでは朝廷の高位高官はすべて平家一門に独占されてしまうのではないかと危機感を抱き、平家打倒の急先鋒になった。
平氏政権転覆を企てる密議に加わった面々
○藤原成親 (新大納言)
鳥羽法皇と後白河法皇の院近臣。
妹は平重盛の妻、娘は維盛の妻、子の成経の妻は教盛の娘。
平氏一門と姻戚関係を重ねている。
鹿ケ谷の陰謀の主犯格で、事件後、備前に配流され殺害。
○西光 (俗名は藤原師光 後白河第一の近臣)
もとは阿波国の在庁官人。
平治の乱で殺害された乳兄弟の信西に仕え、その後出家して西光と名乗り後白河の近臣となる。
事件後、五条西朱雀で斬首。
○藤原師高 (加賀守師高)
西光の子で検非違使尉から出世し、安元元(1175)年、加賀守。
比叡山の末寺白山涌泉寺と紛争を起こし、比叡山の僧兵が神輿を担いで強訴する騒ぎになる。
事件後、六条河原で誅される。
○俊寛僧都 (小説や戯曲などの文学作品が多い)
後白河の側近で法勝寺執行。
鹿ケ谷の謀議の際、山荘を提供したといわれる。
事件後、のちに赦免された藤原成経と平康頼とともに鬼界ヶ島に流され、ひとり同地で没する。
○多田行綱 (多田源氏の嫡流 後白河院の北面武士)
軍事面のリーダーを望まれるが、平氏の強勢と院近臣らの醜態から平氏討伐の無謀さを悟り、清盛に密告。
鹿ケ谷の陰謀以降平氏に属していたが、木曾義仲の快進撃と呼応、摂津・河内両国で挙兵し平家に反旗を翻した。
○後白河法皇 (日本国第一の大天狗……源頼朝)
天皇在位は3年だが、五代34年にわたって院政を行う。
大衆的な芸能を愛し、今様『梁塵秘抄』を選定。
南都北嶺の仏教勢力には厳しく当たったが、造寺・造仏に力をそそいだ。
二条天皇や清盛・木曾義仲との対立により幾度となく幽閉、院政停止に追い込まれるが、その度に復権を果たした。
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平家物語の群像 鹿ヶ谷の陰謀③謀議のあとの酒宴
猿楽 (金春座)
平家打倒のはかりごとを終えた酒宴の席のこと。
酔っぱらった成親が立ちあがったはずみで、後白河法皇の前に置いてあった瓶子(へいし、へいじ 酒徳利)を、袖に引っ掛けて倒してしまった。
後白河法皇が、「これは、一体どうしたことだ」と問うと、
成親は、「瓶子(平氏)が倒れました」。
法皇が、成親の当意即妙のシャレに気をよくして、「みなの者、猿楽(さるがく こっけいな物まねや言葉芸)をやろう」。
芸達者の平康頼が、「あまりの瓶子(平氏)の多さに酔っぱらってしまいました」というと、
俊寛が、「どうしたらよろしいかな」と尋ねる。
すると西光が二人のやりとりをひきとって、「首を取ればよろしかろう」。
瓶子(酒徳利)の首を、もぎ取ってしまった。
あまりの浅ましさに、その場に居合わせた静賢法印(平治の乱で殺された信西の子)は、呆れてものがいえなかった。
こんな体たらくの陰謀家たちに平家を倒せるはずがないとみた多田行綱は、清盛の西八条邸にひそかに赴いて鹿ケ谷の謀議を密告する。
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平家物語の群像 鹿ヶ谷の陰謀④捕縛そして処罰
小松内大臣平重盛公墳墓 「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」『日本外史』頼山陽
鹿ヶ谷の陰謀に加わって処分された顔ぶれ
・藤原成親 備前児島に流刑。のち備前と備中の国境にある有木の別所という山寺で出家。その後、殺される。
清盛から、「相談したいことがある」という連絡があり、出かけたところを捕えられた。
「平治の乱で殺されるところを重盛のとりなしで助かったのではないか。なぜ一門を滅ぼそうと考えた。恩を知る者を人という、恩を知らぬは畜生という」
殺そうとしたところに、重盛が訪れたため危うく死を免れた。
・西光法師 斬殺
西光、「お前の父親の忠盛は、もとは昇殿さえ許されなかったんだぞ。成り上がり者め」
清盛、「西光はすぐには殺すでない。賀茂の河原へ引っ立てて、ゆっくり首をはねよ」
・藤原師高 父親(西光)に連座して斬殺
・俊寛僧都 鬼界ヶ島に配流、没す
・藤原成経 成親の長子 鬼界ヶ島に流刑 のち赦免
・平 康頼 鬼界ヶ島に流罪 のち赦免
・多田行綱 安芸国(広島)に流罪 のち平家に属するが木曽義仲に乗り換える
・中原基兼 奥州に流罪 のち藤原秀衡に仕える
・平 章綱 隠岐に流罪
・平 資行 美作国(岡山)に流罪
・惟宗信房 流罪
・後白河法皇
清盛は院の近臣らを処罰したものの怒りは収まらず、甲冑に身をまとって一門を招集。
黒幕の法皇を軟禁しようとした。
そこへ現れたのが又しても正義の味方・嫡男重盛、泣いて父を戒める。
「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」頼山陽『日本外史』
「法皇を軟禁する前に、私を殺して下さい」
重盛にからきし弱い清盛は、承服せざるを得なかった。
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平家物語の群像 鬼界ヶ島①俊寛という文字はない
俊寛「乗せてゆけー、連れてゆけ~」
鹿ヶ谷の陰謀発覚により、俊寛僧都と藤原成経と平康頼の3名は鬼界ヶ島へ流された。
『平家物語』によると、
鬼界ヶ島は舟はめったに通わず、人影はまばら。
住民は色黒で、話す言葉は理解できない。
男は烏帽子(えぼし)をかぶらず、女は髪を下げない。
農夫はおらず穀物の類はなく、衣料品もない。
島の中ほどに高い山があり、いつも火を噴いている。
硫黄がたくさんあるので、この島を硫黄島ともいう。
3人は島に粗末な小屋を建てた。
都に戻れる日を胸に、木の芽を摘んだり海辺で貝を拾ったりして命をつないでいた。
ある日、待ちに待った使者がやってきた。
丹左衛門尉基康という。
「都から流された成経殿と康頼殿はおられますか~」
大声を張りあげたが、成経と康頼はいつものように熊野詣でに出かけている。
熊野権現を信仰していた二人は、島を歩き回って熊野に似た地形を本物の熊野に見立てていた。
滝を見つけると那智大社、峰があると、あれは本宮これは新宮などといいながら九十九王子までを決め、熊野詣での真似をして帰京の日を祈願していたのだ。
俊寛だけが浜辺にいる、
「何事ですか。私が都から流された俊寛です」と名乗ると、基康は清盛からの赦免状を取り出して、俊寛に渡した。
「陰謀の罪は遠流の刑に服したことで赦す。帰京の準備をせよ。中宮のお産祈願のために特赦を行う。鬼界が島の流人、少将成経と康頼法師は赦免する」と書かれている。
俊寛という文字は、どこにもない。
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平家物語の群像 鬼界ヶ島②泣き叫ぶ俊寛
足摺をして泣き叫ぶ俊寛
礼紙(らいし:包み紙)に書いてあるに違いないと思って礼紙を見るが、やはり「俊寛」の文字はない。
そんなはずはない、何かの間違いだろう。
赦免状の初めから終わりへ、終わりから初めへと何度もなんども読みなおすが、二人とあって三人とは書かれていない。
そうしているうちに、成経と康頼が熊野詣でから戻ってきた。
成経が赦免状を読んでも、康頼が目を通しても「俊寛」の二文字はない。
夢かと思おうとしても、これは紛れもない現実だ。
「三人は同罪で、流刑地も同じ。どうして二人は呼び戻され、私一人だけが残されるのか。清盛殿が忘れなさったか。書記の誤りか」
いよいよ船を出そうとすると、俊寛は船に乗っては降り、降りては乗った。
何度もなんども乗り降りを繰り返すが、やはり諦めきれない。
ともづなを解いて船を海へ押し出すと、今度は綱にしがみついた。
海水に腰までつかり、脇までつかり、やっと背が立つところまで引かれていった。
背が立たなくなると、今度は船にしがみついた。
「あなた方、俊寛を捨てるのか。これほど薄情とは思わなかった。せめて九州の地まで乗せて行ってくれ」
必死の形相で、訴える。
だが、使者の基康は、「清盛様の御命令です。お気の毒ですが、お乗せするわけにはいきません」
しがみついている俊寛の左右の手を、船から引き離した。
俊寛は波打ち際に倒れ伏し、幼児が母親を慕って泣きじゃくるように足をばたばたさせて、わめき叫んだ。
「お~い、乗せて行ってくれ~、連れて行ってくれ~」
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