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蓬生⑧対面

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荒廃した常陸宮邸に末摘花を訪ねる光源氏(左)
惟光が「馬の鞭」で草むらの露を払っている



白鵬露払い(先導役)を務める魁聖。太刀持ち(警護役)は旭天鵬


 唐櫃からびつ
京都・豊国神社宝物館所蔵 経巻や衣服などを収めた。


直衣指貫 公家の平常服

立烏帽子 たてえぼし
  頭部の峰を高く立てたままにして折り曲げない
    ・烏帽子 
烏色のかぶりもの。
檜扇 ひおうぎ  ヒノキの薄板20〜30枚をつづり合わせた板扇
直衣 のうし  皇族や公卿(上流貴族)の平常服
指貫 さしぬき  を締めて括れるように紐を通した袴

    ◇   ◆   ◇   ◆   ◇   ◆   ◇

「こんなに蓬の生い茂った邸で、姫宮はどんな気持ちでお過ごしになっておられるのやら。
もっと早く、お訪ねするべきであった」

「草むらが露にびっしょり濡れております。わたしが馬の鞭をもって露払いを務めましょう」

源氏が牛車から下りると、惟光が馬の鞭をふって源氏の足元の草葉の露を払いながら先導した。

雨の雫が、秋の時雨のように降りかかる。

指貫の裾は、びしょ濡れになった。


以前もほとんど原形をとどめていなかった中門は、跡形もない。





末摘花は何年ものあいだ首を長くして待ちつづけた源氏の訪れが飛び上がるほどに嬉しかった。

だが、それ以上に恥ずかしいのか、源氏の来訪を告げられてもモジモジするばかりでいっかな動こうとしない。

もちろん内気な性格によるところが大きいが、それだけではなかった。

源氏と対面するとき身につける衣服の持ち合わせがないのだ。

形が崩れたり、色が褪せたりしている着物ばかりである。


そのとき、老女房が思い出した。

叔母上(太宰大弐)にいただいた「お召し物」がございます」

が他界して以来、不愉快なことばかりを口にする叔母が大嫌いだったので、末摘花は見向きもしなかったが、女房たちがちゃんと唐櫃に入れておいたのだ。





よれよれになった御簾ごしに末摘花と対面して、源氏

「ご無沙汰いたしております。
須磨や明石でも、姫宮はどうしておられれるだろうかといつも心にかけておりました。
つい先ほど、見覚えのある松に藤の花が咲き掛かっているのを見て、通り過ぎることもできず、立ち寄ろうと思った次第でございます」

昔もたびたびそうであったように、返事がない。







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すっとぼけた小嶋陽菜、いいなぁー。
後輩たち、「小嶋さん、(ご自分の卒業コンサート中に) どこ行くんですか」
小嶋陽菜、「時間がないの。今から ちょっと ミラノ行ってくる~」











文藝春秋 2017年 03 月号 [雑誌]/文藝春秋

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『安倍昭恵「家庭内野党」の真実』なる興味深い記事があります。

こちらもかなり神がかり的な昭恵夫人によると、
晋三さんは就寝前に【祝詞】を唱えるそうです
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蓬生⑨東の院へ

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平安女性貴族が身にまとった衣装の名称

 

  御簾 みす

宮殿や寺社で用いる簾 すだれ

 

 光源氏と末摘花

雪あかりの中ではじめて末摘花の顔をみて、あまりの醜女ぶりに仰天する光源氏。
源氏は須磨へ落ちるとき末摘花には挨拶をせず、帰京してからも久しく連絡しなかった。
それでも、末摘花源氏の来訪をひたすら待ち続ける。

 

    ◇   ◆    ◇    ◆    ◇    ◆    ◇

  

昔もたびたびそうであったように、返事がない。

 

源氏が立ち上がって御簾を少し手であけて見ると、末摘花は恥ずかしそうに座っている。

 

しばらくしてやっと、か細い声が聞こえた。

 

末摘花にしても、源氏が廃墟のような邸に足を運んでくれたことをありがたいと思ってはいるが、ちょっと拗ねてみせる。

 

〇 年を経て  待つしるしなき  わが宿を

 

      花のたよりに  過ぎぬばかりか

 

長年まっても甲斐のなかったわたしの宿を、源氏の君はただ藤の花を愛でるついでにお立ち寄りになられたのですね。

 

御簾の向こうでわずかに身じろぎした気配とともに、袖の香りがほのかに漂ってきた。


 

ひたすら待ち続けていた末摘花の素直で゛一途な心根に感銘を受けた源氏は、増・改築中の二条院に引き取ろうと心に決める。

 

その前に、何人もの大工庭師を遣わして常陸宮邸の手入れをさせたり調度など身の回りの品々を贈ったりした。

 

それから、多くの若い者たちが去っていったあと、今なお仕えている家司女房たちに十分な手当を与えた。

 

源氏の手によってみごとに常陸宮邸がよみがえると、人の心なんて現金なもの。

 

末摘花を見限って、羽振りのいい受領の家などに仕えるため去っていった女房たちが次々に戻ってきた。

 

 

邸に賑わいが戻っておよそ2年後、末摘花は二条院の【東の院】へ引っ越した。

 

東の院は二条院と同じ敷地内ゆえに源氏との日常的な接点があり、ひどく不器用で内気すぎる末摘花にやっと春が訪れた。

 

 

夫の太宰大弐が任期を終えて筑紫の大宰府からから戻ってきた叔母の幸運を激しく嫉妬し、侍従末摘花の幸せを心から祝福する。


 

紫式部にしては「一件落着」といったふうの平凡な結末だが、不思議に思うことがある。

 

第6条『末摘花』において、作者は「これでもか!」というほどに常陸宮家の姫宮である末摘花の醜悪な容貌をあざ笑ったが、

 

この第15帖『蓬生』においては一転、容姿にはまったく触れず、ひどく内気だが高潔な人柄をひたすら称揚している。

 

その間に、紫式部に何があったのか。

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『安倍三代』における祖父は、「昭和の妖怪」の異名をとる母方の岸信介元首相でなく、父方の祖父・安倍寛衆院議員氏は「A級戦犯」、安倍寛氏は「反戦」を掲げて立候補した。

孫の安倍さんは、さんを誰よりも尊敬しているペタしてね

 


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関屋①逢坂の関

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*帖名の『関屋』は、「逢坂の関」の 関守が住む番小屋のこと

*『蓬生』は『末摘花』の後日談、『関屋』は『空蝉』の後日談です

 

第16帖 『関屋』関連系図

常陸の介は、3帖の『空蝉』では伊予の介すけ

右衛門佐うえもんのすけは、もとの小君こぎみ。

河内の守かわちのかみは、もとの紀伊の守かみ

 

逢坂関 「逢坂の関」 滋賀・大津市

 646年の『大化改新の詔』において、畿内の北限とされた。

逢坂の関は、東海道と中山道が越える交通の要衝だった。
鈴鹿の関、不破の関とともに三関
さんかん

 

 

石山寺の紫式部』 三代目歌川広重

 

八月十五夜の月が琵琶湖(瀬田川)に映っているのを眺めていた紫式部の脳裏に、一つの物語の構想が浮かんだ。
すぐに『大般若経』の料紙に、「今宵は十五夜なりけりと思し出でて、殿上の御遊恋ひしく…」と、流謫の貴人(光源氏)が
都での生活を回想する場面を記した。

 

『源氏物語』は、こうして書き起こされたという。
この書き出しは、光源氏が須磨に下っていたある十五夜の夜、都での管絃の遊びを思い出すシーンとして「須磨」の帖に活かされた。

 

      ◇   ◆    ◇    ◆    ◇    ◆    ◇

 

桐壺院が亡くなった翌年、空蝉うつせみは夫の伊予の介常陸の介になったので、遠い常陸国(茨城県)へ下っていた。

 

空蝉は、源氏が都を落ちて須磨それから明石でわび住まいをしていることを風の便りで聞いてはいたが、連絡を取るすべもなく筑波の峯のふもとで日々を過ごしていた。

 

 

源氏は、およそ3年半ぶりに明石から都に戻った。

 

その翌年の秋、空蝉は夫の常陸の介ととも帰京する。

 

源氏宿願成就のお礼参りのため盛大な行列を連ねて「石山寺」へ向かっているとき、偶然、常陸国から帰ってくる常陸の介の一行と「逢坂の関」ですれちがった。

 

九月の末で、色とりどりの紅葉があざやかで霜枯れの草むらが趣深いころである。

 

『関屋』からパラパラと何人ものあざやかな狩衣姿の男たちが現れ出た。

 

源氏従者たちだ。

 

常陸の介一行は牛車を木陰に寄せて源氏の大行列が通り過ぎるまで控えていたが一行の中に空蝉がいることを聞いた源氏右衛門佐(小君)を呼び出して言葉をかけた。

 

帰京して右衛門佐源氏からの伝言を聞いた空蝉は、遠い日々を思い返してしばらく感傷に浸っていた。

 

 

源氏が石山寺参詣から帰京する日に、右衛門佐が迎えにやって来た。

 

源氏がスキャンダル発覚のため須磨に下った時、そば近くに仕えていた従者たちのうち自分だけが従わなかったことを悔いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春は名のみの風にのって、若々しい歌声が、ペタしてね

 


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関屋②空蝉、出家

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空蝉 囲碁 宇治市源氏物語ミュージアム

空蝉うつせみvs軒端荻のきばのおぎ。

ふたりの「囲碁対局」を垣間かいま見る光源氏。 。。。

 

 関の清水跡

関の清水(歌枕) 逢坂の関跡付近にあった清水。関水。

 

逢坂関1 『逢坂の関』

『逢坂の関』は、山城と近江の境にある逢坂山に設けられた関所。

「東海道」と「中山道」が越える交通の要衝であり、ふたつの坂が出会うので、『逢坂の関』と名付けられた。

 

『鈴鹿の関』、『不破の関』とともに三関さんかんと呼ばれた。

〇 これやこの 行くも帰るも  わかれては

        知るも知らぬも  あふ坂の関    蝉丸

 

    ◇   ◆    ◇    ◆    ◇    ◆    ◇

 

右衛門佐源氏がスキャンダル発覚のため須磨に下った時、そば近くに仕えていた従者たちのうち自分だけが従わなかったことを悔いている。

 

右衛門佐は子供のころから源氏世話になり、出世もした。

 

 

羽振りのいい時はさかんに尻尾を振るが、その人物に何かまずいことがあるとさっと離れてゆく。

 

そういう今に通じる打算的な人間の例として、紫の上の父・兵部卿宮末摘花若い女房たちとともに右衛門佐は描かれている。

 

 

右衛門佐が須磨に同行しなかったことを不快に思ったことを源氏は昨日のように覚えているが顔には出さず、空蝉への手紙を託した。

 

 

空蝉もずっと源氏のことを忘れかねているので、あの頃に思いを馳せて胸が一杯になった。

 

そっと、つぶやく

 

〇 行くと来と   せき止めがたき   涙をや

 

             絶えぬ清水と   人は見るらむ

 

行く人と来る人がゆきかう逢坂の関でとめどなく流れるわたしの涙を、流れてやまない「関の清水」と源氏の君はご覧になられることでしょう


わたしの本当の気持ちを、お分かりいただけるでしょうか。

 

 

空蝉の夫の常陸の介が高齢で病がちになり、先妻の子供たちに、「母上を大事にするよう」言い残して亡くなった。

 

 

空蝉常陸の介の年齢差は「父と娘」ほどに離れているが、作者・紫式部の夫・藤原宣孝が父・藤原為時の友人だったせいか、そういうケースが立つ。

 

例えば、源氏の永遠の女性・藤壺にとって、夫・桐壺帝との年齢差は「父と娘」ほど離れているが源氏より5歳だけ年上である。

 

そして、このことが物語展開の一つの軸をなしている。

 

 

残された義理の母の空蝉に対して、子供たちは父親の遺言だからと上辺だけは優しく接したが、空蝉には悩ましい日々が続いた。

 

表面をとりつくろっても、底意が見え見えなのだ。

 

 

義母に向けるどの視線も冷え冷えとしている。

 

しかもあろうことか、昔からひそかに空蝉横恋慕していた河内の守父親が亡くなったことを幸い露骨に近づいてきた。

 

そのことを嫌悪して、空蝉は髪を下ろして尼になる。

 

 

後日、源氏空蝉末摘花と同じく「東の院」に引き取って、生涯、生活の面倒をみた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「加計学園/37億円+補助金96億円=135億円」には、「森友学園/8億円」よりもケタ違いに巨額の国民の税金が投じられています。

 

こんなことで、年金などの「社会保障費」が減らされてゆく。

 

「加計学園」の理事長は、安倍さんの親しい友人でありゴルフ仲間。

安倍さん本人が認めています。

 

 

自民党議員や官僚たちの間でひそかに囁かれている。

「これは、アベ案件だから---」。

彼らは自分の立場を守るため、「人事権」を

握っている権力者の意向を「忖度」して動くペタしてね

 


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絵合①朱雀と梅壺

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*女院/藤壺尼宮の御前と冷泉帝の御前の2度にわたって「絵合」が行われたことが帖名【絵合】の由来

*絵合--左右に分かれて絵の優劣を競う遊び

   ・当時流行っていた【歌合】にもとづく紫式部の造語

 

 第17帖絵合】関連系図

光源氏内大臣31歳 紫の上23 朱雀院34 

女院/藤壺尼宮36 冷泉帝13 秋好/梅壺女御22 弘徽殿女御14

 

内裏  内裏 だいり

『梅壺』、藤壺』のすぐ上(北)

 

別れの櫛 in大極殿 第10帖【賢木】

別れの櫛くし】の儀式  『斎宮歴史博物館』 三重県多気郡

斎宮さいぐう(六条御息所の娘)が伊勢へ発つ前に参内して別れを告げるとき、朱雀院が櫛を斎宮の髪に挿して与えた。

このとき、朱雀院斎宮を見初める。

 

絵合】では、斎宮は伊勢神宮での勤めを終えて帰京している。

よって、地位をあらわす前斎宮さきのさいぐうor通称の秋好あきこのむと呼ばれた。

母の六条御息所は今わの際に源氏に託して亡くなり、源氏秋好を養女にした。

 

    ◇   ◆    ◇    ◆    ◇    ◆    ◇

 

源氏女院/藤壺尼宮と計らって、腹違いの兄・朱雀院の気持ちを知りながら前斎宮/秋好の入内じゅだいを決めた。

 

秋好は内裏だいりの【梅壺うめつぼ】を与えられ、以後、梅壺女御にょうごと呼ばれることになる。

 

秋好に心を寄せていた朱雀院はおおきな失望と喪失感を味わうが、それでも華麗な装束や櫛箱、打乱箱、香壺など豪華な祝いの品々を届けてくれた。

 

櫛箱の中に和歌が一首、

 

〇 別れ路に  添へし小櫛を  かことにて


      遥けき仲と  神やいさめし

 

8年前にお別れの櫛をあなたの御髪に挿しましたが、そのせいで、あなたとの仲を遠く離れたものと神がお決めになられたのでしょうか

 

*女院にょういん、にょいん  帝の母親

 

 

気の毒に思った源氏は、お礼状を書くよう梅壺女御をうながした。

 

14歳の時に太極殿で仰ぎ見た朱雀帝のやさしい表情は、今も、女御の心の中にあたたかな残像として灯っている。

 

〇 別るとて  遥かに言ひし  一言も

  

      かへりてものは  今ぞ悲しき

 

お別れの時に仰せられた一言が、都にもどった今、かえって悲しく思われます

 

【入内の儀式】のさい、源氏朱雀院をはばかって秋好親代わりとしてではなく、大勢の出席者のうちの一人という体裁で臨んだ。

 

 

女院/藤壺尼宮は、9歳も年上の新しいを迎えることになったと聞いて、いつになく緊張している冷泉帝に言葉をかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

安倍晋三首相のお気に入り。衆議院議員わずか4期にして党三役など要職を歴任してきた稲田朋美防衛大臣は後継者

たりうるのか。思想的にはまさに同類、答弁は未熟ペタしてね

 


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絵合②家を背負って

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青海波1

桐壺帝の御前で唐楽『青海波せいがいは』を舞う、光源氏(左)と頭中将(右) 。

ふたりは、舞いに限らずあらゆる分野でライバルだった。

ーーという設定だが、頭中将は気の毒なことにいつも光源氏の引き立て役でしかない。

 

明石入道に導かれて 

明石入道に案内されて、明石の君の館へ向かう光源氏

 


壷女御藤壺中宮藤壺尼宮藤壺准太上天皇
光源氏の「永遠の女性」 
(5歳年長) 風俗博物館/京都市。
冷泉帝は、夫・桐壺帝ではなく光源氏とのあいだの不義の子。

 

   ◇   ◆    ◇    ◆    ◇    ◆    ◇

 

女院/藤壺尼宮は、9歳も年上の新しいを迎えることになったと聞いて、いつになく緊張している冷泉帝に言葉をかけた。

 

「立派なおとなのが入内なさいます。

気持ちをしっかり引き締めて、お会いしなさい」

 

まだ13歳の息子が22歳の成人女性に迎えるが、はたして大丈夫だろうか気後れしないだろうかと心配なのだ。

 

今でいえば、小学生の男の子女子大生が嫁ぐようなものである。

 

 

はいままで第一夫人で1つ年上の弘徽殿女御と子供らしい遊びに興じていた。

 

弘徽殿女御の父は、若い時から源氏のライバルだった権中納言/頭中将(以後、こちらで表記)である。

 

源氏頭中将は、学問や音楽や和歌そして舞いや恋愛などすべてにわたって好敵手であった。

 

これからは、政治家同士として熾烈な競争相手になる。

 

競争といっても、私たちか見慣れた選挙運動ではない

 

どちらの(源氏の場合は養女)がの寵愛をえて皇子を産むか、という争いである。

 

源氏にも明石の君とのあいだに実のがいるが、まだ幼すぎる。

 

 

二人に限らず、大納言クラス以上の家では、性格がよく容姿も端麗なにはとりわけ詩歌管弦などの趣味教養を身につけさせた。

 

こうして育てた自慢の娘たちは、「実家の盛衰」を背負って入内したのである。

 

 

しかし、親はすべてを任せにしていたわけではない。

 

の足をの部屋に向けさせるため、色々と工夫を凝らした。

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【第三次安倍内閣】20名中(1人は公明党)、14名が

【日本会議】の、19名が【神道政治連盟】の構成員ペタしてね

 


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絵合➂趣味の引力

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藤原道長1  藤原道長 

文学好きの一条天皇の足を娘・彰子の部屋に向けさせるため、紫式部に『源氏物語』の執筆を依頼した。

 

 

月次絵つきなみえ    風俗博物館 京都市

1年間の行事や風俗を自然を背景に描いた屏風絵 


藤原北家 藤原北家系図
藤原不比等の次男・藤原房前/
ふささきを祖とする。

「文学好き」や「歴史好き」の方なら、馴染みの名前が続々とーー。
『源氏物語』関連だけでも、紫式部道長定子定家公任--。


系図には載っていないが道長の娘の彰子

『 源氏物語』は彰子のために書かれた。
紫式部道長の先祖をたどると、ともに摂関政治の基礎を築いた冬嗣にいきつく。

 

     ◇   ◆    ◇    ◆    ◇    ◆    ◇

 

の足をの部屋に向けさせるため、色々と工夫を凝らした。

 

娘の彰子が文学好きの一条天皇の寵愛を得るため、藤原道長紫式部を招いて『源氏物語』を書かせたのか好例だろう。

 

それまでは、彰子の従姉でライバルでもある定子のもとへ足しげく通っていた。

 

定子は、清少納言を中心とした高度な【文化サロン】を形成していたのである。

 

 

冷泉帝は、夜は弘徽殿女御の部屋と梅壺女御の部屋に平等に足を運んだが、明るいうちはどうしても年齢が近く気心の知れた【弘徽殿】に渡ることが多かった。

 

源氏が危機意識をもつのは当然である。

 

一方、頭中将も安閑としてはいられない。

 

今を時めく実力者のせめぎあいの中で兵部卿宮を入内させる時機を見計らっていたが、なかなか好機を見いだせないでいる。

 

源氏は仲のいい「碁敵」だったが、苦難の時代の源氏に手のひら返しのように辛く当たったことを源氏が忘れていないからだ。

 

冷泉帝が成人されたら、よもや、お見捨てになることはあるまい」

 

 

冷泉帝はなによりも絵を愛した。

 

鑑賞するのはもちろん、宮中の誰よりも巧みに描いた。

 

梅壺女御もまた絵がたいそう好きで、描くのも得意である。

 

梅壺女御の趣味が絵画であることを知ったは、翌日の昼から、それまでの【弘徽殿】ではなく【梅壺】に通うようになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『安倍内閣』の閣僚20名のうち、14人が【日本会議】の、19人が【神道政治連盟】の構成員。

国民の大多数が聞いたこともない得体の知れ

ない団体が、日本を牛耳っていると思いませんかペタしてね

 


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絵合④負けん気

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 第17帖絵合】関連系図

光源氏内大臣31歳 紫の上23 朱雀院34 女院/藤壺尼宮36 

冷泉帝13 秋好/梅壺女御22 権中納言/頭中将36 弘徽殿女御14

 

内裏  内裏だいり

冷泉帝の住む『清涼殿』の上(北)に、『弘徽殿』。

その西に、『藤壺』。その北に『梅壺』

 

車争図屏風 第九帖『葵』から 「車争い」 

【物語絵】 「古典文学」や「仏教説話」の象徴的な場面を絵画化した作品。

日本美術にゆたかな実りをもたらしてきた。

「車争図屏風」東京国立博物館所蔵 葵の上vs六条御息所

 

一条大路は、「禊の儀式」に同行している光源氏をひと目見ようとやってきた見物の牛車で立て込んでいて、車を止める場所がない。
葵の上従者たちは前の車を押しのけて止めようとしたが、それは六条御息所の牛車だった。
双方の従者が乱闘となり、無勢の御息所の牛車は破壊される。

 

      ◇   ◆    ◇    ◆    ◇    ◆    ◇

 

梅壺女御の趣味が絵画であることを知った冷泉帝は、翌日の昼から、それまでの【弘徽殿】ではなく【梅壺】に通うようになった。

 

『物語絵』や『月次絵』を広げて楽しそうに鑑賞したり、それぞれ心の赴くままに絵筆をとったりした。

 

年の差を超えて、ふたりの気持ちは急速に接近する。

 

弘徽殿女御にしてみれば、入内して以来ずっと明るいうちに遊びに来ていたが急に来なくなったのだ。

 

 

頭中将が慌てふためいたのは言うまでもない。

 

の足が【弘徽殿】から遠のいた理由を調べた。

 

すると、特にに原因があるわけではなく、「絵」という共通の趣味が冷泉帝梅壺女御をとの距離をグット近づけていることが分かった。

 

持ち前の負けん気が、頭をもたげる。

 

頭中将は、世にあるすぐれた「絵」を集められるだけ掻きあつめた。

 

それでも足りないと思えば、何人もの絵の上手を自邸に招いて厚遇で作品を描かせた。


 

頭中将は、とりわけ「物語絵」を好んだ。

 

「物語絵は眺めているだけでワクワクするし、興趣深くもある」

 

もちろん、絵師たちには「物語絵」だけでなく、絵の内容を説明する詞書ことばがき付きで、「月次絵」も描かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

相変わらずのお友達内閣。

やはり類は友を呼ぶのか、安倍さんのミニチュア版が多すぎる。

人の意見を聞かない、まともに答えない、すぐに顔を真っ赤にして怒りだす。

 

 

 

 

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「『パン屋』は郷土愛不足だから『和菓子屋』にすべき」と道徳の教科書検定。この伝で言うと、『ケーキ屋』は『饅頭屋』に、『ホテル』は『宿屋』に。安倍

氏にはこういうのが「美しい国」であり、「取り戻した日本」なのペタしてね

 


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絵合⑤持ち禁

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 第17帖絵合】関連系図

光源氏内大臣31歳 紫の上23 冷泉帝13 秋好/梅壺女御22 

弘徽殿女御14 権中納言/頭中将36

 

内裏  内裏 だいり

の私的生活空間である『清涼殿』に近い建物ほど「位」が高い。

ちなみに、大納言の娘である光源氏の母・桐壺更衣はもっとも遠い東北隅の『桐壺/淑景舎』をあてがわれた。


だじょかんせい太政官制
トップの「太政大臣」(江戸期における「大老」に相当)と、「内大臣」は常設ではない。
大臣の娘は「女御」、大納言の娘は「更衣」として入内した。
更衣は、「中宮/皇后」にはなれない。

 

     ◇   ◆    ◇    ◆    ◇    ◆    ◇

 

頭中将絵師たちに「物語絵」だけでなく、絵の内容を説明する詞書ことばがきを付けて、「月次絵つきなみえ」も描かせた。

 

「月次絵」は、宮中行事や風俗、動植物などに明るくないと絵の内容が分かりにくいからである。

 

こうして手持ちの絵と新しく当代一流の絵師たちに描かせた絵をため込んだ頭中将は、さっそく冷泉帝に【弘徽殿】に足を運ぶよう人づてに頼んだ。

 

 

数日後、昼間の来訪がしばらく途絶えていた朱雀帝が、【弘徽殿】にやって来た。

 

さすがに、これほどまとまった数の絵を見たことはない。

 

ひと通り鑑賞したあと、特に気に入った数枚の絵を【清涼殿】に持ち帰ってゆっくり味わいたかった。

 

しかし、頭中将は1枚たりとも絵を【弘徽殿】から持ち出すことを丁重に断った。

 

理由は簡単。

 

絵を蒐集した目的が、に、が住んでいる【弘徽殿】に足しげく通ってもらうことだからである。

 

【清涼殿】に持っていかれては困るのだ。

 

そのことを伝え聞いた源氏は、苦笑した。

 

頭中将は相変わらず、大人げないな」

 

 

三月十日頃は凍てつくような京都盆地の寒さも峠をこして、うららかな陽光が人々の心を伸びやかにする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ★開園時間9:00〜16:30  入場は16:00まで

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この際、【大阪地検】の忖度なしの「中立性」と「実行力」を信じよう。

国有地を八億円も値下げして売却した理由の追究こそ、【森本学園問題】の本筋である。

ここ数日、姑息な安倍自民党は籠池夫妻の「悪事」に焦点を当てて逮捕に追い込み、幕引きを図ろうとしていた。しかも

昭恵夫人付きの女性官僚を非情にも人身御供にペタしてね

 


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絵合⑥美術評論家

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 在原業平 百人一首

兄の在原行平は、光源氏のモデルの一人であり、『源氏物語』の第12帖「須磨」に登場する。

いまや死語でしょうが、小町娘今業平の意味をご存知ですか。

 

 前田青邨画『竹取物語』

日本最古の物語。

「物語の出で来はじめの祖おやなる竹取の翁」源氏物語。

 

 

俵屋宗達画「伊勢物語色紙『芥川』」

藤原高子ふじわらのたかいこ(清和天皇の女御のち皇太后//陽成天皇の母)を強奪して芥川をわた在原業平

紫式部はこのエピソードにヒントを得て、光源氏藤壺の関係性を描いたという説がある。

 

      ◇   ◆    ◇    ◆    ◇    ◆    ◇

 

三月十日頃は凍てつくような京都盆地の寒さも峠をこして、うららかな陽光が人々の心を伸びやかにする。

 

また節会などの宮中行事はなく、女房たちは当座の仕事から解放されてのんびりとした時間を過ごす。

 

【清涼殿】と【弘徽殿】と【梅壺】に仕えている女房たちの間では、いつになく、「絵」の話でもちきりだ。

 

絵心のある者もない者も、いっぱしの美術評論家になって、「これがいい、あれがいい」と品定めをしている。

 

 

そんな時、絵に一家言をもつ藤壺尼宮が参内した。

 

【清涼殿】に赴くと、女房たちがさかんに絵を論評しあっている。

 

「わたしは、この『竹取物語』の絵がいいわ」

 

「わたしは、『伊勢物語』の絵の方が好き」

 

藤壺尼宮も大の絵画ファンである。

 

【弘徽殿】と【梅壺】に仕えている女房たちを呼んで左右に並ばせ、絵の優劣を競わせた。

 

 

梅壷チームには平典侍たいらのないしのすけ・侍従内侍じじゅうのないし少将命婦しょうしょうのみょうぶが、

弘徽殿チームには大弍典侍だいにのないしのすけ中将命婦ちゅうじょうのみょうぶ兵衛命婦ひょうえのみょうぶが並んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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絵合⑦竹取✕宇津保

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 百人一首

紀貫之(866~945)は、『土佐日記』の作者。

三十六歌仙の一人で、『古今和歌集』の編者。

 

 小野道風 894~967

平安中期の書家で、藤原佐里藤原行成とともに【三蹟】の一人。

中国風を脱して、おだやかで格調の整った和様の基礎を築いた。

 

『宇津保物語』より/平安中期

『竹取物語』の伝奇的要素を受け継いだ日本最古の長編物語。

全20巻。

遣唐使として渡航の途上に難破して波斯国ペルシャに漂着した清原俊蔭が、花園で琴を弾いているところへ天人が降臨、

天人から秘琴の技を伝えられた俊蔭は23年後に帰国し、秘琴の技によって一族が繁栄した。

 

     ◇   ◆    ◇    ◆    ◇    ◆    ◇

 

【弘徽殿チーム/頭中将が後見】には大弍典侍だいにのないしのすけ中将命婦ちゅうじょうのみょうぶ兵衛命婦ひょうえのみょうぶが、

 

【梅壷チーム/源氏が後見】には平典侍たいらのないしのすけ・侍従内侍じじゅうのないし少将命婦しょうしょうのみょうぶが並んでいる。

 

いずれの女房たちも、当代のすぐれた教養人であり弁が立つ。

 

【弘徽殿チーム】は当世風の華やかな絵を、【梅壺チーム】は古風で趣の深い絵をおもに取り揃えている

 

 

藤壺尼宮はまず、『竹取の翁』と『宇津保の俊蔭』の「物語絵」の優劣を競わせた。

 

絵は巨勢相覧こせのおうみ、書は紀貫之の手になる。

 

初めに、『竹取の翁』の「物語絵」に対する両チームの評価。

 

【梅壺】方、

「古い物語で特にこれという面白いところはござませんが、かぐや姫がこの世の汚辱にまみれることなく、清らかな心のまま天に昇っていった姿はとても立派でした。

と申しましても、そもそも『竹取の翁』は神代の話でございます。

ごとき浅学非才の理解をはるかに超えておりましょう」

 

【弘徽殿】方、

かぐや姫が昇ったという天は、わたしも想像すらできません。

ただ、竹の中から生まれた彼女の身分はきっと卑しいものであったと思われます。

の家こそ明るく照らしましたが、となって世の中を広く照らすことはできませんでした」

 

★現代の私たちからすると、決して「絵画論」にはなっていない。


 

次は、『宇津保物語』の「物語絵」に対する両チームの評価。

 

絵は飛鳥部常則あすかべのつねのり、書は小野道風

 

いかにも現代的で、きらびやかな画風である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

晋三親分はさすがに、これほどあからさまに権柄ずくの暴言を吐くことはない。

コピーたちは、親分の威をバックにして言いたい放題。

「一番のんは文化学芸員と言われる人たちだ。観光マインドが全くない。一掃しなければ駄目だ」

「がん」という言葉を使った時点で、政治屋失格ペタしてね


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絵合⑧伊勢物語✕正三位

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 『宇津保物語』「俊蔭」から

平安中期の成立で、作者は未詳。

清原俊陰が出会った3人の旅人が琴を演奏している場面。

 

俊陰とその藤原仲忠犬宮の四代にわたる琴の名手一家の繁栄と、源正頼の娘・貴宮あてみやが多くの青年貴族の求婚を退けて東宮妃となり、やがて皇位継承争いが生じる過程を描く。


藤壷 
壷女御藤壺中宮藤壺尼宮藤壺准太上天皇
光源氏の「永遠の女性」 
(5歳年長)  風俗博物館/京都市
冷泉帝は、夫・桐壺帝ではなく光源氏とのあいだの不義の子。

 

 勝川春章画『筒井筒』

『伊勢物語』第23段「筒井筒」より

○ 筒井筒  井筒にかけし  まろがたけ

      過ぎにけらしな  見ざるまに

井戸の枠より低かった私の背丈は、あなたとしばらく会わないうちに枠より高くなったようです (お会いしたい--)

 

     ◇   ◆    ◇    ◆    ◇    ◆    ◇

 

『宇津保物語』の「絵」は、当世風できらびやかな画風である。

 

【弘徽殿】方、『宇津保』の「絵」を弁護して

 

「遣唐使として舟出した清原俊蔭は、激しい波風に襲われて何度も溺れかけながら、遙かなペルシャに漂着しました。

そして、ペルシャの朝廷で類まれな音楽の才能を認められて名を残しました。

わが国で認められた楽才は、遠い異国でも高く評価されたのです。

いいモノや優れた技術は、国境を越えるのです。

『宇津保』の「絵」は、中国趣味と和風がみごとに調和しております」

 

【梅壺】方から、特に反論はでなかった。

 

【弘徽殿】方、やや優勢か。

 

 

 

 

次に、『伊勢物語』と『正三位』の「物語絵」の優劣を論じた。

 

『正三位』 は散逸しているので、どういう物語なのか不明だが、

『源氏物語』の「絵合」 の中に、

おもしろくにぎははしく、内裏わたりよりうちはじめ、近き世のありさまを描きたるは、をかしう見所まさる

とあるので、

『源氏物語』 にほど近い時代の、宮中を舞台とした物語であろう。


【梅壺】チームの平典侍たいらのないしのすけが、『伊勢物語』を弁護して

 

○ 伊勢の海の  深き心を  たどらずて

      ふりにし跡と  波や消つべき

 

伊勢の海の深さを調べようともせず、また『伊勢物語』の内容の深さを考えようともせず、

ただ古めかしいというだけで、先に海岸に打ち寄せた波が描いた砂の波形模様を次の波が跡形もなく消すように、『伊勢物語』を消し去っていいものでしょうか。

 

『正三位』は、ありふれた恋物語を技巧を凝らしてもっともらしく描いただけでございます。

『伊勢物語』は古いからといって、価値が下がるものではない。
世間によくある色恋沙汰を面白半分に書いた
『正三位』に
『伊勢物語』が敗れて、在原業平の名を貶めてよいものでしょうか」

 

★当時、古くなると価値が下がるという社会通念があったのだろうか

 

 

 

 

次に、【弘徽殿】チームの大弍典侍だいにのないしのすけが、『正三位』の「物語絵」を弁護して

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大震災が東北地方でよかった」

ほんの数日前にも、トンデモ発言をしたばかり。

 

今村氏に限らず、このレベルの人物を次々に大臣にすえる安倍さんには鑑識眼が欠如している。

何度、反省したことか。「任命責任は、総理たる私にあります」

 

自民党の内部事情による、「在庫一掃セール」かも知れないが--。

 

 

 

 

戦国時代や幕末の争乱関連の小説などを好きな方には、「今」とよりストレートにつながっているだけに面白いかもしれません。

 

 

 

驚いたことに、国会議員が警察に「ストーカー登録」されていた。

 

取り巻きからスキャンダルが引きも切らないのに、支持率がほとんど下がらない安倍晋三さんはある意味スゴイ。

彼らを守ろうとする安倍さんの男気?を日本人は好むのだろうか。

 

第一次安倍政権のとき、長くかばい続けているうちに当の農水相(金銭絡み)自殺した。

「育休宣言」で名を上げた衆議院議員は、一方で、が出産で入院中女性タレントを自宅に連れこんでいた。

この「事実は小説よりも奇なり」を地でゆく、国民

の代表の信じがたい所業はまだ記憶に生々しいペタしてね

 


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絵合⑨延長戦へ

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第17帖絵合】関連系図

光源氏内大臣31歳 紫の上23 冷泉帝13 秋好/梅壺女御22 

弘徽殿女御14 権中納言/頭中将36

 

 不退寺/業平寺 真言律宗

在原業平が開基したと伝えられる寺院。 奈良市法蓮町

 

内裏  内裏 だいり

の私的生活空間である『清涼殿』に近い建物ほど「位」が高い。

ちなみに、大納言の娘である光源氏の母・桐壺更衣はもっとも遠い東北隅の『桐壺/淑景舎』をあてがわれた。

 

桐壺更衣が、『桐壺』から『清涼殿』に赴く途中、激しい嫉妬に駆られた女御更衣たちからひどい苛めを受けて光源氏が3歳の時に亡くなってしまう。

『源氏物語』は、の顔を覚えていない息子の「母恋の記」である。

「永遠の女性」の藤壺宮桐壺更衣に生き写しで、「理想の妻」の紫の上藤壺と瓜二つである。

恋心の根っこに、「の面影」がある。

 

     ◇   ◆    ◇    ◆    ◇    ◆    ◇

 

次に、【弘徽殿】チームの大弍の典侍が『正三位』を弁護して

 

○ 雲の上に  思ひのぼれる  心には

      千尋の底も  はるかにぞ見る

 

宮中に上ったヒロインには、伊勢の海の千尋の底などはるか下に見下ろされます (『小三位』に比べたら『伊勢物語』なんて)


★謙虚な【梅壺】チームに対して、上から目線の【弘徽殿】チーム

 

ここで、劣勢の【梅壺】チーム(源氏が後見人)に勝ってほしい藤壺尼宮が一首、

 

○ みるめこそ  うらふりぬらめ  年経にし

      伊勢をの海人の  名をや沈めむ

 

見た目にはうらぶれて古くさく見えましょうが、長い年月を経てなお名高い『伊勢物語』の在原業平の名を貶めることができましょうか

 

 

 

 

両陣営を代表する女房たちの論争が果てしなく続いて、なかなか決着がつきそうもない。

 

そこへ、源氏がひょっこりやってきた。

 

「もう終わりにして、近いうちに冷泉帝の御前で決着をつけましょう」

 

藤壺尼宮の意向で、「絵合」の場所から閉め出されていた帝つきの女房たち尼宮つきの女房たちが大いに喜んだ。

 

源氏は、【梅壺】チームにかつて「須磨」と「明石」で不遇をかこっていたころに描いた二巻を加えた。

 

【弘徽殿】チームを支える頭中将も、負けるつもりはない。

 


 

 

「新しく絵を描いたりあるいは絵師たちに頼んだりしないで、いま、手元に持ち合わせている作品だけで勝負しましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨年末の【AKB紅白総選挙】を制した山本彩が不出馬ゆえに、だれが一位になっても心ないことを書かれるだろう。

 

沖縄ファンとしては、かつて故小渕恵三首相【サミット沖縄開催】を決めたとき同様うれしい。(出席したのは後継の森喜朗氏)

 

小渕さんにしろ橋本竜太郎さんにしろ、あの頃の総理は自ら沖縄に足をはこんで対話を重ねていた。

安倍晋三さんのように、上京してきた沖縄県知事

冷たく門前払いすることなど到底ありえなかったペタしてね

 


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絵合⑩朱雀院

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第60代延喜の帝/醍醐天皇(885~930)

『源氏物語』は、醍醐時代を想定している。

 

$吉備路残照△古代ロマン-青海波1  

青海波せいがいはを舞う、あらゆる分野でライバル視されていた光源氏(左)と頭中将(右)​ 。

   

別れの櫛 れの櫛の儀式

斎宮/のちの梅壺女御が伊勢へ発つ前に参内して別れを告げるとき、朱雀帝が櫛を髪に挿して与えた。

この時、は初対面の斎宮に心を奪われる。

 『斎宮歴史博物館』 三重県

 

     ◇   ◆    ◇    ◆    ◇    ◆    ◇

 

「新しく絵を描いたりあるいは絵師たちに頼んだりしないで、いま、手元に持ち合わせている作品だけで勝負しましょう」

 

源氏がもちかけたが、頭中将はあいかわらず自邸の一室に絵師たちを招いて絵を描かせているようだ。

 

 

 

 

朱雀院は『絵合』のことを知ると、【梅壺】チームに昔の名人上手が描いた絵に、延喜の帝/醍醐天皇が自ら詞書ことばがきを記した作品をはじめとして何作か送りとどけた。

 

それらの中には、斎宮(いまの梅壺女御)が伊勢に下る日に大極殿で執り行われた別れの櫛の儀式』の絵も含まれていた。

 

巨勢公茂こせのきんもちに描かせた作品である。

 

和歌が一首、

 

○ 身こそかく  標の外なれ  そのかみの

     心のうちを  忘れしもせず

 

私はこのように宮中の外にいますが、あの頃の気持ちを忘れてはいません

 

*標の外しめのほか  しめ縄の張ってある外側

    寺社や宮中など、立ち入り禁止の区域の外側

 

女御からの返歌、

 

○ 標の内は  昔にあらぬ  心地して
        神代のことも  いまぞ恋しき

 

宮中は昔と変わってしまった心地がして、(斎宮として)神にお仕えしていた頃のことが今は恋しく思われます

 

 

 

 

朱雀院か蒐集している絵の大部分は、母の弘徽殿大后から譲られたものである。

 

太后は息子のだけでなく姪の弘徽殿女御にも、かなりの数の絵画作品を譲っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アメリカの日本庭園専門誌、『Sukiya Living/The Journal of Japanese Gardening』は、島根県安来市の

【足立美術館】の庭園を13年連続日本一にペタしてね

 


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絵合⑪帥の宮

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源氏物語 主要な登場人物

『源氏物語』ほどの大長編になると、登場人物の名前や立場を覚えるだけでも大変。

それぞれの人間関係や出来事などが複雑に絡み合うともうお手上げ、ではなく頭の体操になります。

 

 殿上の間

参内した殿上人びとが控えていた部屋。 清涼殿

 

 台盤所だいばんどころ

帝の食事を準備するための女官たちの控え室。 京都御所

台盤

食物を盛った盤 (皿) を載せる木製の机状の台。

長さが約2.4mの大台盤(長台盤2人以上用)と約1.2mの小台盤(切台盤、1人用)がある。ともに幅は約1m、高さは約45cm。

 

   ◇   ◆    ◇    ◆    ◇    ◆    ◇

 

弘徽殿大后は息子のだけでなく姪の弘徽殿女御にも、かなりの数の絵画作品を譲っていた。

 

朧月夜も絵画に対する造詣が深く、日頃、自分の楽しみのために、すぐれた絵師たちに風情ゆたかな絵をたくさん描かせていた。

 

もちろん、従姉妹である弘徽殿女御の援軍である。

 

 


 

 

3月20日過ぎに冷泉帝の御前における【絵合】の日取りが決まると、

【梅壺】チームと【弘徽殿】チームそれぞれから、自信作を同じ枚数だけ差し出させた。

 

当日は、台盤所に玉座(ぎょくざ/帝が座る椅子)を設えて、その前方に両チームの女房たちが左右に分かれて座った。

 

殿上人たちは後涼殿 (清涼殿の西隣にある) の簀子すのこに、贔屓チームを応援するために控えている。

 

 ・殿上人 清涼殿の「殿上の間」に昇ることを許された者

 

ふたりの女童めのわらわが、左右に並んだ両チームの女房たちの前に、それぞれ一つずつ絵の入った箱を並べた。

 


 

 

朱雀帝に招かれて源氏頭中将が参内すると、たまたま源氏の異腹の弟である帥の宮そちのみやが『殿上の間』にいた。

 

 ・殿上の間 清涼殿にある殿上人の詰め所

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ★右下の【Tou Tube】をクリックしてください。

 

 

 

 

イギリスのEU離脱、トランプ米大統領の誕生につづく、ル・ペン仏大統領の誕生という、「まさか!!」の第三弾は免れました。

 

 

 

 今後、ますます韓国との関係がややこしくなる。

 

 

 

 

日本一購読者の多い「読売」が安倍自民党の【御用新聞】であることを、安倍氏が天下に晒してしまった。

 

読売新聞のように政府の言い分を垂れ流すのではなく、国民に代わって、専門家集団が「権力のありよう」を批判し監視するのがメディアの使命である

 

安倍政権下において、過去に例を見ないほど頻発する閣僚や政務官たちの「スキャンダル」や「暴言」や「能力不足大臣」。

 

『権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する』J.アクトン

国会 (国民) を軽視する傲慢と鉄面皮と無責任とペタしてね


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絵合⑫須磨絵日記

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・朝餉あさがれいの間  が食事をする部屋

・台盤所だいばんどころ 女房たちが食事の準備をする部屋

   【絵合】は台盤所で催された。

 

 宝塚の舞台から

のちの冷泉帝をあやす桐壺帝

左右に控えているのは冷泉帝の実の両親。光源氏藤壺女御

 

須磨の浦 須磨ノ浦

月岡芳年画 「在原行平 松風 村雨」  国会図書館所蔵

中納言行平朝臣左遷須磨浦村雨松風ニ蜑戯図」

 

光源氏のモデルの一人とされる在原行平 (818~893年 在原業平の兄) も、に負けず劣らずの艶福家。

流謫の地・須磨で、松風村雨の美人姉妹と恋仲になる。

 

  ◇   ◆    ◇    ◆    ◇    ◆    ◇

 

【絵合】当日、冷泉帝に招かれて源氏頭中将が参内すると、たまたま源氏の異腹の弟である帥の宮そちのみやが『殿上の間』にいた。

 

 ・殿上の 清涼殿にある殿上人の詰め所

 

もしや、源氏があらかじめ声を掛けていたのだろうか。

 

帥の宮は浮世離れした風流人で、とりわけ絵に親しんでいる。

 

、帥の宮を絵の優劣を判断する「判者」に指名した。

 

 

 

 

藤壺尼宮の御前で私的に催されたのに続いて、いよいよ公的な意味をもつ冷泉帝の御前での【絵合】がはじまった。

 

私たちには考えにくいが、これから始まる対戦は源氏頭中将との権力闘争の一環として描かれている。

 

王朝風とでもいうのか、候補者の名前をやかましく連呼する味もそっけも意味もない当世の選挙戦に比べたら遙かに優雅である。

 

 

【梅壺】チームも【弘徽殿】チームも、さすがに秀作を揃えてきた。

 

しかも、左右にずらりと並ぶカウンターパート女房が掲げてプロモートする絵のレベルがことごとく拮抗している。

 

「判者」の帥の宮は、対戦ごとに頭を抱えてしまった。

 

絵画に精通している尼宮が「朝餉の間」の障子を開けて【絵合】の様子を眺めているのに気がついて、源氏はうれしくまた心強かった。

 

 

 

 

ついに勝敗がつかないまま、夜の帳が下りた。

 

まだ、3組残っている。

 

三番手と二番手はほぼ拮抗。

 

決着は、主将同士の対戦に持ち越された。

 

まず、【梅壺】チームの主将が、不遇時代の源氏が手すさびに描いた『須磨絵日記』をひときわ高く掲げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オバマ前米大統領とは距離があるといわれていた安倍晋三さんは、トランプ氏とは馬が合いそう。

両者とも、気に入らない新聞社やメテレビ局には圧力をかける。

 

 

日本だけでなくアメリカにおいても、権力者が独善的に

振る舞う粗野な風潮が蔓延している。いつまで続くペタしてね

 


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絵合⑬梅壺の勝利

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 現光寺 現光寺//源氏寺

『阪神・淡路大震災』による倒壊後、再建。浄土真宗本願寺派。

 

光源氏が都を落ちて侘び住まいした住居跡。  神戸・須磨区

近くに、『平家物語』ゆかりの『須磨寺』 ← 一見の価値あり。

 

 澪標  澪標みおつくし
 船が往来するときの標識。  
須磨ノ浦の沖合。

 

  浜の館跡  浜の館跡 
明石入道の邸宅跡 善楽寺戒光院 兵庫県明石市大観町

 

須磨から海路明石についた光源氏は、のちに妻となる明石の君の父・明石入道の屋敷である『浜の館』で暮らすことになる

   ◇   ◆    ◇    ◆    ◇    ◆    ◇

 

まず、【梅壺】チームの大将が、不遇時代の源氏が暇にまかせて描いた『須磨絵日記』をひときわ高く掲げた。

 

須磨と明石で惟光らわずかな従者たちと侘しく暮らしていたころ、源氏手すさびに描いていた作品である。

 

『須磨絵日記』には、仮名文字まじりのみごとな草書体で、しみじみとした和歌が詠まれている。

 

 

その『須磨絵日記』を見るや頭中将がはげしく動揺した。

 

もちろん、頭中将も決勝戦にはとっておきの名画を残している。

 

しかし、「負け」を認めざるを得なかった。

 

敵味方を越えて、女房たちのすすり泣きが聞こえてきた。

 

冷静であるべき「判者」の帥の宮も、感涙にむせんでいる。

 

 

 

 

冷泉帝を含めて、その場に居合わせた者たちは皆、『須磨絵日記』を見ると、しばし須磨や明石で暮らしていたころの源氏が味わっていたであろう悲しさや寂しさ、言いようのない孤独に思いを馳せた。

 

もちろん、だれしも、「今ごろ、源氏の君はどうしておられるだろう」と何かにつけて想像はしていた。

 

その想像が、須磨や明石の淋しそうな風景や砂浜、広々とした海原などが細かく丁寧に描かれた『須磨絵日記』を見ることによって、より具体化したのである。

 

源氏がひなびた土地で味わっていた寂しさが、自分のこととして身に染みた。

 

女房たちは忍び泣き、帥の宮は嗚咽した。

 

勝負のことを忘れて、人々の泣き声がしばらく台盤所に満ちた。

 

 

 

 

【弘徽殿】チームが温存していた最後の絵を見るまでもなく、源氏『須磨絵日記』によって、【梅壺】チームの勝利が確定した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

176億円もの国民の血税を仲間にプレゼントする輩の運命や如何?

 

安倍自民党 (ずっと『自民党』とは書いておりません) と官僚たちが、自己保身のため必死でボスを守ろうとしている。

どこへ行くのか、このニッポン。

購読者数が一番多い「読売新聞」のみを読んでいる方は、ご存じないことです。

 

 

【中選挙区制】のころは、自民党には「主流派」と「非主流派」そして「反主流派」があって、いろいろ問題はあったが、よく言えば互いに切磋琢磨していた。

「独裁者」は、生まれようがなかった。

 

【小選挙区】になって以来というもの、自民党内には「カネ」と「人事権」、選挙の時の「公認権」を事実上一手に握っている総裁に追従することにかまけている『政治屋』どもが跋扈している。

国を思う『政治家』もいるのだろうが、なかなか声をペタしてね


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絵合⑭懐旧談

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須磨・明石 ←クリック拡大

 明石~須磨

 

 須磨~明石

 「東海道・山陽本線 快速」に乗って約12分。

 開放的な瀬戸内海を眺めながらの小さな旅です。

 

須磨 須磨ノ浦

 光源氏が、『須磨絵日記』に描いた須磨ノ浦。

 現在、夏には関西圏からほど近い海水浴場として賑わう。

 

 【魚の棚】 明石市

明石近海特産の魚介類や練り製品、乾物などを扱う商店を中心に100店舗以上が軒を連ねる.。

 

岡山に来た当初、「昼食は、明石で名物の明石焼きを、夜は、日生ひなせで本場のカキオコを食べたらいい」と知人に薦められて、明石の【魚の棚】に出かけたことがあります。

 

明石焼きの幟が掛かっている店に入って、たこ焼きを一回り大きくまた少しだけ贅沢にしたものを予想しながら明石焼きを注文しました。

 

当然ビールだろうと大ジョッキを傾けながら待っていると、たこ焼きと形がそっくりな明石焼きが---。

 

瀬戸内海が目の前の【魚の棚】で、名物の中身が 「海の幸」ではないことに驚き、明石在住の方のコレステロール値が心配になりました。

 

  ◇   ◆    ◇    ◆    ◇    ◆    ◇

 

【弘徽殿】チームが温存していた最後の絵を見るまでもなく、源氏『須磨絵日記』によって、【梅壺】チームの勝利が確定した。

 

 

夜が深まると、源氏はしみじみとした感慨がこみ上げ、帥の宮酒を酌み交わしながら亡き父、桐壺院の思い出話を始めた。

 

わたしは幼いころから学問に打ち込んでおりましたが、少し学問が身に付き始めたころ、故・桐壺に戒められました。

 

『学問は、あまりにも世間で重んじられているからであろう。

 

学問を究めた者で、「長寿」と「幸福」ともに恵まれた者は少ない。

 

は高い身分に生まれている、学問はほどほどでよかろう

 

 


 

 

そして、「芸道」を薦めてくださいました。

 

それから、はいろいろな芸に打ち込みました。

 

さいわい苦手意識をもった芸はありませんでしたが、そうかといって、人並み外れて上達した芸もありません。

 

ただ、絵を描くことはひときわ熱心に取り組みました。

 

どのように描けば見る人の心に届くか、日々工夫を重ねたものです。

 

 

 

 

その頃、思いもよらず、草深い土地で暮らすことになりました。

 

都とはまるでちがう、荒涼とした風景が広がっておりました。

 

目の前には、果てしない海原が横たわっています。

 

男ばかりほんの数名の従者と須磨に住み始めてしばらく経ったころ、好きな絵を描こうと思い立ちました。

 

それが、『須磨絵日記』です。

 

しかし、私の絵筆にはどうしても越えられない限界がありました。

 

考えられる限りのあらゆる工夫を凝らしたのですが、海の描写はとても難しく思う通りにはいきませんでした。

 

 

 

 

いつか、『須磨絵日記』を冷泉帝藤壺尼宮にお目にかけようと思っていたのですが、【絵合】はいい機会だから御覧に入れました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今まで見た映画で、もっとも難解だったような気がします。

 

安倍チルドレン、大西英男先生70の暴言4連発

 

 

 

 

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