滋賀県大津市 石山寺の「紫式部像」①
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JR京都駅から石山駅まで新快速で13分。
石山寺東大門
東寺真言宗大本山 西国巡礼十三番札所
東大門の『仁王像』は、運慶・湛慶作
源氏苑
源氏の間
紫式部が、『源氏物語』」を執筆したと伝えられる部屋。
伝承では、寛弘元(1004年)、紫式部が石山寺に参篭した際、八月十五夜の名月の夜、「須磨」と「明石」の帖の着想を得たとされる。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
帰京の二日前、源氏はいつもより早く、まだ夜が更けないうちにやって来た。
久しぶりにまだ明るさの残る中で見る明石の君は、気品が備わっているだけでなく表情が豊かで美しい。
近いうちに、しかるべき手筈をととのえて都に迎えると約束した。
〇 このたびは 立ち別るとも 藻塩焼く
煙は同じ 方になびかむ
いったんお別れしますが、藻塩を焼く煙が同じ方向になびくように、都でともに暮らしましょう
〇 かきつめて 海人のたく藻の 思ひにも
今はかひなき 恨みだにせじ
海人(あま)が藻をかき集めて焼く火のように思いが一杯ですが、いまは仕方がないので恨みは致しません
明石入道は一体いつ準備していたのか、源氏一行の旅立ちのためにあれやこれやと贅を尽くしていた。
全員の旅装束はもとより、都への土産もいろいろ考えて気の利いた物を数々そろえている。
源氏が着用する狩衣(かりぎぬ/公家の普段着)に、和歌が一首忍ばせてあった。
明石の君、
〇 寄る波に 立ちかさねたる 旅衣
しほどけしとや 人の厭はむ
何度ともなく涙に濡れて縫い上げたこの旅装束を、源氏の君は気に入ってくださいましょうか
源氏、
〇 かたみにぞ 換ふべかりける 逢ふことの
日数隔てむ なかの衣を
お互いに形見として衣服を交換しましょう。また逢える日まで、私たちは長く隔てられるでしょうから
源氏は、「せっかくだから」と、さっそく明石の君が縫ってくれた狩衣に着替えた。
そして脱いだ服を、明石の君に渡した。
明石の君は、源氏の衣服にしみ込んだ馥郁とした移り香をかぐたびに、源氏恋しさが募るのではないだろうか。
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小池百合子vs内田茂 (闇に初めて光が当たった)
小池vs森喜朗 (かつては派閥の領袖と一議員)
都民を巻き込んで、「情報開示」を要求すれば勝負あり。
安倍さんのボスでもある森氏を追い詰めることはあるまい。
戦前回帰指向の「自民党憲法草案」は、天皇
を「象徴」ではなく「元首」と位置付けている
明石26移り香
明石27参内
滋賀県大津市 石山寺の「紫式部像」②
土佐光起画 1617~91
江戸初期の画家。土佐派(大和絵の一派)中興の祖
菱川師宣『見立石山寺紫式部図』
紫式部が琵琶湖(瀬田川)に映っている名月を眺めながら
『源氏物語』を執筆したという伝承を絵画化した作品。
当時、浮世絵に限らず人気のある画題であった。
『水田美術館』収蔵 城西国際大学。
三代目歌川広重画
八月十五夜の月が琵琶湖(瀬田川)に映っているのを眺めていた紫式部の脳裏に、ひとつの物語の構想が浮かんだ。
さっそく手近にあった『大般若経』の料紙に、「今宵は十五夜なりけりと思し出でて、殿上の御遊恋ひしく…」と、流謫の貴人が都での生活を回想する場面を記す。
『源氏物語』はこうして書き起こされた。
この書き出しは、光源氏が須磨に下っていたある十五夜の夜、都での管絃の遊びを思い出すシーンとして「須磨」の帖に活かされる。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
明石の君は、衣服にしみ込んでいる馥郁とした移り香をかぐたび、源氏恋しさが募るであろう。
源氏は難波でお祓いをし、住吉の神には改めて「願ほどき」のお礼参りに参詣する旨を使いの者に告げさせて都へと急いだ。
・願ほどき 神仏に、祈願がかなったお礼参りをすること
なつかしい二条院に着くと、都に残っていた人々と源氏のお供で須磨・明石に下っていた者らが、互いに肩を叩きあって再会を喜びあった。
源氏がいなかったら生きていても仕方がないとまで思い詰めていた紫の上も、人々の輪から少し離れたところで、花が咲いたような笑顔で喜びをかみしめている。
しばらく見ないうちに、可愛らしい少女が美しく成人していた。
豊かすぎた髪が、少し減っているのが可憐である。
「これから毎日、姫君と会えるのだ」
源氏は、心から嬉しかった。
源氏はほぼ三年ぶりに帰京した興奮が醒めて気持ちが落ち着いてくると、別れてきた明石の君が悲しんでいた様子を思い出しては胸が痛むようになる。
数日後、紫の上に明石の君が懐妊していることを含めて正直に話した。
その話しぶりがいつになく真剣なことに、紫の上はただならぬものを感じて、表情にこそ見せないが激しい嫉妬を覚える。
源氏はまもなく元の位に復したあと、員外の権大納言に昇進した。
・員外 律令制で、令 に定められた定員以外の官吏
朱雀帝の「外戚」の立場を利用して久しく権勢をふるっていた故右大臣や弘徽殿太后に頭を抑えられていた頭中将ら、左大臣家に連なる人々も官位を返してもらった。
源氏は、朱雀帝に招かれて参内した。
・参内(さんだい) 宮中に参上すること
その堂々として洗練された佇まいに、人々は噂しあった。
「あのような海辺の寒村で、源氏の君は長年どんな暮らしをしておられたのだろう」
女房たちのうち、在世中の桐壺院に仕えていた年老いた者らは、立派に成長している源氏を目の当たりにして人目もはばからずうれし涙を流している。
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「休業というのは中途半端。休業明けのプランもなく、いつ活動を再開するか分からないままファンに期待を持たせることはファンに失礼だ」。稲垣吾郎、草彅剛、香取慎吾。
5人ともジャニーズ事務所に残留し、ソロで活動する。
プロデューサーBIG4。秋元康・小室哲哉・つんく♂・指原莉乃? 話が巧みで面白いうえに、
計算しながらしゃべっている印象ですね
明石28東宮と藤壺
『紫式部石山寺観月図』 土佐光起画
琵琶湖(瀬田川)に映る月を眺めながら、『源氏物語』の構想を練る紫式部。
画面左上に、「今宵は十五夜なりけりと思し出でて、」で始まる「須磨」の帖の一節が書かれている。
勝川春章『雪月花図』 MOA美術館
左の幅(掛け物)は、清少納言の「香炉峰の雪は簾をかかげて見る」という故事を武家の奥方風に描き、
中央は、武家の娘風に石山寺で机にもたれて筆をとる紫式部に見立てている。
右は、美人で歌人の小野小町を芸者として描いている。
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当ページ関連系図
光源氏 紫の上 朱雀帝 明石の君
故・桐壺院 弘徽殿大后 東宮 藤壺の尼宮
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
女房たちのうち、在世中の桐壺院に仕えていた年老いた者らは、立派に成長している源氏を目の当たりにして人目もはばからずうれし涙を流している。
朱雀帝は、並ぶ者のない源氏のすぐれた容姿と立ち居振る舞いに気後れして、特別にあつらえた装束を身に着けて対面した。
夢枕に立った父・桐壺院に叱責されて以来、体調が思わしくなくずいぶん弱っていたが、昨日あたりから少しもちなおしている。
ふたりでしみじみと語り合っているうちに、ずいぶん時間がたったようだ。
美しい十五夜の月が、すでに山の端をはなれている。
あの気性の激しい弘徽殿太后の息子とはとても思えないほどに気持ちのやさしい朱雀帝は、来し方のあれこれをつぶさに思い出しているのか涙が頬を伝っている。
父親の愛情はうすく、恋愛においてもいつも腹違いの弟である源氏に後れをとった。
何をするにしても、源氏に敵わなかった。
「光君が須磨に下られてからというもの、詩歌管弦などの催しをすることもなくなりました」
源氏は恨みがましく、
〇 わたつ海に しなえうらぶれ 蛭の児の
脚立たざりし 年は経にけり
蛭の児--イザナギとイザナミの間に最初に生まれた手足のなえた子。生まれてすぐ、舟にのせられ流された。
蛭の児は三歳まで足が立ちません。わたしは遠い海辺で、蛭のように足が萎えるうらぶれた流浪生活を三年間おくりました
帝は申し訳なさそうに、
〇 宮柱 めぐりあひける 時しあれば
別れし春の 恨み残すな
国生みの神話のように、いったんは別れたが今こうしてめぐり会えたのだから、都落ちした春の恨みはもう忘れてください
源氏は、亡き桐壺院の追善供養のため法華八講を催すことを優先して準備にかからせた。
東宮に会うと、すっかり成人している。
久しぶりの再会になんのわだかまりもなく顔をほころばせている東宮を、源氏は感慨深く眺めていた。
・東宮は源氏が実の父であることを知らない
学問も相当すすみ、すでに「帝」として国を統治する器量を備えているようだ。
それから、国の根幹を揺るがすほどの秘密を分け合う藤壺の尼宮とも対面したが、きっと二人だけにしか分からない話が山ほどあったであろう。
明石から都まで送って来てくれた者たちが帰るとき、明石の君への手紙をことづけた。
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欧米主要国をはじめ、最高権力者がことごとく女性になりそうな時代が来ている。
次はヒラリー米大統領か。安倍さんは思想傾向の近い稲田朋美
防衛大臣を次の次くらいの首相に考えて
澪標①生前退位
古来、風光明媚な「歌枕(うたまくら)」として名高い。
歌枕--和歌の中に、多く詠みこまれた名所。
法華八講 風俗博物館
法華八講 -- 『法華経』八巻を八座に分け,朝夕一座ずつ四日間で講ずる法会。
両親や祖先を供養する目的で行われる。
普賢菩薩像 風俗博物館
法華八講の本尊は、普賢(ふげん)菩薩。
澪標(みおつくし)
澪標 船が往来するときの標識。
○ みをつくし 恋ふるしるしに ここまでも
めぐり逢ひける えには深しな 光源氏
○ かずならで なにはのことも かひなきに
などみをつくし 思ひそめけむ 明石の君
帖名『澪標』は、これらの和歌による。
和歌では、「身を尽くし」にかけて用いることが多い。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
源氏は、明石から都まで送って来てくれた者たちが帰るとき、明石の君への手紙をことづけた。
紫の上に気づかれないように気を配りながら、情愛こまやかに書いたようである。
「浜辺に寄せる波の音が寂しく聞こえてくる夜は、いかがお過ごしでしょうか。
〇 嘆きつつ 明石の浦に
朝霧の立つやと 人を思ひやるかな」
あなたが嘆きながら夜を明かす明石の浦には、あなたのため息が朝霧のように立ちこめているのではないかと思いやっております」
須磨にいたとき、ひっきりなしの稲光と耳をつんざく雷鳴とともに激しい嵐が吹き荒れて高潮が寓居のすぐ下まで襲ってきたことがある。
そのとき、桐壺院が源氏を助けるためにびしょ濡れの姿で夢枕に立った。
その姿を見て、父が極楽往生できず悪道をさまよいながら苦しんでいることを知り、ずっと心にかけていた。
「父上の罪障を取り除いて、お救いしたい」
今の源氏には、それができる。
神無月(旧暦十月)に、桐壺院を追善供養するため法華八講を催した。
・ 追善供養---死者の冥福を祈って行う供養
都中のすぐれた僧侶たちを招いて、盛大に執り行った。
弘徽殿太后は、「とうとう源氏の君を宮廷から追放することができなかった」と歯ぎしりしたが、
朱雀帝は、「光をよろしく頼む」との故桐壺院の遺言をやっと実現できたことで肩の荷を下ろしていた。
気持ちが軽くなり、眼病も快方に向かった。
しかし、もともと身体が弱く、長生きできそうもないという自覚がある。
近く譲位したいが、愛しい朧月夜のことが気がかりだ。
・ 当時、帝には「生前譲位(退位)の自由」があった
帝は涙ながらに朧月夜に話しはじめた。
「父・太政大臣が亡くなり母・大宮も病を得ておられる上に、わたしの寿命も長くないので、あなたの行末がとても心配です。
以前からあなたは光君に夢中でしたが、わたしの愛情はほかの誰よりも深いものです。
どうか、あなたのことだけを思い続けてきたことを忘れないでください」
・ 私たちには想像しにくいが、朱雀帝と朧月夜は甥と叔母の関係
うつむいている朧月夜の頬から、きれいな涙の粒がとめどもなくこぼれ落ちている。
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今上天皇には「生前退位の自由」どころか「基本的人権」すらないようなものだ。敗戦後、『人間宣言』をした「天皇」は、法的に「国民」なのだろうか。
「国民統合の象徴」は「国民」ではないよう
な気がする。ご存知の方、教えてください
澪標②政権交代
太政官制
トップの「太政大臣」(江戸期における大老に相当)と、光源氏がついた「内大臣」は常設ではない。
大臣の娘は「女御」、大納言の娘は「更衣」として入内する。
更衣は、中宮(皇后)になれない。
元服/加冠の儀
桐壺帝の御前で、後見人の左大臣が、14歳の光源氏に冠をかぶせている。
同日、源氏は3歳年上の左大臣の娘・葵の上と結婚した。
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当ページ関連系図
光源氏 紫の上 朱雀帝 明石の君 東宮
故・桐壺院 弘徽殿大后 故・右大臣 藤壺の尼宮
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
うつむいている朧月夜の頬から、きれいな涙の粒がとめどもなくこぼれ落ちている。
たしかに、源氏は容姿や身のこなしなどため息が出るほど優雅な男だが、それほど深く愛してはくれなかった。
その辺のことを改めて思いかえすと、三年前の出来事が悔やまれてくる。
「若気の至りであのような事件を引き起こしてしまい、源氏の君にまで迷惑をかけてしまった」
・朱雀帝最愛の朧月夜が源氏と寝ているところを、当時権勢を誇っていた父・右大臣に見つかって源氏の須磨下りにつながる
翌年2月の初め、東宮の「元服の儀」が執り行われた。
11歳になる光り輝やく美少年は、源氏と瓜二つ。
そんな東宮を、世間の人々は素晴らしいことと喜び称賛しているが、母親の藤壺尼宮は常にはらはらしながら見守っていた。
いつなんどき、誰かが、源氏ともども墓場まで持っていかねばならない「秘密」に気が付かないとも限らない。
もし宮中や世間にその「秘密」が知れたら、それこそ蜂の巣をつついたような騒ぎになろう。
もちろん、三人とも身の破滅である。
同じ月の20日過ぎに突然、朱雀帝は近いうちに東宮に譲位する旨を発表した。
「生前譲位(退位)」の意思表明である。
このところ大きな問題になっている今上天皇のやわらかな「意思表明」とちがって、100%実現したようだ。
朱雀帝は太上天皇(上皇)となり、朱雀院と呼ばれる。
東宮が即位して、帝(冷泉帝)となった。
あまりに急な展開に慌てふためく弘徽殿大后を、帝がやさしく慰める。
「わたしの立場は変わりますが、これからゆっくり母上とお話しすることができます」
新東宮には、承香殿女御の皇子が立った。
そのころから、世の中の空気が変わって、なにかと華やかな雰囲気になった。
源氏は、内大臣に昇った。
左・右大臣の席が空いていないゆえ、員外の内大臣として加わったのである。
最高位の摂政太政大臣にという話もあったが、源氏は、
「私はまだその任ではありません」と辞退した。
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人生、いつ何が起こるか分からない
澪標③好敵手
内裏(だいり)
内裏には帝や后妃が住み、儀式や執務などを行った。
禁中・禁裏・御所などともいう。
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光源氏 紫の上 朱雀帝 明石の君 前左大臣
冷泉帝 弘徽殿大后 頭中将 四の君 夕霧
雅楽「青海波(せいがいは)」を舞う、ライバル同士の光源氏(左)と頭中将
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
最高位の摂政太政大臣にという話もあったが、源氏は、「私はまだその任ではありません」と辞退。
舅(故・葵の上の父)である前左大臣に譲った。
前左大臣は、 「ますます齢を重ねて、もう立派な政治はできません」といったん断るが、源氏たちの熱心な説得によってなんとか承諾してくれた。
当時としては、かなり高齢の63。
ほんの1、2年前まで宮廷を牛耳って、源氏や左大臣家の人々を圧迫していた故・右大臣はすでに亡く、弘徽殿太后は病気がちで気力も体力も衰えている。
そういう頃合いに、源氏が明石から帰京した。
ほどなく「帝」が故・右大臣の孫の朱雀帝から、源氏が後見人をつとめる冷泉帝に代わった。
ここに、政権交代が完成する。
源氏の親友でライバルの前左大臣の長男・頭中将は、権中納言に昇進した。
若いころは学問や和歌や舞いなどのライバル同士だった両者。
これからは、宮廷における立身出世を競うことになる。
かつて左大臣家と右大臣家との戦いだったのが、源氏と左大臣家の頭中将との争いに移ったわけだ。
ゴールは、藤原道長や後世の平清盛がそうしたように、「帝の外祖父」になること。
すなわち、入内した「娘」の産んだ「孫」を「帝」にして、天下の実権をにぎることだ。
ほどなく、頭中将は正妻の四の君が産んだ12歳になる娘を入内させた。
これによって、頭中将が一歩リード。
娘のいない源氏は、おおぜいの息子や娘に恵まれている頭中将が羨ましくてならない。
というのは、娘のいない源氏は、「帝の外祖父」になりたくてもなれないからである。
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澪標④使者
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葵祭での童殿上
上流貴族の子弟は、行儀見習いをかねて 宮中で働いた。
二千円日本銀行券 (裏)
左:『源氏物語絵巻』の一場面。
第三十八帖「鈴虫」 その二の絵の一部分。
右:『紫式部日記絵巻』の一場面。
紫式部が、同僚の女房である宮の内侍みやのないしの局に来ているときに訪ねて来た斉信ただのぶと実成さねしげ。
作品はともに国宝。『五島美術館』所蔵。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
というのは、娘のいない源氏は、「帝の外祖父」になりたくてもなれないからである。
どうしても娘がほしい。
亡き母(葵の上)の実家である左大臣家で育てられている夕霧は、容姿に恵まれ内裏で童殿上をしている。
童殿上 (わらわてんじょう/殿上童とも)
・平安時代以降、宮中の作法見習いのため、公卿の子弟が元服以前に昇殿を許されて奉仕すること。または、その子供
源氏はことあるごとに左大臣家を訪れ、そのたびに長く仕えている者たちや、夕霧の乳母や女房らに十分すぎるほどの心づけを渡した。
二条院でも、紫の上とともに源氏の帰りを首を長くして待ち続けていた男女に感謝の言葉をかけながらお礼をした。
また、故・桐壺院の所有であった二条院の東隣にある邸を大掛かりに改築した。
むかし関わりのあった女たちで、いまは零落している花散里などのような気の毒な人々を住まわせるためである。
「明石を旅立つとき、悪阻(つわり)でひどく苦しんでいた明石の君は、今ごろどうしているだろう」
一日たりとて忘れることはなかったが、久々の宮廷生活。
公私にわたる忙しさにとり紛れて、手紙のひとつも書いて様子をたずねることはなかった。
三月初め。
「お腹の子は、そろそろ産まれているかもしれない」
使者をつかわすと、数日後、よろこび勇んで帰ってきた。
常任理事国であることの不思議
澪標⑦
平安中期に成立した貴族の住宅形式。中央に寝殿をおいた
寝殿平面図
寝殿造りの中心的な建物。正殿(せいでん)
「こう言うことなのだそうです。妙にうまく行かないものですね。そうおありになって欲しいと思うところには、待ち遠しくて、思っていないところで、残念なことです。女の子だそうなので、何ともつまりません。放っておいてもよいことなのですが、そうもできそうにないことなのです。呼びにやってお見せ申し上げましょう。お憎みなさいますなよ」
とお申し上げになると、お顔がぽっと赤くなって、
「変ですこと、いつもそのようなことを、ご注意をいただく私の心の程が、自分ながら嫌になりますわ。嫉妬することは、いつ教えていただいたのかしら」
とお恨みになると、すっかり笑顔になって、
「そうですね。誰が教えこたとでしょう。意外にお見受けしますよ。皆が思ってもいないほうに邪推して、嫉妬などなさいます。考えると悲しい」 とおっしゃって、しまいには涙ぐんでいらっしゃる。
長い年月恋しくてたまらなく思っていらしたお二人の心の中や、季節折々のお手紙のやりとりなどをお思い出しなさると、「全部が、一時の慰み事であったのだわ」と、打ち消される気持ちになる。
「この人を、これほどまで考えてやり見舞ってやるのは、実は考えていることがあるからですよ。今のうちからお話し申し上げたら、また誤解なさろうから」
と言いさしなさって、
「人柄が美しく見えたのも、場所柄でしょうか、めったにないように思われました」
などと、お話し申し上げになる。
しみじみとした夕べの煙、歌を詠み交わしたことなど、はっきりとではないが、その夜の顔かたちをかすかに見たこと、琴の音色が優美であったことも、すべて心惹かれた様子にお話し出すにつけても、
「わたしはこの上なく悲しく嘆いていたのに、一時の慰み事にせよ、心をお分けになったとは」
と、穏やかならず、次から次へと恨めしくお思いになって、「わたしは、わたし」と、背を向けて物思わしげに、
「しみじみと心の通いあった二人の仲でしたのにね」
と、独り言のようにふっと嘆いて、
〇 思ふどち なびく方には あらずとも
われぞ煙に 先立ちなまし
「愛しあっている同士が同じ方向になびいているのとは違って
わたしは先に煙となって死んでしまいたい」
「何とおっしゃいます。嫌なことを。
〇 誰れにより 世を海山に 行きめぐり
絶えぬ涙に 浮き沈む身ぞ
いったい誰のために憂き世を海や山にさまよって
止まることのない涙を流して浮き沈みしてきたのでしょうか
さあ、何としてでも本心をお見せ申しましょう。寿命だけは思うようにならないもののようですが。つまらないことで、恨まれまいと思うのも、ただあなた一人のためですよ」
と言って、箏のお琴を引き寄せて、調子合わせに軽くお弾きになって、お勧め申し上げなさるが、あの、上手だったというのも癪なのであろうか、手もお触れにならない。とてもおっとりと美しくしなやかでいらっしゃる一方で、やはりしつこいところがあって、嫉妬なさっているのが、かえって愛らしい様子でお腹立ちになっていらっしゃるのを、おもしろく相手にしがいがある、とお思いになる。
澪標⑤娘、誕生
日本の浄土式庭園
「浄土庭園」は、それまでの「寝殿造り庭園」をベースに、
池・島・橋・阿弥陀堂などを配置して極楽浄土を地上に現出した庭
浄瑠璃寺庭園
真言律宗 京都府木津川市加茂町
毛越寺/もうつうじ庭園
天台宗 岩手県西磐井郡平泉町 世界遺産
平等院庭園 世界遺産
特定の宗派に属していない仏教寺院 京都・宇治市
9世紀末、光源氏のモデルの一人とされる源融が営んだ別荘が宇多天皇にわたり、その孫・源重信を経て長徳4(998)年、藤原道長の別荘「宇治殿」となった。
道長は万寿4(1027)年に没し、その子・頼通は永承7(1052)年、宇治殿を「寺院」に改めた。
これが平等院の始まりである。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
使者を遣わすと、数日後、よろこび勇んで帰ってきた。
「十六日前に、女のお子様が無事にお産まれになったそうです」
久しくなかったわが子の誕生。
しかも、待ちに待った娘。
源氏の喜びは一通りではない。
「どうして、都で出産させなかったのか」
今さらながら、後悔した。
かつて、高麗から来ていた優れた占星術師が予言していた。
「お子さまは三人。帝と后がそろってお産まれになられます。
もっとも身分の低いお子は、太政大臣となって位人臣を極められましょう」
須磨へ下ってからの源氏は、わびしい生活が長引くなかで、「占い」と「現実」があまりにもかけ離れているので思い出すこともなかった。
しかし、いまや源氏は内大臣であり、しかも明石に娘が生まれたという。
「占い」が的中する可能性がゼロではなくなった。
亡き正妻・葵の上との間に生まれた夕霧は、出世コースの童殿上をしている。
このまま、順調にいけばーー-。
義母・藤壺尼宮との不義の子は、いろんな曲折をへて、すでに帝位(冷泉帝)に即いている。
墓場までもっていかねばならない「秘密」ではあるが、とにかく「占い」は的中した。
そして、明石の君が産んだばかりの初めての娘。
ただ、この娘が「后」になることは絶望的にむずかしい。
当時の身分社会においては、(受領)地方官の娘である明石の君の娘が、「后(中宮・皇后)」になることはありえなかった。
入内することさえ、きわめて困難である。
大臣以上の娘の娘でないと「女御」にはなれず、「女御」でないと「后」にはなれない。
「更衣」の息子である源氏は、身をもって知らされている。
そこで、娘を、「女御」として入内させるために、源氏は一計を案じることになる。
もし占星術師の「占い」が正しければ、夕霧はいずれ「太政大臣」となり、娘は「后」になるはずだ。
「それにしても、将来「后」になるほどの人が辺鄙な片田舎で産まれたことは気の毒であり恐れ多いことだ。できるだけ早く都へ迎えよう」
源氏はさっそく、東の院の修理と増築を急がせた。
源氏物語の男君たち/日本放送出版協会
両手を広げて清らかな空気を思いっきり吸い込みたくなる浄土系の庭園と、次にくる竜安寺石庭などのピーンと空気の
張りつめた禅宗系の庭園とはみごとに好対照
澪標⑥をとめ子
女房装束 。 瀬戸内寂聴 源氏物語の男君たち [2巻セットDVD]/アネック
十二単(じゅうにひとえ)とも。
平安時代、朝廷の後宮に仕える女房の服装。
国宝「源氏物語絵巻」復元模写 『徳川美術館』所蔵 名古屋市
公家の平常服
立烏帽子(たてえぼし)
・頭部の峰を高く立てたままにして折り曲げない
烏帽子(烏色のかぶりもの)。
檜扇(ひおうぎ) ヒノキの薄板20〜30枚をつづり合わせた板扇
直衣(のうし) 皇族や公卿(上流貴族)の平常服
指貫(さしぬき) 裾を締め括れるように紐を通した袴
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
源氏はさっそく、東の院の修理と増築を急がせた。
「明石のような鄙びた土地には、まともな乳母はいないであろう」
・乳母(めのと) 実母のかわりに乳児に授乳し養育する女性。乳母の子は乳兄弟(めのとご)とよばれて好遇された
源氏はすぐに、将来の「后」の乳母にふさわしい人物をさがした。
ほどなく、故桐壺院に仕えていた宣旨の娘が結婚に失敗して、女手一つで幼い子供を育てながら不如意な生活を送っていることが分かった。
源氏は故院存命のころに何度か会ったことがあるが、家柄も人品骨柄も問題ない。
亡き父も信頼していた。
自ら出向いて、明石に赴いてほしいと頼んだ。
宣旨の娘は辺鄙な土地へ赴くことにいささか不安を感じたようだが、「源氏の君のためでしたら」と快く引き受けてくれた。
摂津の国までは舟で、それから先は馬を走らせた。
宣旨の娘が明石につくと、明石の入道は顔をくしゃくしゃにして喜び、明石の君は満面の笑みでむかえた。
二人とも、このまま源氏から何の連絡もないかも知れないと不安に駆られはじめた矢先だったのである。
とにかく、ひと安心。
明石の君に届けられた山のような荷物の中に、赤ん坊を気遣う手紙が入っていた。
〇 いつしかも 袖うちかけむ をとめ子が
世を経て撫づる 岩の生ひ先
姫君をはやく手元にひきとって私の袖で撫でてあげたい。天女が長い年月、天の羽衣で産まれたての岩を撫でるように
入道はよろこんだり恐縮したり感謝したり、やたらと忙しい。
しまいには、都の方角を向いて手を合わせていた。
明石の君は返歌を詠んだ。
〇 ひとりして 撫づるは 袖のほどなきに
覆ふばかりの 蔭をしぞ待つ
天女の袖ならぬわたし一人の袖はあまりにも小さく姫君のお世話が行き届きません。大きな袖で撫で育んでください
赤ん坊は、不吉なまでに可愛らしい。
宣旨の娘は、都から遠くはなれた海辺の寒村にやってきた寂しさを忘れたかのように、源氏の娘の世話に心をくだいた。
。
。
それは時代が病んでいるからで、多くの人が「自分は死者のように生きている」という鬱屈した思いをこころの奥深くに持っているからではないだろうか。 (中略)
生きるうえでいちばん大切なものはなにかを求め、自分のなかの死滅していたものをよみがえ
らせようとしている 。(『四国遍路』から抜粋)
澪標⑦嫉妬
寝殿造り平面図
平安中期に成立した貴族の住宅形式。中央に寝殿をおいた
寝殿平面図
寝殿造りの中心的な建物。正殿(せいでん)
『東三条殿』復元模型
藤原摂関家の邸。『東三条院』とも。
平安京の貴族邸宅のひとつで、代表的な寝殿造り。
平安初期の藤原良房(よしふさ/藤原北家全盛の礎を築いた)の邸とされ、969(安和2)年に藤原兼家(かねいえ/道長の父)が改築した。
藤原北家
藤原不比等の次男・藤原房前/ふささきを祖とする。
「文学好き」や「歴史好き」の方なら、馴染みの名前が続々とーー。
『源氏物語』関連だけでも、紫式部・道長・定子・定家・公任--。
たまたま載っていないが道長の娘の彰子。『 源氏物語』は彰子のために書かれた。
紫式部と道長の先祖をたどると、ともに冬嗣にいきつく。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
宣旨の娘は、都から遠くはなれた海辺の寒村にやってきた寂しさを忘れたかのように、源氏の娘の世話に心をくだいた。
ところで、源氏はまだ、明石に娘が生まれたことを紫の上に話していない。
もし紫の上が風のたよりかで先に耳にするようなことがあれば、ひどく気を悪くするであろう。
源氏は、源氏なりの弁明をした。
「どうやら、明石に赤ん坊が産まれたようです。
世の中はうまくいかないもので、赤ん坊がほしい所には産まれず、どうでもいいところに産まれました。
しかし、女の子です。
ほっといてもいいのですが、なかなかそうもいきません。
こちらへ呼ぼうと思っていますが、どうか恨みに思わないでください」
紫の上は赤面しながら、
「光君は、たびたび妙なことをおっしゃる。
そのようなご注意をいただくたびに、わたしは自分の心のせまさが嫌になります。
それはそうと、嫉妬ということを、いつどなたに教えていただいたのでしょう」
源氏は苦笑しつつ、
「そうですね。いったい、だれが教えたのでしょう」
紫の上は十歳の少女のころから源氏を父とも兄とも慕い、いつしか愛し合ってきた長い歳月を振り返った。
また、季節の移ろいごとに数限りなく手紙のやりとりなどを重ねてきた事実の積み重ねに思いを馳せた。
そうすることによって、やっと、心の中に余裕のようなものが生まれた。
「光君の浮気心はすべて、一時の気まぐれに過ぎないのだわ」
源氏すなわち紫式部は、平成の世を生きている者には理解しがたいことを語りはじめる。
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サンディアゴ(スペイン)の巡礼路は淡々とした高原の道で、自分の影だけをじっと見つめながら歩く単調な旅です。
一方、四国の遍路道は山もあれば、海辺もあります。
遍路は弘法大師空海と共に歩くという意味から「同行二人」とされますが、山では森や岳、そして海辺では海の神仏たちと出会い、
澪標⑧わたしは、わたし
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若紫(のちの紫の上) 光源氏 藤壺女御 兵部卿宮 尼君 僧都
紫式部の食事(推定)
受領階級(中流貴族)の食事はこんなに品数が多かった?
日常?ハレの日?
伝・土佐光起画 『源氏物語画帖 若紫(のちの紫の上)』
雀の子を逃がしてしまった若紫と、柴垣から垣間みる光源氏。
若紫は、光源氏が恋い焦がれている藤壺と瓜二つであった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
源氏すなわち紫式部は、平成の世を生きている者には理解しがたいことを語りだす。
紫の上が、耳をふさぎたくなるよう事をペラペラしゃべるのだ。
「妻」に、「愛人」(当時)の美点や思い出などをいろいろと説明するのである。
なお、紫の上は「最愛の妻」ではあるが、「正妻」ではない。
葵の上亡きあと、今のところ源氏に正妻はいない。
「誤解されては困るので詳しくは話しませんが、明石の人をそれなりに気づかっているのは、ある考えがあってのことなのです」
そこで、ちょっと言いさして、
「人柄がとても美しく感じられたのは、明石という心寂しい土地柄で会ったからでしょう」
それから源氏は、紫の上を前に、
「しみじみとした夕べ、明石の君と並んでながめた塩を焼くときに立ちのぼる煙、
ほの暗いなかで見た、明石の君の清楚な姿、
なんどか和歌を詠み交わしたとき、明石の君の和歌のみごとな出来栄え、
明石の君が情感にまかせて奏でる、琴の音色の優美なこと」
そんな、明石の君に心ひかれたときの様子を紫の上に話した。
まるで紫の上に嫌がらせをしているような---。
「一夫一婦制」の今と、「一夫多妻制」の当時とは男女の関係にかかわる感覚がいくぶん違うのだろうが。
紫の上はもちろん、心中おだやかではない。
「わたしは都でひとりさびしく光君のお帰りをお待ちしていたのに、光君はたとえ一時の気晴らしだったにせよ、明石の人に情をかけておられたのだわ」
だんだん恨めしさがつのって、「わたしは、わたし」とそっぽを向いた。
「お二人はずいぶん仲がよくて、心が通いあっておられたのですね」
紫の上は、ひとり言のようにつぶやいた。
時の権力者をわたり歩いた「渡り鳥作戦」が、この日のためだったのであれば、素直に脱帽します。
自民党および公明党と対立した形で都知事選に
圧勝したゆえ、腐臭を放つ都政の大掃除ができる
澪標⑨五十日の祝
風俗博物館 京都市
薫(かおる)の五十日の祝 / いかのいわい
国宝『源氏物語絵巻』より再現 「柏木」から
平安朝の貴族社会で行われた通過儀礼の一つ。
生誕50日目の夜、餅をすりこぎでつぶして重湯にいれ、新生児に含ませた。
すり鉢とすりこぎ
すりこぎは、すり鉢で物をすりつぶすのに用いる棒。
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左から、琵琶・琴・和琴・箏
日本で、「こと」と呼ばれる楽器は5種類。
①琴(きん) ②箏(そう) ③和琴(わごん)
④一絃琴 (いちげんきん/須磨琴とも) ⑤二絃琴 (八雲琴)
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
紫の上は、ひとり言のようにつぶやいた。
〇 思ふどち なびく方には あらずとも
われぞ煙に 先立ちなまし
愛しあっているお二人が同じ方向になびくのとはちがって、わたしはその二条の煙に先だって死んでしまうのかしら
源氏は心底おどろいた。
〇 誰れにより 世を海山に 行きめぐり
絶えぬ涙に 浮き沈む身ぞ
このつらい世の中、私はいったい誰のために海や山をさまよいながら絶えず涙を流して浮き沈みしてきたのでしょう
源氏は近くにあった「箏の琴」を手元に引き寄せ、ちょっと音を確かめてから紫の上に勧めた。
話題を変えようと思ったのだろう。
しかし、紫の上は「箏の琴」に手を触れようともしなかった。
つい先ほどの源氏の言葉が、耳に残っているからである。
「(明石の人が)、情感のままに奏でる、琴の音色の優美なこと」
紫の上はおっとりとしたやさしい佳人だが、一面、気丈なところもある。
源氏は、そんな頑なな紫の上を好ましく思っている。
「この五月五日が、五十日目になる」
源氏は、明石に娘が生まれてからの日数をひそかに数えていた。
「もし都で産まれていたら、どんなことでもしてあげられたのに残念なことだ。
よりによって、あのような片田舎で産まれたとは」
とにかく、源氏は使者を立てた。
山と積まれた豪華な荷物の中には、赤ん坊に必要な実用的な品々もたくさんあった。
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澪標⑩乳母と女房
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関心がないと、面白くもおかしくもない無味乾燥な登場人物の系図(一部)です。
興味津々だと、眺めているうちに光源氏とヒロインたちが織り成した悲喜こもごもの恋愛模様が絵巻物のように脳裏に浮かんできます。
紫式部『源氏物語』vs『枕草子』清少納言
清少納言(966?~1025?)と紫式部(978~1016)は、宮仕えの時期が重なっていたのかどうかは不明。
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一級の文化人である一条天皇は、定子や清少納言らが形成している『文化サロン』に入り浸っていた。
「天皇の外祖父」となって天下の覇権を握りたい道長は、一条の足を彰子の部屋に向けさせなければならない。
そこで、紫式部に『源氏物語』の執筆を依頼、膨大な量の紙や筆や墨などにとどまらず全面的にバックアップした。
藤原道隆亡きあと、弟の道長と息子の伊周(これちか)・隆家兄弟とのあいだで骨肉相食む権力闘争が勃発する。
ワクワクしてきた方は、ぜひ『大鏡』をご一読ください。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
山と積まれた豪華な荷物の中に、赤ん坊に必要な実用的な品々もたくさんあった。
明石の入道は、源氏が娘や孫娘のことを気にかけていることを知ると、そのたびに他愛なく感激の涙をながす。
「自分がもともと属していた上流社会にひとり娘を嫁がせたい」という年来の願いが達成されようとしている喜びも大きいのだろう。
入道自身ももちろん、財力にまかせて孫娘の「五十日の祝」のために盛大に祝いの品々を用意していた。
しかし、もし源氏からの華やかで洗練された贈り物がなかったならば、あたかも、「闇の夜の錦」のように地味で見栄えのしないものになっていたに違いない。
乳母は明石の君の人柄の良さもあって、明石での暮らしがさほど辛いものでなかった。
また、ほどなく、源氏が赤ん坊の世話をしてくれる旧知の女房たちを数名つけてくれた。
乳母 生母に代り、子ども(主人)に乳を飲ませ、養育する女性
子どもの監督者のような立場にもあり、一般の女房とは別格
女子の乳母は、その子の婚家に同行するなど生涯付き添う
時代ははるかに下るが、徳川家光の乳母である春日局が有名
女房 宮中や貴族の家に仕えた女性
乳母と女房たちは、ヒマさえあれば世間話に興じた。
やはり話題はなつかしい都のことであり、その中心は源氏であった。
「源氏の君がいかに容姿端麗で、男の魅力にあふれているか。
都の人々にどれだけ慕われ、かつ尊敬されているか」
源氏の素晴らしさがまるで自分の誇りであるかのように、彼女たちは同じところをぐるぐる回りながら長話にいそしんだ。
そんな彼女たちの世間話が思わぬ副産物を生んだ。
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澪標⑪世の移ろい
紫の上と光源氏 風俗博物館/京都市
吉永小百合の紫式部 & 常盤貴子の紫の上
映画『千年の恋 ひかる源氏物語』から
内裏(だいり)
清涼殿(せいりょうでん) 帝の日常生活の場所
承香殿(しょうきょうでん)
淑景舎(しげいしゃ/桐壺) ・昭陽舎(しょうようしゃ/梨壺)
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
そんな彼女たちの世間話が、思わぬ副産物を生んだ。
源氏との身分違いを意識して卑屈になっていた明石の君に、女としての自信を持たせたのである。
「都中の人々から敬愛されている源氏の君がこの上なく大切に思ってくださる姫君を産んだわたしって、大したものだわ」
よく分からない「女心」だが、おそらく、子宝に恵まれない紫の上と対比してのことだろう。
紫の上は源氏「最愛の妻」としての地位は終生ゆるがないが、客観的状況はしだいに哀しみの色が濃くなってゆく。
ちなみに、源氏とふかく関わりのあった女性はその多くが出家する。
理由はそれぞれだが、『平家物語』の女性たちが、「来世を信じて、極楽浄土に憧れて」出家したのとは違う。
朱雀院は退位後に気楽な立場になると、四季折々につけ、日がな一日、風雅な詩歌管弦の遊びに興じている。
在位期間中、「内裏」で仕えていた女御や更衣たちはそのまま「院の御所」に移っていた。
ただ、東宮(系図では今上帝)の母である承香殿女御は、朱雀帝(当時)にとり立てて寵愛されることもなかったので、「院の御所」には移らず「内裏」に残って東宮に付きっきりで世話をしている。
先代の故桐壺帝が源氏の母・桐壺更衣を溺愛したように、朱雀院は、源氏を愛していることを知りながら朧月夜を偏愛した。
源氏の宿直所は、幼少のころから馴染んでいる「淑景舎」である。
・宿直所(とのいどころ) 宮中で官吏が宿直する所
・淑景舎(しげいしゃ) 庭に桐を植えてあったので通称「桐壺」
女御や更衣の住居。清涼殿から最も遠い東北隅にある
源氏は四歳の頃から、父の計らいで桐壺で暮らした
東宮は南隣の「梨壷」にいるので、源氏はたびたび足を運んで相談にあずかった。
藤壺尼宮は出家後しばらく右大臣一派に遠慮して参内しなかったが、時代の風向きが変わって「准太上天皇」になると気ままに内裏に出入りするようになり息子の冷泉帝と面会した。
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澪標⑫好敵手
藤壷女御→藤壺中宮→藤壺尼宮→藤壺准太上天皇
光源氏の「理想の女性」 (5歳年長) 風俗博物館/京都市
冷泉帝は、夫・桐壺帝ではなく光源氏とのあいだの不義の子
源氏物語が長く「禁断の書」だった要因?「万世一系」の建前が崩れる
若紫→紫の上
光源氏「最愛の妻」 (8歳年下 藤壺の姪) 風俗博物館
棊局/ききょく 碁盤
聖武天皇遺愛の碁盤 東大寺正倉院
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光源氏 紫の上 朱雀帝 明石の君 明石入道 弘徽殿大后 故・桐壺院 冷泉帝 兵部卿宮
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
藤壺尼宮は出家後しばらく右大臣一派に遠慮して参内しなかったが、時代の風向きが変わって「准太上天皇」になると、気ままに内裏に出入りするようになり息子の冷泉帝と面会した。
そんな藤壺を遠くから眺めながら、一時の隆盛はどこへやら、すっかり凋落した弘徽殿大后は嘆くほかなかった。
「有為転変は世の習い、とは言いながら情けないことになったものよ」
兵部卿宮(藤壺の兄)は、桐壺院が亡くなって右大臣一派が宮廷を牛耳るようになると、権力者の右大臣におもねって、実の娘である紫の上からの手紙に返事をよこさなくなった。
昔から気が合って親しく「碁盤」を囲んできた源氏にも、よそよそしい態度をとるようになる。
源氏が流謫地(須磨・明石)から都にもどって宮廷政治に復帰したとき、失意のころに兵部卿宮から受けた思いも寄らなかった冷たい仕打ちを忘れてはいなかった。
源氏は世間の人々にはいたって優しく接したが、宮に対してだけは冷淡な態度を取りつづけて藤壺を悩ませた。
宮は正妻とのあいだの娘を入内させようと、幼いころからしかるべき教養を身につけさせてきたが、源氏は取り合おうとしなかった。
宮廷政治は、源氏(この頃は、内大臣)と頭中将(権中納言)の二人で取り仕切っている。
☆源氏も頭中将も出世して「地位」が上がるたびに「呼び名」
が変わるが、混乱するので、「源氏」と「頭中将」で通します。
なお、頭中将は、源氏の正妻・葵の上の兄。
若いころから学問や文芸、音楽・舞いなどで競ってきた二人は、いよいよ政治の世界におけるライバルとなる。
頭中将は娘をその年の八月に入内させて、一歩リードした。
娘は冷泉帝の「第一夫人」となり、内裏の後宮でもっとも格式の高い弘徽殿にはいって弘徽殿女御となる。
源氏の母・桐壺更衣をいじめ殺したのも弘徽殿女御
呼び名が同じなのに別人であることが多いので、厄介です
祖父の太政大臣が入内の儀式を執りおこない、たいそう立派なものになった。
その年の秋、源氏は「願ほどき」のため住吉大社に参詣した。
・願ほどき 神仏に、祈願がかなったお礼参りをすること
あらかじめ命じられていたのか、あるいは全員が思わず立ち上がって拍手したのか。
「全体主義」の中国や北朝鮮と、どこが違う。
いまの自民党議員は、あまりにも情けない。
気持ち悪いほど、安倍さんの意のままに動く。
「右向け、右」、「回れ、右」、「後ろへ、進め」。
あなたの選挙区の自民党の先生はどうなんでしょう。
国民が、地元の有権者が、自分の「屈辱的な行動」を見ていると思わないのだろうか。
安倍一強の自民党内は、「恐怖政治」が支配しているのか。
25日に中国経由で来日するフィリピンのドゥテルテ大統領は、自らを「ヒットラー」になぞらえています。
沖縄に対する安倍政権の高圧的な姿勢が、悲しいほどに投影している。警察官が、沖縄の方に「土人」、「バカ」、「シナ人」などと。
絶対反対。石川健治氏の背景はよく知りません
澪標⑬住吉詣
太政官制
トップの「太政大臣」(江戸期における大老に相当)と、「内大臣」は常設ではない。
大臣の娘は「女御」、大納言の娘は「更衣」として入内する。
更衣は、「中宮/皇后」にはなれない。
源氏一行の住吉詣
住吉大社本殿 大阪市
「住吉の神」は、イザナギノミコトが黄泉の国から戻って、禊祓(ミソギハラエ)をしたとき、海の中から現れた。
『住吉大社の歴史』によると、211年、神功皇后により「住吉大神」が鎮祭された。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
その年の秋、源氏は「願ほどき」のため住吉大社に参詣した。
願ほどき 神仏に、祈願がかなったお礼参りをすること
上達部や殿上人らが我もわれもとお供を申し出て、まれに見る盛大かつ華麗な行列になった。
上達部 (かんだちめ) 公卿のこと
公 摂政・関白・太政大臣・左大臣・右大臣・内大臣
卿 大納言・中納言・参議・従三位以上の非参議
殿上人 (てんじょうびと)
官職が三位以上、または四・五位のうちで昇殿を許された者
噂がうわさを呼んで、沿道には、源氏を一目見ようと大勢の老若男女が押し寄せて騒ぎ立てている。
ちょうどその時、明石の君も春と秋の恒例にしている住吉詣にやって来るところだった。
出産や育児で何度か参詣できなかったので、そのお詫びも兼ねて思い立ったのである。
明石から、舟でやって来た。
波打ち際に向かって舟を漕いでいると、大勢の人々が渚にひしめいて動き回っているのが見えた。
住吉大社の参詣人たちのようで、貴重な奉納品を捧げもっている。
容姿にすぐれた楽人が十人ほど、きらびやかな衣装を身に着けて整然と並んでいる。
「どなたが、参詣なさっておられるのですか」
明石の君 の供の者が、浜辺に向かって大声でたずねると、
「源氏の君が願ほどきに参詣されていることを、ご存知ない方がおられるのですか」
身分の低そうな男が、あきれ顔で得意そうに笑った。
思いもしなかったことを聞いて、明石の君は心の中でつぶやく。
「まさか、源氏の君が参詣される日と重なるなんて。いくらでも他の日があったでしょうに。
豪華絢爛とした御一行のご威勢を目の当たりにすると、自分の身の程があらためて情なくなるわ」
思えば、明石の君は、明石で侘び暮らしをしていたころの源氏しか知らない。
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住吉大社/學生社
岡山の宣伝をする義理はありませんが、当地は気候温暖で私が知るかぎり自然災害はゼロです。東日本大震災の
被災者の皆さんの移住先は岡山がダントツ一位
澪標⑭従者たち
....光源氏と惟光/これみつ
2008年 たけふ菊人形展:『源氏物語絵巻』から
惟光や良清ら光源氏の従者たちは、明石の君の父親と同じ受領階級/地方官=国司・国守、知事に相当
半蔀車/はじとみぐるま
牛車(ぎっしゃ)の一種。上皇・摂関・大臣・大将が使用した
in宇治市源氏物語ミュージアム
浜の館跡
明石入道の邸宅跡
須磨から明石についた光源氏は、「浜の館」で暮らすことになる
兵庫県明石市大観町 善楽寺戒光院
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
思えば、明石の君は、惟光(これみつ)らほんの数人の従者とともに侘びしく暮らしていたころの源氏しか知らないのだ。
たしかに、えもいわれぬ気品のある顔立ちをしていた。
しかし、華麗な衣装に身を包んでいたり、おおぜいの女房たちにかしづかれたりして何不自由なく暮らしている源氏を目の当たりにしたことは一度もない。
亡き桐壺帝の皇子だが臣籍に降っていることは父の入道から聞いてはいたが、今、目の前にしているような絶大な権勢を誇っている姿などもちろん想像したこともなかった。
あれこれ考えているうちに、少しずつ気持ちが晴れてきた。
「たまたま参詣の日が重なったのは、産まれたばかりの姫君がわたしたち両親のためにとりもってくれた縁なのかもしれないわ。
それにしても、さっき身分の軽い者が源氏の君にお仕えしていることをさも誇らしそうに話していたのに、片時も忘れずにお慕いしているわたしがまるで御参詣のことを知らなかったとは」
明石の君は不意に寂しくなって、両の目から涙があふれた。
惟光と良清(よしきよ)をはじめ、何人か見知っている源氏の従者たちの顔もある。
明石にいたころは女手のないなか、源氏のために食事の用意や掃除、洗濯など日常的な家事を甲斐甲斐しくこなしていた。
それが、今はそろって颯爽とした馬上姿。
あざやかな緋色の服装のためでもあろうか、まことに華やかな雰囲気を身にまとっている。
それぞれ、十名ほどの部下を率いているようだ。
行列の中央あたりに源氏をのせた牛車が悠然と進んでいるが、明石の君は心が締め付けられてまともに見ることができない。
源氏物語が面白いほどわかる本―日本が誇るラブロマンがマンガより楽しく読める/中経出版
読書と日本人 (岩波新書)/岩波書店
一般公募の「標語」があるとは知らなかった いざ、読書。
東京・江戸川の「本のソムリエ」はスゴイ!!
澪標⑮雲居はるか
童随身 わらわずいじん 随身は、お供。
『源氏物語絵巻』メトロポリタン美術館本の、「澪標 みおつくし」の童随身。
角髪 総角/あげまきとも
古代における、貴族男性の髪型。
16歳の聖徳太子が父・用明天皇の病気が治るよう祈願している姿。
元結 歌川国芳
元結もとゆいは髪の髻もとどり を頭の上に集めて束ねた所) を結び束ねる紐。
握り鋏を、元結の上あたりに当てている。
一般に、「元結を切る」ということは髪を下ろして出家することを表す。
河原左大臣=源 融 とおる
源融(822~95)は嵯峨天皇の十二男で、光源氏のモデルのひとり。
現存するゆかりの地
京都 / 清涼寺・宇治平等院・上徳寺・本覚寺・渉成園
大阪 / 太融寺
○ みちのくの しのぶもぢずり たれ故に
乱れそめにし われならなくに 古今集◇百人一首
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
行列の中央あたりに源氏をのせた牛車が悠然と進んでいるが、明石の君は心が締め付けられてまともに見ることができない。
源氏は河原左大臣の先例にならって、冷泉帝から十人の童随身を預かってきていた。
童随身たちはそれぞれ美しい装束を着てみずらを結い、紫の裾濃の元結が優美である。
・裾濃/すそご
同系色で、上方を淡くし下方をしだいに濃くする染め方or織り方
しかも、十人全員の身長や容姿がそろっている子供たちの行列はとても華やかで可愛らしい。
また、源氏は亡き正妻・葵の上が産んだ長男の夕霧をことのほか大切に思っているようだ。
夕霧の馬に付き従う供の者や童たちはみんな見事な揃いの衣装で、他のグループとは明確に区別している。
明石の君には、目の前に繰り広げられている一大ページェントが遙かな雲のかなたの出来事にしか思えない。
その荘厳ともいえる行列を眺めているうちに、姫君が明石の片田舎で産まれ育てられているのが悲しくなった。
腹違いの兄・夕霧の、なんと堂々として立派なこと。
私の産んだ娘は、あの中に入っていけるのだろうか。
「わずかばかりの捧げ物をしても、住吉の神の目には留まるまい。難波に舟を泊めて、お祓いだけでもしよう」
上陸はせず、難波に向かって舟を漕がせた。
源氏はすぐ近くまで明石の君がきていたとはつゆ知らず、夜通し、楽や舞など住吉の神が喜びそうな神事を奉納した。
渉成園/しょうせいえん 枳殻邸/きこくてい
徳川家光から約一万坪を寄進され、石川丈山の趣向を取り入れた作庭がなされている。
六条御息所の邸宅をもらい受けた光源氏が、豪華絢爛たる『六条院』を築いた跡とされる。
ただし、当園発行の「図録」は、(なんの必要があるのか) 『源氏物語』との関わりを否定していた。
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うすら寒い世の中の風潮が垣間見える。
女性アイドルグループを使って、軍服姿に国民を慣れさせようとしていると受け取るのは深読みに過ぎるか。
秋元康氏はかつて「組閣ごっこ」とやらで、首相官邸の階段で安倍晋三自衛隊最高指揮官と並んでいるところを写真週刊誌『フライデー』に撮られている。
26万1580枚を売り上げ、女性アーティストのデビューシングル初週売り上げ歴代記録を塗り替えた『サイレントマジョリティー』のときの服装も、軍服の一歩手前といえなくもない。
秋元康宅
秋元さんを芸術家 (「詩人」と「作詞家」は似て非なるもの) とはまったく思わないが、安倍晋三さんを自宅に招いて、それに一国の首相が応じるほど政治権力と馴れ合っていたとは。
お隣の韓国では、40年来の友人との親密な関係が発覚して、朴槿恵大統領の進退問題が取り沙汰されている。
この癒着は、欅坂46の女の子たちが「ナチス風の軍服」を着せられていることにつながる。
ほとんどが十代の本人たちはともかく、親御さんたちから「疑問の声」が上がらないのか。
世界中から、特にユダヤ系の団体から抗議が殺到している。
「現行憲法」および「自民党改憲草案」比較表←クリック
聴くだけなので、目に負担はかかりません
澪標⑯身を尽くし
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住吉大社境内地図
「摂津国一の宮」という社格で、全国約2300の住吉神社の総本社。
お祓い・航海安全・和歌・農耕の神。
現光寺//源氏寺
光源氏が都を落ちて侘び住まいした住居跡。 神戸・須磨区
阪神・淡路大震災による倒壊後、再建。浄土真宗本願寺派
近くに、『平家物語』ゆかりの「須磨寺」 ← 一見の価値あり
澪標/みおつくし
船が往来するときの標識
○ みをつくし 恋ふるしるしに ここまでも
めぐり逢ひける えには深しな 光源氏
○ かずならで なにはのことも かひなきに
などみをつくし 思ひそめけむ 明石の君
帖名『澪標』は、これらの和歌による。
和歌では、「身を尽くし」にかけて用いることが多い。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
源氏はすぐ近くまで明石の君がきていたとはつゆ知らず、夜通し、楽や舞など住吉の神が喜びそうな神事を奉納した。
惟光のように若いころから苦楽を共にしてきた従者は、神への感謝の念を源氏と共にしている。
社殿の奥から出てきた源氏に、惟光、
○ 住吉の 松こそものは かなしけれ
神代のことを かけて思へば
住吉の松を見るにつけて感慨無量でございます。須磨・明石での侘しかった流謫の日々を思えば
源氏は遠い日々を思い出すかのように、
「住吉の神は、霊験あらたかであったな」
・霊験 れいげん / 神仏などの超自然的存在が人間の求めに応じて
不思議な現象を出現させること
○ 荒かりし 波のまよひに 住吉の
神をばかけて 忘れやはする
須磨ノ浦に波風が荒れ狂った夜の凄まじさ、必死に念じた住吉の神の御加護をどうして忘られようか
惟光が、舟で近くまでやってきた明石の君が絢爛豪華な源氏一行に気後れしたのか、住吉詣をすることなく引き返したことを伝えると、
「そうだったのか、知らなかった。気の毒なことをしたものだ」
源氏も、ただの偶然とは思えなかった。
「住吉の神のお導きに違いない。 せめて手紙を書いて慰めてやりたい。きっと、つらい思いをしていることであろう」
○ みをつくし 恋ふるしるしに ここまでも
めぐり逢ひける えには深しな
身を尽くして恋い慕っている甲斐があって、ここでめぐり逢えた私たちは縁の深いことです
惟光は、明石での事情を知っている者に手紙を持たせた。
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