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Channel: 吉備路残照△古代ロマン
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平家物語の群像 六代と文覚⑨父の足跡を訪ねる

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$吉備路残照△古代ロマン-浜の宮王子社 浜の宮王子社


頼朝は何かにつけて、文覚に手紙を寄越した。

決まって、次のような文面のやりとりになる。

六代御前の成長ぶりは、いかがですか。文覚房がむかし、この頼朝を占ったように、朝敵を征伐して、維盛殿の恥をすすぐほどの器量ですか」

「いやいや、六代殿は底抜けの愚か者です。ご安心ください」

「もし六代御前が謀反を起こせば、貴僧はその片棒を担ぐお人だ。しかしながら、頼朝が生きている間は、だれにも手出しはさせません。ただ、子や孫の代にはどうなるか……」

ふたりの間に交わされる手紙の内容を聞きつけた新大納言は、心配して改めて強く勧めた。

「六代、今すぐに出家なさい」

16歳になる文治5年(1189)の春、六代は美しい髪を肩の辺りで切り落とし、すぐに修行に出た。

斎藤五宗貞斎藤六宗光が、お供する。

まず高野山へ上って、父・維盛を仏道に導いた滝口入道時頼を訪ねた。

父の出家のいきさつや臨終の様子などを詳しく聞いて、それから父の足跡を訪ねようと熊野権現に参詣した。

浜の宮という王子社から、父が渡ったという沖合に浮かぶ島を眺めているうちに六代も渡りたくなったが、吹きつける波風が激しくてかなわない。

打ち寄せる白波にたずねてみた。

「父上は、どの辺に沈まれたのか」

六代には、浜辺の砂が父の遺骨のようになつかしく、海女の衣ではないが、袖が涙で乾くことがなかった。


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「1票の価値」は全ての国民に平等であるべきなのに、現状は最大で2.43倍の格差がある。都会の人口密集地に住んでいる佐藤太郎さんより、過疎地の田中花子さんのほうが、選挙の際に大きな影響を揮えるわけだ。

こうした不平等な状態で行われた「昨年12月の衆院選」を、広島高裁は「違憲無効」とした。
政治の怠慢が、司法によって初めて断罪された。

平家物語の群像 六代と文覚⑩六代と文覚の最期

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$吉備路残照△古代ロマン-毬杖  毬杖(ぎっちょう)

その頃の朝廷は、壇ノ浦で入水した安徳天皇の異母弟・後鳥羽上皇の時代だが、後鳥羽は政治をほったらかして詩歌管弦や遊興にうつつを抜かしていた。

政治は乳母の卿の局(藤原範子)が好き放題に取り仕切って、世情は乱れ、心ある人々は嘆いていた。

古今東西、上の好むところに下の者が従うのが世の習いである。

呉王・闔閭(こうりょ)は、剣客を好んだので、天下に怪我人が絶えなかった。

楚王・霊王(れいおう)は、ほっそりした腰つきの女性を好んだので、宮中に飢え死にする女性が多かった。


守覚法親王は優れた人物で、学問を怠らなかった。

文覚は、伊豆に流されていた頼朝をそそのかして、平家を打倒させたほど政治好きの野心家である。

建久10年(1199)1月13日、頼朝が53歳で亡くなると、文覚は守覚法親王を皇位につけようと、謀反を起こした。

だが、たちまち企てが露見。

80歳すぎの高齢で召し捕られ、隠岐に流される。

都を落ちるとき、文覚は地団駄を踏んだ。

「これほどの老骨を都の片隅ではなく、はるばる隠岐まで流すとは。毬杖(ぎっちょう)狂い(後鳥羽)は許せん。いまに見ろ、わしが流される国に必ず迎えてやる」 

後鳥羽があまりに毬杖に夢中だったので、文覚はそんな悪態をついたのだ。

承久3年(1221)、後鳥羽が承久の乱を起こして失敗。

鎌倉幕府によって隠岐へ流されたのだから、文覚との宿縁の深さが思われる。

文覚の亡霊が現れて、後鳥羽にいろいろ話をしたという。


六代は、父・維盛の足跡をたどったあと、三位禅師と称して高雄の神護寺で仏道修行していたが、やはり六代の存在が不安な頼朝によって、捕らえられた。

「六代御前は、維盛郷の子であり文覚房の弟子。頭を剃っても、心までは剃るまい」 

六代は東国に連行され、相模の田越川のほとりで斬られた。

12歳より30余歳まで命を保てたのは、ひとえに長谷観音の御利益といわれた。

こうして、平家は名実ともに絶える。

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中国の習近平主席は就任演説で、「戦争に必ず勝てる軍事力をもつ」と公言するし、北朝鮮の金正恩第1書記は、「核には核で応じる」などと物騒なことをいう。

平家物語の群像 建礼門院①壇ノ浦から都へ

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$吉備路残照△古代ロマン-平徳子1 海中から引き上げられる
……建礼門院 (平徳子)

壇の浦の戦いにおける壊滅的な敗北によって、平家一門は実質的に滅び去った。

そして、六代の死によって、嫡流が絶えた。

その六代の死をもって、全12巻からなる『平家物語』の本編は終わる。

その後に、『灌頂(かんじょう)の巻』が添えられている。

壇ノ浦に身を投げるが、海底に沈んでゆくとき源氏の武者によって引き上げられた建礼門院徳子の後日譚である。


徳子は、平清盛時子(二位の尼)の娘で、高倉天皇に嫁して安徳天皇を産んだ。

いわば、栄華を極めた平家一門の象徴のような存在である。

源平の最終合戦に決着がつくと、源義経によって都へ連れ戻された。

そして、文治元年(1185)5月1日、東山の麓の吉田に住居を与えられる。

もとは奈良法師の僧坊だった草庵で、家屋も庭も荒れ果てていた。

廃屋同然で、雨風も凌げない。

季節柄、花は色とりどりに咲いてはいるが、手入れする人はいなかったようだ。

月は夜ごとに射し込むが、ともに眺め明かす相手はいない。

かつては、高倉中宮として宮中の奥深く、錦の帳の内で暮らしていた。

しかし、今や、夫や親・兄弟姉妹・子供など縁の深い多くの人々と幽明境を異にしている。

陸に上った魚のように、あるいは巣を離れた鳥のように孤独である。

瀬戸内海を源氏勢に追われて逃げ惑った波の上、せまい船室で二位尼安徳女房たちと肩を寄せ合って暮らしていた日々すら懐かしく思われる。

悲しみと寂しさは言葉にならない。



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平家物語の群像 建礼門院②出家

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$吉備路残照△古代ロマン-安徳天皇御衣幡 安徳天皇御衣
…… 京都・東山 長楽寺


草庵に入った日、建礼門院は落飾した。

戒を授けたのは、長楽寺の阿証坊上人・印西

御布施として、建礼門院は故・安徳天皇の直衣(のうし:皇族や貴族の平常服)を納めた。

安徳が祖母・二位尼に抱かれて、海に飛び込む直前まで身に着けていた直衣である。

形見にしようと、わざわざ壇ノ浦から持ってきた。

息子の残り香が、まだ消えていない。

どんなことがあろうと手離すまいと心に決めていたが、他に御布施とするような物はなく、またわが子の菩提を弔うためにも涙をのんで納めた。

印西はその直衣を受け取ると、涙にくれながら退出する。

そして、その直衣を長楽寺の(ばん:仏前に垂らす旗)に縫いこみ、仏前に掛けた。


平徳子は15歳のときに女御(にょうご)の宣旨(せんじ:朝廷の命令)を受け、16歳で中宮となり、高倉天皇の寵愛を受けた。

22歳のときに言仁(ことひと)親王が生まれて皇太子に立ち、そして安徳天皇になると、徳子は院号を受けて建礼門院と名乗る。

清盛の娘である上に、国母(天皇の生母)である。

平家華やかりし頃は、建礼門院に対する世間の人々の敬愛の念は並大抵のことではなかった。


蝶よ花よと育てられた平徳子は、源平の争乱をへて天地がひっくり返ったように、境遇が様変わりした。

時に、29歳。

桃の花のような妖艶な容色も、芙蓉の花のような華麗な姿もまだ衰えてはいないが、ヒスイのかんざしで髪を飾ったところで何の意味があろうと思われ、髪を下ろした。

憂き世を離れて仏道を志したが、嘆きは尽きることがない。



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平家物語の群像 建礼門院③後悔と悲しみ

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$吉備路残照△古代ロマン-二位尼入水 二位尼、安徳を抱いて入水


ふとした時、建礼門院には、あの壇ノ浦における壮絶な、しかし白昼夢のような光景がよみがえってきた。

孫の安徳天皇を身体が離れないようにしっかりと抱いて、真っ先に海に飛び込んだ二位尼

二人のあとを追うように、女房たちが次々に海に身を投げる。

しばし、海上が女房たちの鮮やかな衣装の色に染まった。

それから、海の底に向かって長い黒髪をなびかせながら沈んでゆく。

建礼門院自身も、身を投じたのだが……。

今、ここに、こうして、いる。


思い起こすたびに、決まって後悔のほぞをかんだ。

わたしはなぜ、源氏の武者に海中から引き上げられたのか。

身体につけた「重し」が十分ではなかったのか。

二位尼はなぜ、わたしに任せず自ら孫の安徳を抱き上げて入水したのか。

わたしの死への覚悟が足りないことを見透かしていたのか。


建礼門院は、生き長らえたことが今さらながらに辛かった。

幼いころからの自分の来し方を思うにつけ、遣る瀬なくて悲しくて涙が止まらない。

夜は、眠ることはおろか、まどろむことさえ出来ない。

雨の夜は、ひと晩中、屋根や窓をたたく陰鬱な雨の音を聞いて夜を明かした。


はたして、人の不幸や悲しみの大小を比較できるものかどうか……。

『平家物語 (灌頂の巻)』の作者は、建礼門院の悲しみの大きさを、中国の故事を借りて、あらまし次のように描く。

唐の玄宗皇帝は稀代の美女・楊貴妃を寵愛するあまり、宮廷に仕えている他の官女たちを見向きもしなかった。

玄宗に相手にされない、飼い殺しの憂き目にあっている官女たちの悲しみよりも、建礼門院の悲しみの方が大きかったというのである。


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平家物語の群像 建礼門院④洛北・大原の里へ

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$吉備路残照△古代ロマン-花橘 花橘(はなたちばな)


むかしを偲ぶよすがにしようと以前の住人が植えていた花橘のやわらかな匂いが、風にのって漂ってきた。

建礼門院がその香りをかいでいると、ほととぎすが二声三声鳴きながら飛んで行った。

花橘とほととぎすの取り合わせに興趣を覚え、硯の蓋にしたためた。

○ほととぎす 花橘の 香を止めて 鳴くは昔の 人や恋しき


季節が移ろって、夜がしだいに長くなった。

荒れ放題の生垣(いけがき:植物を刈りこんで作った垣根)は、草木の生い茂った野辺以上に露に濡れ、秋の虫たちの鳴き声も哀れである。

かつて中宮として時めいていた頃とちがって、今は自分のことを気にかけてくれる人はいない。

そんな時、藤原隆房の北の方や、坊門(藤原)信隆の北の方が、人目を忍んで訪ねて来てくれた。

どうやら、平清盛の娘たちのうち藤原氏北家の有力者に嫁いだ娘たちは、源平対立の外側でわりと自由に暮らせたようだ。

建礼門院は、「お姉さんや妹のお世話になるなんて、思いもしなかった」と、改めてわが身の境遇をかえりみて涙した。


「ここは都に近いし、人の目も多い。いやなことを見聞きしないですむ山奥で暮らしたい」

と思っていた頃、ある女房が教えてくれた。

「大原の寂光院は静かです」



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平家物語の群像 建礼門院⑤寂光院への道行

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$吉備路残照△古代ロマン-寂光院  寂光院
 (じゃっこういん:天台宗) 左京区大原

「山里はもの寂しいでしょうが、何かと辛いことの多い世間よりは住みやすいことでしょう」

建礼門院は、亡き安徳天皇平家一門を供養するためにも草深い大原の里に隠棲することにした。

輿(こし)など必要な物は、である藤原隆房の北の方が用意してくれた。

兄・平重衡の北の方・大納言典侍(だいなごんのすけ)と阿波内侍(あわのないし:信西の娘)が、ともに尼になって同行。

    信西(しんぜい 藤原通憲):清盛の前の最高権力者

文治元年(1185)9月下旬、建礼門院は洛北・大原の寂光院へと旅立った。

吉田から大原への道すがら、山間にはいって輿の中から色づきはじめている木々の梢を眺めていると、いつの間にか夕闇が迫っている。

近くの寺の入相の鐘が、うら寂しく響いてきた。

踏み分ける草葉にはたくさんの露が結び、供の者らの袖はすっかり濡れそぼっている。

一陣の風が、激しく木の葉を乱した。

空はにわかに曇って、いつしか時雨れはじめた。

悲しげな鹿の鳴き声が、かすかに聞こえてくる。

さまざまな思いが建礼門院の胸を去来して、心細さは譬えようもない。

源義経の軍勢に追われて、一門の者と瀬戸内海を逃げ惑っていた時も、これほど心細くはなかった。


長い上り坂を揺られていると、輿が止まって地面に降ろされた。

そして、輿を出るよう促された。

目の前のいくぶん高いところに、寂光院はあるという。


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文学史は、『平家物語』を「戦記文学(軍記物)」に分類するが、勇ましい戦闘場面の割合はいたって少ない。「恋愛文学?」の『源氏物語』の方が、よほど生命力は横溢しているでしょう。

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平家物語の群像 建礼門院⑥移ろう草花の色

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$吉備路残照△古代ロマン-寂光院北庭園 寂光院 北庭園


大小の石ころが転がっている山道をすこし登ると、古池や木立のあいだに古色蒼然として寂光院はあった。

聖徳太子創建というだけあって、いかにも由緒ありげである。

建礼門院は、もの寂びた風情のただよう寂光院に住むことにした。

庭の一群れの萩は霜枯れ、生垣の菊は色あせている。

移ろう、草花の色。

建礼門院は、思わず自分の身の上に重ねてしまった。


それにしても、いつ何どきも脳裏を去らないのは、わが子の面影。

朝に昼に夕に、仏前で祈った。

「天子聖霊 成等正覚 一門亡魂 頓証菩提」

安徳天皇の聖霊と平家一門の亡魂が正しく悟りを開いて、速やかに極楽往生できますように」


建礼門院は、寂光院の傍らに1丈(約3m)四方の庵室を結び、一間を寝室とし、一間を仏間に設えて、不断の念仏を怠ることなく月日を送っていた。

文治元年(1185)10月5日の夕まぐれ。

庭に散り敷いている楢(なら)の落ち葉を、何者かが踏み鳴らしている音が聞こえた。

建礼門院は、義姉の大納言典侍に頼んだ。

「世を捨てて侘び住まいしている所に、いったい誰が訪ねて来たのでしょう。見て来てください。隠れなければならない相手なら、すぐに隠れます」



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平家物語の群像 建礼門院⑦宮殿から草庵へ

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$吉備路残照△古代ロマン-鹿 牡鹿のとほるにてぞありける


大納言典侍(だいなごんのすけ)が外にでて辺りを眺めると、牡鹿の通った跡があった。

戻ってきた大納言典侍に、建礼門院が尋ねる。

「何の音でしたか」

大納言典侍は涙をこらえて、一首詠んだ。

 ○ 岩根ふみ 誰かは訪(と)はん 楢の葉の

       そよぐは鹿の 渡るなりけり

「大きな岩を踏みこえて、(こんな人里離れた寂しい所に)だれが訪ねて来るものですか。楢の葉が音を立てたのは、鹿が通り過ぎたからです」

建礼門院は身につまされて、その歌を窓の小障子に書き留めた。


念仏三昧のほかに為すべきことのない日々の暮らしだが、時には心の和むこともあった。

軒下に並べた植木を極楽の七重宝樹(しちじゅうほうじゅ:極楽にあるという、金樹・銀樹・瑠璃樹・玻璃樹・珊瑚樹・瑪瑙樹・硨磲樹の7重に並んだ宝樹)になぞらえたり、岩の間にたまっている水を極楽にある8つの功徳を備えた池・八功徳水(はっ/はちくどく・すい)に例えたりして興じた。


無常は春の花、風に吹かれて散り急ぐ。

人生は秋の月、雲にふと隠れてしまう。

昭陽殿(唐代の後宮)で花を愛でていた朝は、風が吹いて花の匂いを散らした。

長秋宮(漢代の後宮)で月を詠んでいた夕は、雲が覆って月の明かりを隠した。

かつては壮麗な金殿玉楼(きんでんぎょくろう:金や宝玉で飾った宮殿)で暮らしていた建礼門院だが、今は質素な草庵で侘び住まいである。


文治2年(1186)春、後白河法皇が大原に隠棲しているという建礼門院を訪ねようと思い立った。



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平家物語の群像 建礼門院⑧大原御幸

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$吉備路残照△古代ロマン-後白河法皇  後白河法皇


後白河建礼門院を訪ねようと思い立ったが、2月、3月の京都はまだ風は冷たく、余寒が厳しかった。

山のいただきの白雪は消えず、谷の氷柱(つらら)はまだ解けていない。

春がすぎて夏がきて、賀茂の祭が終わったころ、後白河は夜が明けるのを待たず大原の寂光院へ赴いた。

お忍びだが、徳大寺実定、花山院兼雅、土御門通親以下、公卿6人、殿上人8人、北面の武士数名がお供した。


鞍馬路を通ったので、清少納言の父・清原元輔の補陀洛寺や後冷泉天皇中宮の旧跡を見物し、そこから輿に乗った。

4月20日ころである。

遠くの山にかかる白い雲は、散り敷いた桜の花を思わせた。

青葉の梢には、まだ春の名残りがあった。

輿は、若草の茂みをかき分けてすすむ。

大原へは初めての御幸(ごこう:上皇・法皇・女院(にょういん)の外出)ゆえ、道を知る者はいない。

見慣れた景色はむろんなく、人跡の途絶えた侘しい風情もあって哀れを催した。


輿がすすむと、西の山の麓に一宇の堂が見えた。

寂光院である。

古池や木立が、いかにも由緒ありげだ。

屋根瓦は壊れて、霧が、焚いている香(こう)のように辺りを覆っていた。

月明かりが、崩れた扉の隙間から差し込んでいる。

庭には若草が生い茂り、青柳が糸のような葉を絡ませている。

池では浮草が波にただよい、錦を晒しているのかと見紛う。

池の中島の松に掛かった藤が、紫の花を咲かせている。

青葉混じりの遅咲きの桜は咲き始めの桜よりも心惹かれ、池べりには山吹が咲き乱れている。

雲の切れ間から聞こえるホトトギスの一声は、あたかも後白河の到着を待っていたかのようだ。



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平家物語の群像 建礼門院⑨女院はどこへ行かれた

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$吉備路残照△古代ロマン-阿波内侍 阿波内侍 (あわのないし) 
 
信西の娘 大原女の祖

後白河法皇は、池に散り敷いている数知れない桜の花びらを眺めて、こう詠んだ。

○ 池水に  汀(みぎわ:水際)の桜  散り敷きて

     波の花こそ  盛りなりけり

古びた岩の裂け目から落ちてくる水の音も、床しく趣がある。

周囲を見わたすと、ツタとクズの絡まる垣根や緑なす山の風情は、絵に描こうとしても絵筆が及びそうもない。


建礼門院の草庵に目を移した。

軒にはツタや朝顔が這っている。

草庵を杉で葺いてはいるが隙間が多く、時雨や霜や露が月明かりと争って差し込むのを防ぎようがないだろう。

後ろは山、前は野辺。

竹でつくった目の粗い垣根は風にもてあそばれ、わずかに聞こえてくるものは、峰の木々を伝う猿の鳴き声と木こりが振るう斧の響きだけ。

人が訪れているような気配はない。

後白河が、「どなたかおられるか。どなたかおられるか」と呼んだが、返事はない。

暫くして、年老いた (阿波内侍) が現れた。

女院 (建礼門院) は、どこへ行かれたのか」

「山へ花を摘みに入られました」



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平家物語の群像 建礼門院⑩一体そなたは何者だ

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$吉備路残照△古代ロマン-寂光院の茶室 孤雲 左上:寂光院入口 … …   右上:茶室 孤雲  左下:山門(本門)  右下:本堂


女院(にょういん 建礼門院)は世を捨てられたとはいえ、山へ入って花を摘むようなことまでご自分でなさっているのか。気の毒なことよ」

後白河が誰へともなく呟くと、老尼が反論した。

「五戒十善の果報が尽きたので、女院は今はこのようなお暮らしぶりです。西方浄土に往生するため日夜、仏道修行をしておられます。骨身を惜しまれるようなことはありません」

「因果経に、『過去の因果を知りたければ、現在の果報を見よ。未来の果報を知りたければ、現在の因果を見よ』と説かれております。過去と未来の因果を悟れば、少しも嘆くことはありません」

「昔、インドに王子として生まれた釈尊は19歳で迦毘羅城(カピラ城)を出て、檀特山(だんとくさん)のふもとで木の葉を重ねて肌を隠し、峰に上っては薪を集め、谷に下っては水を汲み、難行苦行の末、ついに悟りを開かれたのです」


後白河が改めて老尼を見ると、粗末な布きれを縫い合わせて身にまとっているだけである。

みすぼらしい身なりの老尼が、これほど高度な知識をきわめて論理的に話すのはどうも妙だ。

「一体、おまえは何者だ」

老尼は忍び泣くだけで、しばらく顔も上げない。

「申し上げるのも憚られますが、藤原信西の娘で阿波内侍と申します。母は紀伊の二位(後白河の乳母)でございます」

「あれほど可愛がって頂いておりましたのに、お気づきにならないとは……。わが身が衰えたことを思い知らされるのは、仕方のないこととはいえ、悲しいものでございます」

「そなたは、阿波内侍なのか。分からなかったぞ。ただただ、夢のようだ」

お供の公卿殿上人らも、「不思議な老尼だと思っていたが、なるほど阿波内侍殿なのか」と得心がいったようだ。



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平家物語の群像 建礼門院⑪あの二人は何者だ

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$吉備路残照△古代ロマン-五色の糸 来迎三尊&五色の糸

後白河は、寂光院のさほど広くはない境内を見てまわった。

露が降りている庭の千草は、露の重みで生垣にもたれかかっている。

生垣の外の田は水かさが増して、シギの降り立つ場所もないほどだ。

それから、後白河は草庵の中に入った。

襖(ふすま)を開けると、衆生を浄土へ導く来迎の三尊である阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩が安置されている。

中央の阿弥陀如来の御手には五色の糸(青黄赤白黒)が掛けてあった。

来迎の三尊の左には普賢菩薩の絵像、右には善導和尚と故・安徳天皇の御影が掛けられ、前には法華経78巻と9帖の仏典が置いてある。

部屋には、宮中に流れている蘭の花と麝香(じゃこう)の香りに代わって、香の煙が立ちこめていた。


襖には、仏典の中の大切な言葉を記した色紙が、所々に貼られている。

大江定基法師が、中国の清涼山で詠んだ和歌があった。

  笙歌(しょうか) 遥かに聞こゆ 孤雲の上 

       聖衆(しょうじゅ)来迎す 落日の前

妙なる楽の音や歌声が 遥かかなたの雲の上から聞こえる 落日の前に 極楽浄土の仏や菩薩たちが迎えに来ている

少し離れて、建礼門院の歌と思われる色紙があった。

  思ひきや 深山の奥に 住居して

     雲居の月を 余所(よそ)に見んとは

昔 宮中から眺めた月を こんな深山の奥に住んで見上げることになろうと 思ったことがあっただろうか


他の部屋に目を移すと、寝室なのだろう、竹竿に質素な麻の衣や紙の布団などの夜具が掛けてある。

日本や中国から逸品を集めて贅を尽くした宮中での生活など、今は夢。

後白河は涙を流し、お供の公卿や殿上人らも、都での建礼門院の暮らしぶりを見知っていただけに、みな泣いた。


外に目をやると、濃墨染の衣を着た尼が二人、険しい山道を下りて来ている。
 
後白河が二人に気づいて、阿波内侍にたずねた。

「あの二人は、何者だ」

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平家物語の群像 建礼門院⑫後白河と対面

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$吉備路残照△古代ロマン- 「大原御幸」の中の一幅    下村観山筆 「大原御幸」の中の一幅 …… 下村観山筆  東京国立近代美術館蔵


「花籠を肘に掛けて、岩つつじを持っておられる方が建礼門院様でございます。薪と蕨をお持ちなのが亡き安徳天皇の乳母で、故:平重衡殿の北の方・大納言典侍殿です」

阿波内侍は、言い終わらないうちに涙ぐんでしまった。

後白河も、女たちの様子のあまりの変わりように目頭を熱くしている。


一方、後白河一行を目に留めた建礼門院は、山を下りることをためらっていた。

「世を捨てたとはいえ、こんなみすぼらしい姿を法皇様にお見せするのは恥ずかしい。消えてしまいたい」

だからといって、どうすることもできない。

山へ引き返すことも、草庵に下りることもできずに立ち尽くしていた。

そこへ阿波内侍が現れて、花籠を受け取った。

「世捨て人の常です。なんの差し支えがありましょう。早くお会いして、早々にお帰り頂きましょう」


建礼門院は気おくれしがちな気持ちを励まして、後白河と対面した。

そして、自ら体得した仏教思想を展開する。

「一度念仏を唱えては阿弥陀如来の来迎の光が窓に差すのを期待し、十度念仏を唱えては聖衆の来迎を待っているところに、思いがけない法皇様の御幸をたまわるとは。不思議な気がします」

「今を盛りとこの世の春を謳歌していても、全てはやがて滅び去ります。天上においても、衰える悲しみを免れることは出来ません」

「インドの須弥山にあるという善見城での長寿の楽しみは幻であり、果てることのない流転の中にあります。車輪が回るように迷いは続き、途絶えることはありません」


「それにしても、訪ねてくる者はいないのですか。何事につけて昔のことを思って、暮らしているのでしょう」

「訪ねてくる方はありません。ただ藤原信隆殿と藤原隆房殿の北の方から時折、便りを頂きます」



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平家物語の群像 建礼門院⑬親子の情愛

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$吉備路残照△古代ロマン-安徳天皇と建礼門院 安徳天皇と建礼門院


建礼門院が、涙をこらえて語りはじめた。

「このように落ちぶれたことは確かに辛うございますが、後生菩提のためには喜ぶべきことではないだろうかと思うようになりました」

・後生菩提 (ごしょうぼだい)…来世、極楽に生まれ変わること

「釈尊のお弟子に名をつらねて、阿弥陀如来の本願に乗じて女人の身に起こる五障三従の苦しみからのがれ、昼と夜の3時に六根を清めてひたすら浄土への往生を願い、また平家一門の菩提を祈って、日々聖衆の来迎を待っております」

・阿弥陀如来…西方浄土の教主。衆生を救おうと48の誓いを立てた仏

・衆生 (しゅじょう)…生きとし生けるもの、特に人間

・本願 (ほんがん)…人々を救済しようとの根本の願い

・五障 (ごしょう)…女性には5つの障りがあって仏にはなれない

・三従 (さんしょう)…幼時は親に、結婚すれば夫に、老いては子に従う

・六根 (ろっこん)…眼・耳・鼻・舌・身・意

・往生 (おうじょう)…死後、他の世界に往(い)って生(しよう)を受ける

・菩提 (ぼだい)…悟りの境地に達すること

・聖衆 (しょうじゅ)…諸菩薩

・来迎 (らいごう)…浄土から仏や菩薩が人々を迎えに来る


「ただただ、忘れがたいのは亡き安徳天皇の面影です。親子の情愛ほど、悲しく切ないものはありません。安徳天皇の菩提のため、朝夕の勤行を一日たりとも欠かしておりません」

「これも、仏への道だと信じております」

・勤行(ごんぎょう)…仏前で、時刻を定めて読経などを行うこと


建礼門院の言葉に聴きいっていた後白河が、口を開いた。




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平家物語 建礼門院⑭六道輪廻

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$吉備路残照△古代ロマン-六道 ←クリック 拡大 六道

「この国は辺境にある粟粒のように小さな国ですが、あなたが前世で積んだ功徳によって、高倉天皇の中宮(皇后)となり、安徳天皇の母(国母)となって、何一つ心に叶わないことのない身分となられました」

「仏法の世に生まれ、しかも仏道修行を実践されているので、後生の極楽往生は疑いありません」

「それにしても、有為転変は世の習いであり今さら驚くことでもありませんが、あなたの変わり果てたお姿を拝見していると遣る瀬なく、哀れをもよおします」

涙声になった後白河に続いて、再び建礼門院が語りだした。

自らの来し方を、仏教の世界観である六道になぞらえる。

「わたしは平清盛の娘に生まれ、安徳天皇の母となって、天下は思いのままでした。新年の行事が催される春の初めから、華やかな衣替え、仏名会の催される年の暮れと、一年を通して、摂政をはじめ大臣や公卿に手厚くもてなされました」

「文武百官で、私を仰がない者はおりません」

「御所の清涼殿や紫宸殿において、四季折々の楽しみに心をときめかせて暮らしておりました。明けても暮れても楽しいことばかり。天上界の幸せも、これほどの喜びに満ちたものではあるまいと思われました」

「ところが、寿永2年の秋のこと」

木曽義仲という者を恐れて、一門は住みなれた都を遠く離れました。故郷を焼け野原にして眺め、『源氏物語』で名前だけは知っていた播磨国の須磨から明石の海岸を伝って落ちて行った時は、何とも哀れでした」

「昼は大海原の波を分けて袖を濡らし、夜は千鳥とともに泣き明かしました。浦々や島々にはそれぞれ由緒があるのでしょうが、やはり都のことが忘れられません」

「愛別離苦(愛する者と別れなければならない苦しみ)や怨憎会苦(おんぞうえく:怨み憎む相手と会わねばならない苦しみ)など全ての苦しみを、およそ人間界に起こるあらゆる辛酸をなめました」

★先日投稿した記事をうっかり消したので、本文を改めて書くついでに題名も変えました。


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平家物語の群像 建礼門院⑮平家一門、滅亡へ

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$吉備路残照△古代ロマン-壇ノ浦の戦い  壇ノ浦の戦い

「それでも、筑前国(福岡県)の大宰府とやらに着くと、気持ちが少し落ち着きました。しかしすぐに、緒方維義(おがた これよし)という者によって九州から追い出され、山野広しといえど立ち寄る場所がなくなってしまいました」

「秋の暮れには、昔は宮中で眺めていた月を、西海の波の上で眺めながら夜を明かしておりました」

「10月には、平清経殿(清盛の孫、重盛の3男)が、

『都を木曽義仲に追われ、九州を維義に追い出だされた。まるで網にかかった魚のようだ。どこへ行けば逃げられるのか。もはや、長生きできる身ではない』と、

海に身を投げました。この出来事が辛いことの始まりです」

「波の上で日を暮らし、船の内で夜を明かしました。献上品はむろんなく、安徳天皇の御食事もままなりません。たまに食べ物があっても、水がありません。大海原に浮かんでいますが、塩水だから飲めません」

餓鬼道の苦しみとは、こういうことかと思い知りました」

「室山と水島における2度の戦いに勝利した時は、一門の者たちは少し元気を取り戻しました。そして、一の谷というところに陣を築きます。しかし、源義経に襲われて一門の半数以上が討たれ、多くの武士が殺されました」

「明けても暮れても、合戦の雄叫びの絶えることがありません。阿修羅と帝釈天の戦いも、これほどではありますまい」

「一の谷を攻め落とされたとき、親は子に先立たれ、妻は夫と死に別れました」

「沖の釣り舟を見ては敵の舟かと肝を潰し、遠くの松林に群れるサギを見ては源氏の白旗かと震え上がったものです」

「そして、壇の浦の戦いで戦況が不利になった時、これで平家は終わりと思われました。二位の尼が、泣く泣く申されます」



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平家物語の群像 建礼門院⑯ここは龍宮城です

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$吉備路残照△古代ロマン-安徳天皇入水像の碑  安徳天皇入水像の碑
……山口県下関市みもすそ川町

「一門の男たちが、助命されることは万に一つもありません。また縁の薄い者が、私たちの後世を弔ってくれることはないでしょう。昔から、合戦で女は殺しません」

「あなたは生きて、私たちの菩提を弔って下さい」

建礼門院は、母・二位の尼の言葉を夢のように聞いていた。

源氏勢との決戦は、ますます不利になってゆく。

「もはや、これまで」

二位の尼は、安徳天皇を抱き上げて舟ばたへ歩み出た。

「尼御前、私をどこへ連れて行くの」

「前世の善行によって天皇としてお生まれになりましたが、悪縁のために運が尽きました。まず東に向かって伊勢神宮を拝み、それから西方浄土の来迎にあずかるために念仏を唱えて下さい。この国は悩みの多いところです」

「極楽浄土という、素晴らしい都へお連れ致します」

安徳は小さな左右の手を合わせ、東を向いて伊勢神宮に別れを告げ、それから西を向いて念仏を唱えた。

息子を抱いて入水した時の様子は忘れようとしても忘れられず、悲しみをこらえようとしてもこらえきれません」

残された者らの泣き叫ぶ声は、地獄の炎の底で苦しむ罪人たちの阿鼻叫喚(あびきょうかん:地獄の様々な責め苦にあって喚き叫ぶ様子)も、これほどではあるまいと思えるものだった。


「源氏の荒武者に捕らえられて都へ上る途中、明石の浦で、内裏よりもはるかに立派なところに安徳天皇をはじめ、平家一門の公卿や殿上人が礼儀を正して控えている夢を見ました」

「『ここはどこですか』と尋ねると、二位の尼らしき方が、『龍宮城です』と答えました」



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   …… ……     (時子二位の尼)

平家物語の群像 建礼門院⑰入相の鐘の音

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$吉備路残照△古代ロマン-三蔵法師 故・夏目雅子さん扮する玄奘三蔵 『西遊記』(1978~80年 日本テレビ)

「素晴らしい所ですね。こちらに苦しみはないのですか」

建礼門院がたずねると、二位の尼らしい女性が答えた。

「龍宮城の苦しみは竜畜経の中に書いてあります。それゆえ、よくよく後世を弔って下さい」
・竜畜経(りゅうちくきょう)……虫から鳥獣に至るまで全ての畜生は弱肉強食を繰り返すという苦があり、牛馬は人に使われる苦がある。また、竜(神獣・霊獣)も畜生であると説く

そこで、建礼門院は目が覚めた。

「それからますますお経を読み、念仏に励んで、平家一門の菩提を弔っております。都を落ちて以来のわたしが遭遇してきた出来事は、六道輪廻に当たるのではないでしょうか」

建礼門院の過酷すぎる来し方に、後白河法皇は涙した。

「中国の三蔵法師・玄奘はインドに仏道修行の旅に出たとき、悟りを開く前に六道を体験したと言われております。あなたが六道をこれほどはっきりと身をもって体験されたということは、本当にありがたいことです」

お供の公卿殿上人も袖を濡らした。

建礼門院大納言典侍阿波内侍も泣いている。

そうこうするうちに寂光院の入相の鐘の音が鳴り、夕日が大きく西に傾いたので、後白河は名残りは尽きなかったが、涙をこらえて都へ帰って行った。

建礼門院は今さらながらに昔のことをあれこれ思い出しては追憶の涙が流れるに任せ、戻って行く後白河の後ろ姿が小さくなるまで見送った。

それから、御本尊に向かって祈った。

「天子聖霊 一門亡魂 成等正覚 頓証菩提」

・安徳天皇の聖霊と平家一門の亡魂が一切の真理を悟って、速やかに菩提を得られますように

昔は、東に向かって伊勢神宮と正八幡宮を拝み、「天子の寿命が、千年も万年も続きますように」と祈ったものだ。

今は、西に向かって、「過去の聖霊が、必ず極楽浄土へ迎えられますように」と祈っているのが悲しく切ない。


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