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Channel: 吉備路残照△古代ロマン
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平家物語の群像 頼朝の布石⑦土佐房の忠義

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$吉備路残照△古代ロマン-僧正が谷  僧正が谷・不動堂 鞍馬山 


義経が幼少期を過ごした鞍馬寺の法師らが土佐房を捕縛し、翌日、義経に引き渡した。

僧正が谷に隠れていたという。

義経は縁側に立って、土佐房を庭に引き出させた。

「どうした土佐房。せっかく書いた起請文、もう反故にしたのか」

「ああ、あれか。心にもないことを書いただけだ」

昭和と平成を生きている者には理解しがたいところだが、義経は怒るどころか、この土佐房のトゲのある物言いに感激してはらはらと涙を流す。

そんな立派な心がけなら、自分を殺そうとして夜襲をかけてきた土佐房を許すというのである。

「主君である頼朝殿の命令を重んじて、義経を軽んずる忠義の志は見上げたもの。命が惜しければ鎌倉へ帰してやる。どうする?」

当時、「主君に忠義を尽くす」ことが、いかに重んじられたかということであろう。

義経の言葉に、土佐房は居住まいを正して畏まった。

「情ないことをおっしゃいますな。助けてほしいとお願いすれば助けて下さるのでしょう。しかし、私は法師ではありますが、頼朝殿から、『義経殿を討て』と命じられたとき、命を頼朝殿に預けました」

「いったん預けた命を取り戻そうとは思いません。恩に着ます。早く、首を刎ねて下さい」

義経は、六条河原へ引き立てて首を斬らせた。

土佐房の心がけを、ほめない人はいなかったという。


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射撃管制用レーダーとはミサイルを発射する前に敵艦などの位置を確認するための電波で、中国の挑発あるいは威嚇は「平和国家」ではなく「普通の国」であれば反撃するレベルだそうです。

ますますキナ臭くなってきました。

1度目(1/19)は、アメリカのクリントン前国務長官が、「尖閣諸島の施政権は日本にある」と明言した翌日です。

習近平政権の命令なのか、現地の軍人の火遊びなのか。


平家物語の群像 頼朝の布石⑧源範頼の最期

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$吉備路残照△古代ロマン-源範頼  源範頼のりより


義経のもとに、頼朝が遣わしていた足立清常という男がいた。

「清常は身分は卑しいが、頭が切れる。使えるぞ」

だが実は、清常は義経を監視するスパイである。

「都の義経の行動を調べて、逐一報告するように」

そんな、ある日。

義経を謀殺するよう命じられていた土佐房が逆に義経に斬られると、清常は昼夜兼行で急ぎ鎌倉に戻って頼朝に伝えた。

頼朝は驚くまいことか。

すぐに、弟で義経にとっては兄にあたる範頼に、義経追討を命じた。

もし二人が戦えば、腹違いとはいえ兄弟同士の殺し合いになる。

平家を滅ぼした第一の功労者はもちろん義経だが、平家追討軍の総大将はあくまで範頼であった。

ただ、範頼はいくさがあまり得意ではなかったようだ。


範頼はいったん辞退したが、重ねて強く命じられると仕方なく武装して、頼朝の前に出陣の挨拶に訪れた。

その時、「お前は、義経のように私に刃向かうようなマネをするなよ」と頼朝に釘を刺される。

その言葉に恐れて、範頼は屋敷に戻ると武装を解いて、上洛を思いとどまった。

それから範頼は、「兄上に二心はありません」という意味の起請文を毎日10枚、昼は書き、夜は頼朝の屋敷の庭で読み上げた。

100日に1000枚の起請文を書いて頼朝に渡したが、義経追討を拒否したことを許されず、範頼は討たれた。



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「国際社会のルール」を平気で無視する上に勝手な言い分を捏造して言い募る巨大国家、中国。もう少し、行儀よくなってくれないものか。

日本海側のかなりの地域と近畿地方、そして今や関東にまで及ぼうとしている有害な「PM2.5」という大気汚染物質。

黄砂の日本列島への飛来は自然現象だからやむを得ないとしても、人工的な大気汚染物質で他国の空を覆うことには気を使って欲しい。

地球滅亡の日まで、隣人として付き合っていかねばならないのだ

平家物語の群像 頼朝の布石⑨北条時政、義経追討へ

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$吉備路残照△古代ロマン-後白河  後白河法皇

頼朝が、北条時政に6万騎を預けて義経追討のため上洛させるという噂が流れた。

義経は、宇治と勢田の橋を落として防戦しようとも思ったが、やはり衆寡敵せず。

いったん九州方面へ落ち延びることにした。

そして、緒方維義に、「力を貸してほしい」ともちかける。

維義は源平合戦のころ、平家一門を九州に入れず追い返したほどの有力者である。

「義経殿の家人の菊地高直は、わたしの年来の敵。身柄をもらい受けたあと味方しましょう」

義経がためらわず引き渡すと、すぐに高直を六条河原へ引き出した。

文治元年(1185)11月2日、義経は院の御所に参上し、大蔵卿の高階泰経を通して後白河法皇に奏聞する。

「今さら申し上げることではありませんが、一の谷から壇の浦まで、平家を攻め滅ぼして世を鎮めたのは、この義経です。褒賞を頂けるところなのに、鎌倉の頼朝御家人たちの讒言によって私を討とうとしております。

宇治と勢田の橋を落として防戦しようとも思いますが、それでは都が戦場になりましょう。いったん、九州方面へ落ちます。どうか、院の御下文(くだしぶみ:命令文書)を一通頂けないでしょうか。一生のお願いでございます」

後白河は、どうすべきか公卿たちに相談した。

「頼朝がこのことを聞いたら、どう思うだろうか」



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平家物語の群像 頼朝の布石⑩平家の怨霊

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$吉備路残照△古代ロマン-摂州大物浦難風之図 義経に祟る平家の怨霊
 大物の浦(だいもつのうら) 兵庫県尼崎市

義経が都におれば、頼朝の軍勢が乱入して激しい戦いになるでしょう。九州へ行けば、その懸念はなくなります」

公卿らが意見を述べた。

「そうか、それならば」

後白河は、次のような下文を義経に与えた。

緒方維義をはじめ、臼次(うすき)、戸次(へつぎ)、松浦党ら九州の者はみな、義経の命令に従え」


文治元年(1185)11月3日、義経は都に少しの波風も立てず、西に向かって馬を進めた。

500騎余りが続く。

これを知った摂津源氏の太田頼基は、「わが門前を一筋の矢も放たずに通せば、必ずや頼朝殿の耳に入るだろう。ここはひとつ、矢を射かけておこう」

60騎余りの手勢で駆け、河原津辺りで追いついた。

すると、義経の500騎がとって返し、頼基の60騎を囲む。

「逃がすな。討ち洩らすな」

激しく攻め立てると、頼基は馬の腹を射られ、退却。

義経は、頼基の部下20人余りの首を刎ねて晒し、軍神に祭った。

そして鬨の声を上げ、「いい門出だ」と喜びあった。


翌11月4日、義経は大物の浦(兵庫県尼崎市)から船に乗り込む。

だが、折節、西からの風が激しく吹きつけ、船が住吉の浦へ打ち上げられた。

船が壊れて使えなくなったのでやむなく九州行きを諦め、吉野山へ向かう。

しかし吉野山に入ると、山法師から攻められて奈良へ落ちた。

奈良でも法師から攻められ、いったん都へ戻った。

それから、奥州の藤原秀衡を頼るのである。


義経は都から連れてきた10人ほどの女房たちを、吉野山へは伴わず、住吉の浦に置いてきぼりにしていた。

松の根元や苔の莚(むしろ)に倒れ臥したり、砂浜の上に片袖を敷いたりして泣いていた女房たちを、住吉の神官が憐れみ、乗物を用意して全員を都に送り届ける。


義経が最も頼りにしていた緒方維義源行家たちの乗った船も島々に打ち上げられ、お互い行方知らずになった。

西からの風が突然、義経たちの船を襲ったのは、平家の怨霊のせいだと言われている。


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平家物語の群像 頼朝の布石⑪吉田経房

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$吉備路残照△古代ロマン-吉田経房吉田(藤原)経房つねふさ

文治元年(1185)11月7日の夜、北条時政が6万余騎を率いて上洛。

翌8日、院の御所を訪ねた。

源義経源行家らを追討すべき院宣を頂きたい」

すると、後白河はすぐに義経追討の院宣を出した。

さる2日には、義経の頼みを受け入れて、「頼朝に背くべき」下文を出し、6日後には、頼朝の申し状に応えて、「義経を討て」との院宣を下したわけだ。

朝令暮改というか、実にいい加減である。

後白河の、その場しのぎの一貫性のなさに、平清盛も頼朝も義経も翻弄された。

頼朝が後白河を、「日本国第一の大天狗」と評したのは、この辺のことを指すようだ。

やはり、人として悲しい。

平家を滅ぼして義経を都から追放した頼朝は、自分を「日本国の総追捕使」(守護の前身)とするよう朝廷に願いでた。

同時に、田一段ごとに兵糧米を収めるよう申しでる。

驚いた後白河は、公卿らに諮った。

「朝敵を平らげた者には、国の半分を与えるということが『無量義経』に書かれている。全国という頼朝の要求は過大だと思うが、どうか」

しかし、公卿らの協議の結論は、「頼朝殿の申し出には、半ば道理がある」というもので、後白河は不本意ながら頼朝の申し出を受けざるを得なかった。

こうして、頼朝は諸国に守護、荘園に地頭を置くことになる。

頼朝はこうした制度改革の実務を、大納言の吉田経房に任せた。

経房は当時、おのれに厳格な人物として知られていた。

平家が栄えていたころは平家一門と親しくしていた人々の多くが、源氏の世になると手紙を書き送ったり使者を遣わしたりして頼朝にへつらう。

経房は、そうすることを潔しとしなかった。

12歳のとき父を亡くし孤児になるが、能力があったのだろう。

五位の蔵人、蔵人頭をへて参議、大宰府長官、大納言とスピード昇進する。

「人をば越え給へども、人には越えられ給はず」

すぐれた人物は、才能が自然に外に現れるということか。

経房は、まことに得難い大納言であった。


頼朝の代官として都を警護している時政が、触れを出した。

「平家の男子を捜して連れてきた者には、好き放題に褒美を取らせる」



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平家物語の群像 頼朝の布石⑫残党狩り

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$吉備路残照△古代ロマン-菖蒲谷池  六代母子が隠れ住んでいた菖蒲谷


京中の者たちが、「褒美をもらおう」と平家一門の子孫を捜し回った。

一門とは関係のない者の息子でも、色白で美しい顔立ちをしていると、「○○中将の若君だ」、「○○少将の公達だ」などと言いつのっては、褒美にありつこうとする。

時政は、幼い者は水に沈めたり、土に埋めたりした。

やや成長している者は締め殺したり、刺し殺したりした。

母親の悲しみや、乳母の嘆きは例えようもない。


ここに平家一門の遺児の中でも、別格の存在がいる。

平正盛忠盛清盛重盛維盛六代とつづく、嫡流の六代御前(高清)だ。

ちなみに「六代」とは、伊勢平氏中興の祖・正盛から六代目という意味である。


かつて清盛が非情に徹することができず、頼朝義経を助けたばかりに平家は滅び去った。

いつ立場を逆にして、同じことが起こるかも知れない。

時政は、部下に命じて必死に六代を捜させたが、どうしても見つからない。

そんなある日、一人の女房が六波羅に来て時政に密告した。

大覚寺の北の菖蒲谷という所に、亡き維盛様の北の方若君姫君が、暮らしておられます」

「まことか!!それは」

さっそく部下をやって様子を探らせると、ある宿坊に多くの女房たちと幼い子供たちが人目を忍ぶようにして住んでいた。

生垣の隙間からのぞくと、庭へ走り出た白い子犬を追って、世にも美しい幼い男の子が出てきた。

乳母らしい女房が、「若君、なりません。人が見ているかも知れません」

あわてて中へ引き戻した。

「若君」ではなく「姫君(若紫)」だが、似たような場面が『源氏物語』にある。

200年ほど前に書かれた『源氏』を、意識してのことであろう。


部下は、「六代殿に間違いありません」と時政に報告した。

翌日、時政は軍勢を率いて菖蒲谷を囲んだ。


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平家物語の群像 頼朝の布石⑬母と子の別れ

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$吉備路残照△古代ロマン-北条時政系図 北条氏系図 (北条は平氏)


時政の軍勢が、六代のいる菖蒲谷を取り囲んだ。

時政は、使いの者に伝言させた。

「小松中将維盛殿の若君・六代御前が、こちらにお住まいとお聞き致しました。源頼朝の代官・北条時政がお迎えに参っております。早々にお出まし下さい」

母の建春門院新大納言(以下、新大納言)は、「いつか、この日は来るだろう」と覚悟はしていたが、それでも激しく動揺して呆然と立ち尽くした。

両膝が震えて、止まらない。

斎藤五宗貞斉藤六宗光が菖蒲谷の周辺を見渡すと、源氏勢がびっしり周囲に押し寄せている。

新大納言は、息子を抱き上げて涙ながらに叫んだ。

「どうか、お願いです。この子の代わりに、私を殺して下さい。どうか、私を殺して下さい」

日ごろから六代の身の回りの世話をしている乳母も、倒れ臥して声を限りに泣き叫んでいる。

絶望とは、こういうことか。

宿坊ではこれまで大きな声など決して出さずひっそりと暮らしていたが、今、女房たちの泣きわめく声で阿鼻叫喚の坩堝と化している。

時政はさすがに憐れに思い、しんみりしながら待っていた。

しかし、六代はなかなか出てこない。

しばらくして、また人を遣わした。

「まだ世が鎮まってはおりません。おかしなことが起こるかもしれません。時政が、お迎えに参ります。お急ぎ下さい」

12歳の六代が、けなげにも母親を慰める。

「母上、もはや逃れられません。私を宿坊から出して下さい。鎌倉勢が乗り込んで家捜しでもしたら、大変なことになりましょう。すぐに戻ります。そんなに悲しまないで下さい」

新大納言は泣きながら息子に衣を着せ、髪を櫛でとかして送り出すとき、黒檀の小さな美しい数珠を渡した。

「最期の時は、この数珠で念仏を唱え、必ず極楽浄土にお行きなさい」

「母上とは今日でお別れです。父上のおられるところへ参ります」

六代が宿坊を出ようとすると、10歳になる妹の夜叉御前が、「私も参ります」と兄に駆け寄った。

乳母が、六代から夜叉を引き離した。

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森喜朗氏と鳩山由紀夫氏が首相在任時は特に、「この人物が総理で、日本は大丈夫か」とハラハラしていた。
鳩山氏が今なお無神経に国賊的な言動をする一方、森氏は安倍晋三氏の兄貴分(というより叔父貴分)として貢献してくれている。
外交といえど、とどのつまりは人間関係だろうから、相手国のトップ(プーチン大統領)と親密な関係を結んでいる森氏の存在は有り難い。


平家物語の群像 頼朝の布石⑭六代、六波羅へ

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$吉備路残照△古代ロマン-六代と夜叉  六代と夜叉


六代は12歳だが、世間の14、15歳の少年よりも大人びて見えた。

容姿と人柄、ともに優雅である。

ちなみに、父の維盛は、その美しさから「桜梅少将」と呼ばれ、宮中の女房たちに騒がれていた。

また建礼門院右京大夫は、自著『建礼門院右京大夫集』のなかで、維盛を、「今昔見る中に、ためしもなき(美貌)」と書き、その姿を光源氏に例えている。

その建礼門院右京大夫の恋人は、壇ノ浦で入水した維盛の異母弟・資盛(すけもり)であり、『建礼門院右京大夫集』には資盛との恋の日々を綴っている。


六代は、時政が用意していた輿に乗った。

輿の左右に、斎藤五宗貞斉藤六宗光がつき従う。

時政が乗換えの馬の手綱を取っていた者を下馬させ、二人に馬に乗るよう勧めたが、両人とも乗らず、六代の左右を守るようにして嵯峨の大覚寺から六波羅まで裸足で歩き通した。


宿坊では新大納言乳母が、天を仰ぎ地に伏して六代の身の上を案じていた。

新大納言が、乳母に語りかける。

「近ごろ、源氏の者らは平家一門の男の子たちをさらっては、水に沈めたり土に埋めたり、さまざまな方法で殺していると聞いております。あの子を、一体どんなふうにして……。

今日から私は、どうやって生きていけばいいのでしょう。この3年の間、夜となく昼となく、びくびくしながら暮らしていました。

いつかは、と覚悟はしていましたが昨日、今日のことになろうとは思ってもいませんでした。

日頃から長谷寺の観音様を信じ、どんなことがあろうともお見捨てにはならないだろうと頼みにしておりましたが、ついに捕らえられてしまいました。

私も死にたい……」


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2月23日が「富士山の日」と、ご存知でしたか。
私は知りませんでした。
山梨県と静岡県は、環境保全などを目的に今年の夏から入山料を試験的に導入するようです。

平家物語の群像 六代と文覚①一筋の光明

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$吉備路残照△古代ロマン-文覚  文覚房

新大納言六代の身を案じて一晩中まんじりともせず、床が涙に浮くほどに泣き明かす。

時を告げる役人が朝を知らせて、夜が明けた。

しばらくすると、斎藤六宗光が戻ってきた。

新大納言が尋ねる。

「六代は、どうしていますか」

「お元気です。お手紙を預かって参りました」

次のようなことが書いてある。

「母上はさぞかし心を痛めておられるでしょう。私は今のところ別状ありませんが、そちらのことを恋しく思っております」

新大納言は手紙を顔に押し当ててから懐にしまうと、ものも言わず着物を被って臥せてしまった。

斎藤六宗光が催促した。

「若君のことが気にかかります。お返事を頂いて戻ります」

新大納言は泣く泣く返事を書いて渡した。

斎藤六宗光は別れの挨拶をすると慌ただしく帰って行く。


乳母はやるせなくて宿坊を抜け出し、周辺を泣きながら歩いていた。

すると、ある人が教えてくれた。

「この奥の高雄という山寺に、文覚房という聖がおられます。源頼朝殿がとても大事に思われている方で、貴人のお子を弟子に欲しがっておられます」

一筋の光明を見いだした乳母は、そのまま高雄に急いだ。

そして文覚房の前に、崩れ落ちた。

「出産のときに抱き上げてからずっと育ててきた若君を、昨日、鎌倉の武士に奪われました。どうか御命をもらい受けて、御坊のお弟子にして頂きとう存じます」

それだけ言うと、身も世もなく泣き伏してしまう。

文覚房は、哀れに思って子細を尋ねた。

乳母はややあって起き上がると、涙をこらえて説明した。

小松三位中将維盛様の北の方と親しくされている若君をお養いしていたのですが、もしかすると、その若君を『維盛様の若君だ』と誰かが言ったのでしょう。昨日、鎌倉の武士に奪われてしまいました」

乳母は、若君(六代)が維盛の子であることをウソをついてまで隠している。

平家の嫡流であることを明かせば、とても助けてはくれまいと思ったのだろうか。

「鎌倉の武士とは、だれなのですか」

北条時政と名乗っていました」


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1年後の君へ―なりたい自分に変わる近道を教えよう 秋元康/青春出版社

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秋元康氏によると、前田敦子高橋みなみジョン・レノンでありポール・マッカートニーだそうです。
秋元氏という人物で感心することの一つは、AKB48を立ち上げたときのメンバー募集に応募してきた7924名の中から、たった24名(330倍超)のうちの一人に前田敦子を選んだこと。

14歳の時に受けたオーディションを見ると、いかにも山出しで地味で根暗な感じ。
「オレが、ワタシが」の芸能界とはほど遠い印象です。
しかし、秋元康氏には彼女の将来が見えたのでしょう。
確かに今や、スター性を身にまとっています。

秋元氏の人を見抜く力、異能としか言いようがない。

前田敦子トニー・レオン松田翔太と共演する日中合作映画『一九〇五』が、尖閣問題で中止になったこと甚だしく残念です。

平家物語の群像 六代と文覚②文覚、六波羅へ

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$吉備路残照△古代ロマン-六波羅  六波羅
 (平家一門の邸宅が並んでいた)


時政殿か。よし、六波羅へ行ってくる」

文覚は高僧にしては身軽らしく、すぐに六波羅へ向かった。

乳母は少し気持ちが軽くなって、急いで宿坊へ戻った。

「あなたは身を投げに出て行ったのではないのですか。私も、どこかの川か淵へ身を投げようと思っていたところです」

新大納言が語りかけると、乳母は文覚
のことを話した。

「その聖が、もし六代をもらい受けたら、是非もう一度あの子に会いたい」

まだどうなるか分からないとは思いながらも、うれし涙が止めどなく流れる。


文覚は六波羅につくと、さっそく北条時政に事情をたずねた。

「『平家の男子を根こそぎ捜し出して、亡き者にせよ』と頼朝殿に命じられております。傍流の方々を、何人か捕らえました。

直系の維盛殿の若君・六代御前は、故・藤原成親殿の娘御の御子であるとも聞いております。だが、平家一門の嫡子。

藤原成親……鹿ケ谷の陰謀で平清盛を滅ぼそうとした、源氏の敵の敵

何としても捜し出そうと努めましたが見つからず、諦めて鎌倉に帰ろうとしていた矢先、ある女房の密告がありました。

そして昨日、六代殿をこちらへお連れしたのですが、あまりにも美しい方なので、そのままにしております」

「ならば、お会いしたい」

六代は、母から渡された黒檀の数珠を手に掛けていた。

容姿や人柄など気品にあふれて美しく、この世の人とも思われないほどだが、表情が少しやつれている。

「いつ殺されるか不安で、眠れなかったのだろう」

文覚は、六代がいじらしかった。

六代は、文覚を見上げると何を思ったか涙ぐんだ。

文覚も、思わず墨染の袖を濡らす。

「後々、源氏の敵になろうとも、この人を亡き者にさせるわけにはいかない」

だからといって、頼朝に無断で引き取るわけにもいかない。

時政に、思うところを述べた。

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本日(3/5)は啓蟄、ずいぶん春めいてきました。

平家物語の群像 六代と文覚③清盛:頼朝=頼朝:六代

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$吉備路残照△古代ロマン-福原 福原京 (神戸市:中央区~兵庫区あたり)

「前世の宿縁なのか、六代殿をとても不憫に思います。差し支えなければ、20日間、時間が欲しい。

鎌倉へ下って、頼朝殿のお許しをいただきます。

というのは、私が頼朝殿を世に送り出そうと鎌倉、京都そして福原と走り回っていたころ、頼朝殿が約束してくれたのです。

福原…文覚が頼朝旗揚げのために東奔西走していたころ、 … … … … …… 都は福原であった

『どんなに大事なことでも、文覚房の頼みなら、この頼朝が生きている限り叶えましょう』

まさか、お忘れではありますまい」


翌朝早く、文覚は鎌倉へ下って行った。

見送る斎藤五宗貞斎藤六宗光は、生き仏をあがめるように手を合わせ、ありがたくて涙をあふれさせていた。

ふたりが新大納言に報告したとき、新大納言はどれほど喜んだことか。


しかしまだ、六代が救われたわけではない。

すべては、頼朝の胸三寸にある。

将来、敵の総大将になりうる立場にある六代を、過去の約束があるとはいえ、文覚に預けるかどうか。

思い返せば、平家全盛のころ、清盛が継母・池禅尼のひたすらな助命嘆願を聞き入れて、頼朝の命を奪わなかったばかりに、今、源平の立場が逆転している。

あの時の清盛の立場が頼朝であり、頼朝の立場が六代。

そして、敢えていえば、池禅尼が文覚である。


そうは言っても、やはり六代の命が20日間ほど延びたことを母親乳母は喜んだ。

これもひとえに長谷寺の観音様のご加護によるのではないかと、改めて信心を深くした。

そうこうするうちに、20日間が過ぎた。

しかし、まだ文覚は鎌倉から戻って来ない。

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黄砂にPM2.5にスギ花粉、住んでいる土地と体質によっては困った時節がやってきました。

日本製の空気清浄機が中国で飛ぶように売れているとか。

日本が環境技術で協力しようともちかけているが、中国は断っているようです。
軍艦や戦闘機につぎ込んでいる莫大なカネを、環境関連のために回せばいいものを……。

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平家物語の群像 六代と文覚④時政、六代と鎌倉へ

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$吉備路残照△古代ロマン-鎌倉  鎌倉駅

六代の助命嘆願のため、文覚は20日間の猶予をもらって鎌倉へ下ったが、約束の日数が過ぎても戻って来ない。

新大納言は、「一体、どうしたことでしょう」と気が気ではない。

時政は、「これ以上京都に留まれば、頼朝殿のお叱りを受ける。もう帰らねば」と帰り支度を始めた。

斎藤五宗貞斎藤六宗光は心配のあまり、大覚寺へ参って宿坊に新大納言を訪ねた。

文覚房はまだ戻られません。時政殿は明日早朝、鎌倉へ下向されるようです」

「聖が、あれほど頼もしげに鎌倉へ向かわれたのですから…」

新大納言は自分に言い聞かせるようにいうが、内心、どれほどつらい思いをしていることか。

乳母女房たちは、泣いている。

「鎌倉へもどる時政殿に、文覚房と出会う所まで六代を伴ってくれるよう、だれか口添えしてくれないものか。

もし、文覚房が六代の命を頼朝殿からもらいうけて、こちらへ向かっていたら……。

もし都に着かれる前に、六代が斬られたら、余りにむごい。

……六代は、時政殿が都を立つ前に殺されるのか」

「若君のお世話をしている北条の家の者たちが名残り惜しそうに念仏を唱えたり、涙を流したりしていました」

「それで、あの子の様子は」

「だれか人がいる時は、なんでもない様子で数珠を揉んでおられます。しかし、だれもいない時は、袖を顔に押し当てて、涙に暮れておられます」

「今日明日に殺されると思うと、さぞかし心細いことでしょう。

……ところで、そなた達はどうするのですか」

「どこまでも若君のお供を致します。あの世に逝かれたら、遺骨を頂いて高野山に納め、出家して菩提を弔います」

「そろそろ、六波羅へお戻りなさい」


文治元年(1185)12月17日早朝、北条時政は六代を伴って都を発った。

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2011年(平成23)3月11日(金)14時46分 東日本大震災発生



言葉とメロディーと歌心と……。
静かに聴き入っている皆さんの表情もいいですねぇ。

作詞家で48グループの総合プロジューサーである秋元康氏は、宮城県女川町の依頼を受けて、新しく作られる商店街のプロデュースをボランティアで行うそうです。


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平家物語の群像 六代と文覚⑤千本松原で

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$吉備路残照△古代ロマン-千本松原の不二 「千本松原の不二」
……葛飾北斎木版画


斎藤五宗貞斎藤六宗光は、六代の輿(こし)の左右に付きそった。

時政は乗り換え用の馬を用意して、ふたりに乗るよう勧めたが、大覚寺から六波羅へ出かけたとき同様やはり乗らなかった。

「最後のお供です。つらくはありません」

京都から鎌倉まで、裸足で歩きはじめた。

こうして、平家一門の嫡子として生れながら栄華の時代をまるで知らない六代は、乳母(めのと)たちとともに、世間から隠れるようにひっそりと暮らしていた都に別れを告げた。

見知らぬ鄙びた東国へ向かう六代の心の内は、察するほどに哀れである。

しかも、鎌倉下向がそのまま「死への行進」なのかも知れないのだ。

恐怖心が去ることはない。

六代は、鎌倉武士が自分の乗っている輿の方へ馬を走らせてくると、「あっ、首を斬りにきた」と怯え、彼らが何か囁きあっていると、「いよいよ、最期か」と心が小刻みに震えた。


京都山科の四宮河原(しのみやがわら)を眺めたかと思うと、いつの間にか逢坂関(おう/あふさかのせき:山城と近江の国境の関所)を通り過ぎて、大津の浦に着いていた。

粟津の松原(近江)にさしかかったころ、辺りを見回すと日が暮れかかっている。

幾つかの国々や宿場を過ぎて駿河に入ると、いよいよ六代の命運は尽きたと思われた。

武士たちが、千本松原(沼津市)で六代の輿を下して、地面に敷皮を広げた。

「若君、お降り下さい」

時政が馬から飛びおりて、急いで六代の近くに駆け寄った。

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 ………… $吉備路残照△古代ロマン-桜開花予想

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平家物語の群像 六代と文覚⑥鎌倉殿の御教書これにあり

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$吉備路残照△古代ロマン-忠盛から六代へ  【平家嫡流】 -平正盛(伊勢平氏中興の祖)-忠盛-清盛-重盛-維盛-六代 (正盛から六代目)


「道中、鎌倉から戻る文覚房とすれ違うかも知れないと思い、若君をここまでお連れしました。しかし、頼朝殿のお気持ちが分からないゆえ、足柄山の向こうにはお連れできません。

『近江で、六代殿をお斬りしました』と報告するつもりです。お気の毒ですが、若君は平家の方です。仕方ありません」

六代は時政に対しては何も答えず、斎藤五宗貞斎藤六宗光を呼んだ。

「おまえたち、私が斬られたと母上に申し上げてはならぬぞ。嘆き悲しまれたら、極楽往生できない。鎌倉まで無事送り届けたと伝えてほしい」

斎藤五宗貞が、両手をついて涙を抑えながらいった。

「若君に先立れて、生きて都へ戻ろうとは思いません」


六代が敷皮に座って、肩にかかった髪を小さな美しい手で前へ払った。

その可憐な仕草を見ていた無骨な鎌倉武士たちは、目頭を熱くした。

「何といじらしい。この期に及んでなお気品を保っておられる」

六代は西方浄土に向かって手を合わせ、念仏を唱えながら首を伸ばした。

斬り手に選ばれた狩野親俊が太刀を構えて、左から六代の背後にまわる。

しかし、まさに太刀を振り上げ、ひと呼吸おいて振り下ろそうとしたとき、目が眩んで意識を失った。

「どうしてもお斬りできません。他の人に申しつけて下さい」

太刀を捨てて退いた。

「仕方がないな」

時政が改めて斬り手を選んでいるとき、墨染の衣を身にまとって月毛の馬に乗ったがひとり、千本松原に向かって鞭を打って駆けていた。

千本松原の方にぞろぞろと集まっていく老若男女が噂しあっている。

「お気の毒に。あの松原の中で世にも美しい若君を北条殿が斬ろうとしてなさる」

聖は笠をとると、高く差し上げて声を限りに叫んだ。

時政が気がついて待っていると、ほどなくその聖が駆けつけて馬から飛び下りた。

「若君乞ひ受け奉つたり。鎌倉殿(源頼朝)の御教書(命令書)これにあり」


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日本だけでなく、世界的に大きな分岐点にさしかかっています。
何か大きなうねりが、地球的規模で起ころうとしています。

国論が二分するなか、安倍政権は環太平洋経済連携協定(TPP)交渉に正式に参加表明しました。
まだ分からないことが多すぎるが、「守り」から「攻め」へという安倍氏の基本的姿勢には共感します。

平家物語の群像 六代と文覚⑦文覚、六代を救う

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$吉備路残照△古代ロマン-富士川の戦い  富士川 (の戦い)

時政は2、3度くり返し読んだ。

「小松三位中将維盛卿の嫡子・六代御前を捜しだしたと聞いている。しかしながら、高雄の文覚房がしばらく六代殿を預かりたいと願い出ている。疑うことなく、預けるように。

  …… ……   北条四郎時政殿へ  頼朝

最後に、判が押してある。

「たしかに、承知致しました」

斎藤五宗貞斎藤六宗光はいうまでもなく、北条家の者たちも喜びの涙をこぼしている。

そこへ、晴れやかな表情をした文覚房が現れた。

「時政殿、六代御前をお預かりする」

そして、ここに至った頼朝との経緯を語りはじめた。

「頼朝殿とまわりの御家人たちは当初、『六代殿の父・維盛卿は、富士川の戦いをはじめとして、度々源平のいくさに大将軍として指揮を執られた。たとえ文覚坊の願いであろうと、認めるわけにはいかない』と拒んだ。

それゆえ、頼朝殿に、『文覚の頼みを退けて、どうして神仏のご加護を得ることができましょうや』などと悪態をついたが、それでもなお、頼朝殿は、『いや、だめだ』と言い残して、那須野に狩りに出かけてしまった。

それで、私も狩り場まで出向いて、言葉を尽くして説得、ようやく六代御前の命を預かりました。

貴殿はさぞかし、私がなかなか戻って来ないのでヤキモキしていたことでしょう。そういう事情だったのです」


「文覚房が約束された20日間はとうに過ぎております。頼朝殿のお許しがなかったのだと思っておりました。

六代殿をお連れしていて、よかった。もう少し御坊の到着が遅かったら、私は過ちを犯すところでした。

         ……         ……

しばらくお供したいのですが、頼朝殿に色々報告しなければなりません。ここでお別れします」

時政は、六代と文覚に挨拶して鎌倉へ下っていった。

京都へ戻る者たちと、鎌倉へ向かう者たちとの間にあたたかな親愛の情が通い合っていた。


六代を預かった文覚は、上洛途中、尾張の熱田で年の暮れを迎える。


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人智をこえる巨大地震や津波が襲ってきた時、どう振る舞うか。ジタバタするか、静かに呼吸を整えるか。

東海沖~九州沖の南海トラフで巨大地震が発生した場合、激しい揺れや大津波により経済的な被害額は最悪で220兆3千億円に上るとの試算を18日、内閣府の作業部会が発表した。

これは国家予算の2年分を上回り、東日本大震災の約13倍、阪神大震災の約23倍に相当するという。

これらの途方もない数字が、想像しがたい災害の規模を示唆しているのではないだろうか。

平家物語の群像 六代と文覚⑧母の涙

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$吉備路残照△古代ロマン-神護寺 神護寺 京都市右京区高雄

翌年の1月5日夜、帰京した。

大覚寺の門を叩いたが、誰もいないのか物音がしない。

六代が飼っていた白い子犬が、築地の崩れから走り出てきて、尾を振った。

「母上は、どこにおられるのだ」

子犬にたずねる様子が、いじらしい。

大覚寺の境内をよく知っている斎藤五宗貞斎藤六宗光は、築地を乗り越え内側から門を開けた。

宿坊はもぬけの殻で、人が住んでいる様子ではない。

「母上たちに、何かあったに違いない」

母恋しさに、六代は夜通し嘆き悲しんだ。

翌朝、里人に尋ねると教えてくれた。

「昨年の暮れに東大寺へ参って、正月からは長谷寺に籠っておられると聞いております」

斎藤五宗貞が長谷寺へ馬を飛ばして、新大納言六代が帰ってきたことを知らせた。

わが子の命を諦めかけていた母は、急いで戻ると、六代をひしと抱きしめた。

尽きせぬものはただ涙、涙……。

「六代、これは夢かうつつか。すぐに出家なさい」

しかし、文覚は六代を出家させることを惜しんで神護寺に入れる。

そして時折、ひっそりと暮らしている新大納言のもとを訪れて何かと便宜を図った。


六代は14、15歳になると容姿にますます磨きがかかって眉目秀麗、照り輝くばかりになった。

さすがに「光源氏の再来」の名をほしいままにした父・維盛(これもり)の血を引いているだけのことはある。

母の新大納言はしきりに嘆いた。

「世が世なら、今頃は近衛司くらいにはなっていたでしょうに」


一方、鎌倉の権力者は、六代を文覚に預けながらも、気を許しているわけではなかった。

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 第2回瀬戸内国際芸術祭、開幕 海の復権と島の四季

会期は、春は3月20日~4月21日の33日間。夏は7月20日~9月1日の44日間。秋は10月5日~11月4日の31日間。

会場は、直島、豊島、女木島、男木島、小豆島、大島、犬島(岡山市)の前回会場に、沙弥島、本島(丸亀市)、粟島(三豊市)、伊吹島(観音寺市)を加えた11島。

新たに参加する島の開催期間や方法については今後、島の文化や地域資源、既存イベントの特徴を生かす方向で、住民や関係自治体と協議する。

■問い合わせ 芸術祭総合インフォメーション

      電話087(813)2244

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