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Channel: 吉備路残照△古代ロマン
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だて男 ⑫粗暴そうな大男

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$吉備路残照△古代ロマン-ユーロ圏 ユーロ圏

同じ日本人でも、ガイドに引率されたツァー参加者は、ひとりで海外を旅する者に比べておそらく多くの面で無防備だろうし、ひいては円と外国通貨との交換率にも鈍感であろう。

紙幣の価値が肌身で分かる円だったら、いくら人がよく素直な日本人でも、非常識きわまる金額を言われるままに出す気にはならないのではないか。

それにしても、数十万円からの大金を持ち歩いて、一度の食事代にポンと支払っている同胞が三太郎には恨めしかった。


レシートの束の半分ほどに目を通した頃合いを見計らって、店長が、「どうですか」と尋ねてきた。

どうですか、とはどういう意味か。

日本人を甘く見てはいけない。

カモになるのは御免こうむると、三太郎はレシートの束を店長に突き返した。


店長はあきれたという顔をすると、だて男に何か耳打ちをした。

だて男が部屋から出て行った。

ほどなく、後ろのドアが「ギィー」と鈍い音を立てた。

振り返ると、額に2cmほどの傷のある、粗暴そうな大男が身体を折り曲げるようにして入ってくる。


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だて男 ⑬聞き分けのない日本人

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$吉備路残照△古代ロマン-ミロ美術館 ミロ美術館 バルセロナ

赤ら顔の大男は小さな机に両手をつくと、三太郎をにらみつけ、毛むくじゃらの右手で、机をドンと叩いた。

「あんたかね、聞き分けのない日本人というのは」

英語だ。

ゾクッと冷たいものが、三太郎の背中を走った。

これではヤクザと同じではないか。

やはり裏世界(マフィア)と繋がっているのか、この店。


もう一つ、疑問が浮かんだ。

この、映画やテレビドラマなどで目にしたことのある警察の取り調べ室を想わせる部屋に連れて行かれた外国人客は、三太郎が初めてではないはずだ。

店長とだて男と外国人客の3人が、他の大勢の客が食事しているテーブルの間を縫って歩いていく。

異様な光景だろう。


地元の人々のあいだで、「あのレストランはおかしい。時々、外国人客を店の奥の部屋に連れ込んでいるぞ」といった噂が立たないものだろうか。

歓楽街ではなく、首都マドリードに次ぐスペイン第2の都市の目抜き通りに面しているのだ。

あるいは、噂がたってもそれっきりなのか。

もしかしたら、治安に対する日本人の感覚を持ち込むこと自体、間違いなのかも知れない。


思い返すと、バルセロナで昼食をとるためにたまたま入った、通りからの見た目は小奇麗だが、実はいかがわしかったレストランには、外国人客から法外な金を巻き上げるための段階が幾つかある。



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だて男 ⑭海外でぼられない為に 一例

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$吉備路残照△古代ロマン-ペドラルベス修 ペドラルベス修道院

第1に、「スペイン流テーブルマナーの指導」という頼まれていないことを、外国人観光客のための「特別サービス」であるかのごとく装って、半ば強制的に押し付ける。

「スペイン流……」と銘打っているのは、単に「テーブルマナーの指導」にすると客の反感を招きかねないからだろう。

もちろん、法外な金額を請求書に記すことを少しでも正当化するためだ。

これは英語の使い手である、だて男の担当。


だて男によると、食事を終えたほとんどの客は、レシートに書かれている常識とはケタ違い以上の金額に少しの疑いも持たずに払っている。

幸か不幸か、本人はぼられたことに気が付いていない。

レストランとしては、してやったりだ。


納得しないやっかいな客には、第2の手。

招かれざる客はおそらく、「だて男では埒があかない。店の責任者を呼べ」というだろう。

店長を名乗る、恰幅のいい人物がやって来る。

そして、入り口が低くて頭を下げないと入れない三畳ほどの煙草のヤニの臭いが充満している薄汚い部屋に入れる。

頭を下げるという行為は、人の心理に何らかの微妙な作用を与えるものだ。

しかも入った部屋は狭くて、タバコ臭い。


そうしたプレッシャと不快感を与えておいて、店長が、金額は決して不当なものではないと説得を試みる。

これが3番目だ。


説得に失敗したら、レシートの分厚い束を見せて、他の客はちゃんと支払っているという「証拠」を見せる。

これが4番目。


それでも応じなかったら、5番目に、悪役プロレスラーのような風貌の男を呼んで、凄みを利かせて脅す。



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だて男 ⑮警察に黒白をつけてもらおう

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$吉備路残照△古代ロマン-コロンブスの塔 コロンブスの塔のライトアップ

プロレスラーまがいの巨漢の脅しにも折れなかったら6番目だが、幸い三太郎は6番目を知らない。

暴力を振るわれたのだろうか。

暴力、監禁、殺害、闇から闇へ、2度と母国の土を踏むことは……。


ここで脅迫に挫けては、2時間近く粘り通してきたことが水の泡だ。


三太郎は懸命に平静を装いながら、店長を見据え、抑えた声でいった。

「こんなことでは、いつまで経っても埒があかない。残念だが、警察に黒白をつけてもらうほかに手立てはなさそうだ。電話を貸してほしい」

立ち上がって電話機に向かう三太郎を、店長もすぐに立ち上がり、両手を広げて制した。


「ちょっと待って、こうしよう。今ここで、1万円だけ払って下さい。残りの17万円は、あなたの泊まっているホテルへあとで届けます。受け取ったらすぐに銀行で振り込んで下さい」

ラテン系の国で、こんなに警察の威力が大きいとは思わなかった。

意外だったが、有り難いことである。


三太郎はふたたびバルセロナの街へ出ると、大きく背伸びして、『聖ファミリア教会』の方へ歩き出した。


ホテルに請求書が届くことはなかったが、この日を境に、三太郎は、ウインドウに並んでいる商品に値段の書かれていないレストランには入らないことにした。


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夢まぼろしの如く ①尾張のうつけ

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$吉備路残照△古代ロマン-本能寺の変 本能寺の変

天下統一の途上、本能寺で無念の最期を遂げた織田信長は、その断末魔の中で何を思い、迫りくる炎の中に何を見ていたのだろう。

人の一生を通して、目はその人物の心の動き、また人生と社会に対する心構えを示す。

その人物が人生の目標を掲げ、創造的かつ意欲的に生きようとしているか、あるいは無気力、無感動、何らの目的もなく、ただ日常身辺の雑事の処理に取り紛れているのみか、目を見れば分かる。


内外の敵対勢力だけでなく、家臣や領民にまで、「尾張のうつけ」と呼ばれ、蔑まされていたころの信長は、いかなる目の持ち主であったのだろう。

およそ大名の子らしくない、ひどく異様で粗末な服装と、堅苦しい行儀作法などどこ吹く風といった型破りの行動とで、父の信秀と守り役の平手正秀とを悩ませながら、その目で何を見ていたのか。


実母の土田御前さえ、常識人で折り目正しい弟の信行を偏愛し、変人極まりない嫡男・信長を嫌っていた。

夫・信秀の死後、信長を廃嫡し、信行を世継ぎにしようとする勢力に積極的に加担しているほどだ。

わが息子ながら、できそこないの信長では織田家は立ち行かない、という心配もあったのだろう。

いずれにしろ、母親が実の息子を憎むとは尋常のことではない。


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夢まぼろしの如く ②斉藤道三との対面

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$吉備路残照△古代ロマン-斎藤道三 美濃国主・斉藤道三

若き日の信長は、本などはとんと読まず、日がな一日、のちの前田利家など数人の家来を引き連れて、野山に馬を駆っては狩猟に精を出していた。

あたたかい季節には、日が落ちるまで、川で泳いでいる。


しかしながら、信長は、そうした闊達な遊びに夢中になりながら、たえず目と頭と勘を働かせ、先例にとらわれることなく、遊び方に工夫を凝らしている。

家来たちに竹槍で勝負をさせながら、当時の武士の常識と違って、竹槍は短いのよりも長いほうが有利なことを発見する。

鷹狩りに興じている最中にも弓、鉄砲、兵法などの訓練を怠らなかった。


ふだんの遊びが単に遊興にとどまらす、将来に備えての軍事的な訓練に結びついていたのである。

珍奇ないでたちや、世間の眉をひそめさせる度外れの振る舞いも、ただの気まぐれや物好きからではなく、形式ばかりで実質の伴わない室町的な伝統的権威に対する反逆心と、生来のあくなき合理精神と実証主義のゆえなのかもしれない。


しかも、時と場所によって、信長はみごとに自分を演じきる。

20歳のとき、舅の美濃国主・斉藤道三の求めに応じて、尾張と美濃の国ざかいに近い聖徳寺で対面することになった。


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夢まぼろしの如く ③気後れした道三

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$吉備路残照△古代ロマン-織田信秀 織田信秀木像

自分と初めて対面するするために聖徳寺にやってくる馬上の信長が、噂どおりの奇妙奇天烈な風体で行列を率いているのをみた道三は、これで尾張はいずれ俺のものだとほくそ笑んだ。

だが聖徳寺で信長と対座したとき、道三は度肝を抜かれる。

髪かたちと服装を整えた信長が、威儀を正して思いもかけぬ端正な姿で現われたのだ。

下克上の世に、一介の油商人から美濃の国主に成り上がった百戦錬磨の蝮(まむし)が、若い信長の気品に気後れした。


しかも、槍も弓も鉄砲も美濃方が見劣りしている。

戦術面においても、婿殿は並々ならぬ才幹を秘めているようだ。

道三は信長の大器量を認めざるを得ず、いずれ自分の息子たちが信長の軍門に降ることになるだろうと予感せざるを得なかった。


少年の頃からすでに、信長は非凡な創造力と行動力をあわせ持ち、自主独立の精神を確立していたのである。

日々の明け暮れの中で、知らず知らずのうちに、時代の一歩先を見通す素地を作り上げていたのだ。

だが、信長が18歳のとき、織田家で孤立していた彼の保護者であり、最大の理解者であった父・信秀が、流行の病にかかって死んだ。

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夢まぼろしの如く ④弱肉強食の世

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$吉備路残照△古代ロマン-群雄割拠 群雄割拠

自身が喪主である葬儀の日、父の位牌に思いっきり抹香を投げつけた信長は、以後おのれ一人の力で、血で血を洗う凄惨な戦乱の世を、生き抜いていかねばならない。

将来への打ち消しようのない不安と、じわじわと胸にこみあげてくる風雲の志がないまぜになって、全身全霊が打ち震えるような思いであったろう。


しかしながら、家臣や領民たちの信望は、うつけの信長よりも、貴公子然とした弟の信行にあった。

実母の土田御前さへ、奇矯な振る舞いの多い嫡男の信長を遠ざけ、信行を偏愛する。

筆頭家老の林通勝柴田勝家も信行側へ走った。

守り役の平手政秀は、信秀の死後も、いっこうに改まらない信長の素行を戒めてか、自ら命を絶つ。


そんな絶望的な状況の中で、骨肉相争う織田家をまとめ、今川家斎藤家など四隣の強敵を倒さねばならない。

倒さねば、自分が滅びる。


こうして、弱肉強食という非情にして残酷な戦国の世の掟が、信長の行動原理となった。

実弟の信行や主家筋の織田家をはじめ、敵対する同族を、知略や謀略によって次から次に滅ぼしていく。

しかも驚くほど早い時期に、信長には天下という観念が芽生えている。


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夢まぼろしの如く ⑤天下布武

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$吉備路残照△古代ロマン-桶狭間古戦場 桶狭間古戦場公園

永禄2年(1559)、信長26歳。

尾張一国を平定するより前に上洛して、13代将軍・足利義輝に尾張の統一者として、親しく拝謁した。

都からはるかに遠い信州の川中島では、竜虎とでもいうべき上杉謙信武田信玄が雌雄を決していた頃である。


若い信長は早くも、将軍と天皇の住む権力と権威の中心・京都を視野におさめて思考し、行動していたのだ。

天下を取る。

乱世の掟である弱肉強食の論理の行きつく先はそこにしかない。

行きつけば、世は収まる。

信長のすべての感性と知性と行動力が、その一点に向かってギリギリと絞られていく。


永禄3年(1560)、天下に号令しようと大軍を擁して西上する今川義元を田楽狭間に奇襲して滅ぼした信長は、一躍名を上げ、天下取りへの第一歩を踏み出した。

そして、合戦時には今川家の部将であった徳川家康と同盟を結び、東国は家康に任せた。


東へ備える必要のなくなった信長は、全力で道三亡き後の美濃・斎藤家をうかがう。

長い歳月にわたる苦闘の末に斎藤龍興を降し、本拠地を尾張の清洲城から、京都により近い美濃の稲葉山城に移した。


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夢まぼろしの如く ⑥冷酷にして非情

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$吉備路残照△古代ロマン-岐阜城 現在の 岐阜城

この頃から、信長に戦乱の世をまとめて天下を統一しようという気持ちが具体化し、政治的かつ軍事的な日程に上るようになった。

そして、天下統一の自らの意思を内外に示すため、「天下布武」の朱印を用い始める。

また稲葉山城を、中国の周王朝発祥の地、岐山にちなんで岐阜城と改名した。

現在の岐阜市のはじまりである。


信長にとって、天下布武の前には肉親の情も家臣への温情も仏教の聖地もない。

障害物は、たとえ比叡山であろうと叩き潰す。

役に立たない無能な人間は、佐久間信盛ら過去に功績のあった重臣でもただちに追放した。

裏切り者の家族は、見せしめのために女性や子供をふくめて皆殺しだ。


姉川の戦いのあと、朝倉義景側についた妹・お市の方の夫である浅井長政ら、敵将のドクロに酒を注いで祝宴をはり、部将らを震え上がらせたともいう。

カミソリのような冷酷な計算と、身もすくむような非情さが、ここにはある。


一方、信長はたぐいまれな科学的合理主義者であった。


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夢まぼろしの如く ⑦合理主義と人材登用

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$吉備路残照△古代ロマン-織田家最大版図 織田家最大版図

当時の時代状況においては、日本人離れしていたと言っても過言ではない。

応仁の乱以来の停滞した経済を活性化させるため、城下に楽市楽座の制を布いたり、領内の道路を整備したり、関所を廃止したりして各地から商人を集めた。


また稲葉山城に入るとき、家臣団の家族も尾張から岐阜によび、兵農分離をはかっている。

他の大名は例外なく、政治・経済・軍事的な基盤を農業において疑わなかった時代である。

戦術家としては信長を上回ったかもしれない上杉謙信武田信玄毛利元就ら諸国の群雄と信長が、ひと味もふた味も違う点だ。


人物を見抜くに卓越した目を持つ信長は、家柄にとらわれることなく有能な人材を貪欲に見いだし、能力に応じて登用していく。

実力主義をとる信長に仕えたからこそ、農民の子である木下藤吉郎は才覚を存分にいかして立身出世できた。

信長の死後には天下人にもなりえたのだ。


明智光秀は地方の名門出身ながら浪人生活が長く、42歳のときに信長に仕官してようやく才能を発揮する場を得る。

猪突猛進型の家臣団の中で、武人としての能力だけでなく、幅広い教養にも恵まれた部将として頭角を現していく。

織田家の勢力伸長とともに、将軍家や朝廷との交渉にあたった。

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夢まぼろしの如く ⑧中世的なるものの破壊

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$吉備路残照△古代ロマン-種子島鉄砲 種子島鉄砲まつり

豊臣秀吉明智光秀の目覚ましい立身出世ぶりは、門閥主義の大名家ではとうてい考えられないことだ。

徳川時代末期の薩摩藩における、島津斉彬西郷隆盛との関係を彷彿とする。


信長は地球儀など西洋伝来の文物にも素早く対応し、居合わせた宣教師たちが驚嘆するほどの理解力を示している。

種子島に漂着したポルトガル人がもたらした鉄砲の効用にも、いち早く目をつけて大量生産を押し進め、その独占化を図った。

三段構え一斉射撃という独創的な戦法を考案し、長篠合戦において戦国最強といわれた武田家の騎馬隊を、掌中の駒を倒すようにやすやすと葬りさったのは世に名高い。

刀や槍の時代に鉄砲の威力を最大限に活用して、天下布武の原動力にしたのである。


また腐敗した仏教界を嫌悪した信長は、万里の波濤を越えてやってくるカトリック教徒たちの、布教のためには命をも惜しまぬ使命感と、強靭な意志とに深く共感して、京都や安土において布教を許した。

こうして、信長は神仏をも畏れぬ大魔王の目と、透徹した科学的合理主義者の目をもって、天下統一への道を突き進む。

中世的なるものを破壊し、西洋の科学文明を積極的に採り入れて中央集権の新しい社会体制を構想したのだ。


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夢まぼろしの如く ⑨徳川家康の述懐

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$吉備路残照△古代ロマン-松平信康 松平信康の墓

だが、生まれてきた時代を間違えた革命児は、前ばかり見ていた。

どこまでも自分を恃む天才は、足元に注意を払おうとしなかった。

家臣ら、回りの者たちの屈折した心理を読み取ろうとしなかった。


信長にとって、あらゆる人間は機能としてのみ価値があり、なかんずく家臣らは天下統一という大義を実現するための道具でしかなかった。

部将たちは、どれだけ自分のために働けるか。

それだけの存在であって、彼らは自分の意思など持ってはならなかった。


乱世において、珍しく同盟関係の破れることのなかった弟分であり客将の徳川家康さえ、後に、「信長公にとって、自分らは虫けらのようなものであった」と述懐している。


かつて、家康は信長の命によって、武田家との内通などの理由により、妻の築山御前と嫡男の信康を自らの手にかけねばならなかった。

信康の妻は、信長の長女・徳姫

徳姫と築山御前の嫁姑の対立から、徳姫が父親に12ヶ条からなる訴状を送ったことによるとも言われる。

いずれにしろ、家康に限らず妻子を殺さねばならないこと以上の痛恨事はなかろう。


あるいは娘の気持ちとは別に、信長自身、家康に信康を殺させたもう一つの意図があったのかも知れない。

その昔、持統天皇が病弱で凡庸なわが子・草壁皇子に比べて、格段にすぐれた甥の大津皇子を、これという理由もなく処刑したことに通じることだ。

信長や家康世代のあと、時代状況によっては、信康は信長の嫡男・信忠を脅かす存在になりかねない。


持統にしろ信長にしろ、親心といえば聞こえがいいが……。

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夢まぼろしの如く ⑩乱世のむごたらしさ

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$吉備路残照△古代ロマン-築山御前 築山御前の首塚

力の論理の支配する乱世のむごたらしさを思わずにはいられない。

ちなみに、信康の「信」は信長からもらったものだ。

とにかく、こうした信長の極限の仕打ちに、家康は持ち前の忍耐力で耐えた。


ここで、21世紀の凡夫は思う。


家康と築山御前との夫婦仲は冷え切っていたといわれるが、それでも信長の命令で殺せるものか。

後継者として、その成長を楽しみにしていた信康はなおさらだろう。

この二人を守るために、夫として父親として、強大な織田信長に挑むべきではなかったか。

負け戦が目に見えているとしても。

理不尽な要求に耐え忍ぶといっても、とどのつまりは戦わずして尻尾を巻くだけの話ではないか。


でも、やはり、これは昭和から平成に生きている者の価値観であり、発想なのだろう。


家康は、おそらく「妻・子」と松平家(徳川家)という「家」を計りにかけた。

その結果、針は「家」の方に振れた。

先祖代々受け継いでいる「家」は、何があっても存続させねばならない、と。

歯を食いしばってでも、自分の代で断絶させてはならない。


家康に限らず、信長は家臣たちの心情と誇りをたびたび踏みにじっている。

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夢まぼろしの如く ⑪信長と秀吉

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$吉備路残照△古代ロマン-豊臣秀吉 日本一の出世頭 豊臣秀吉

羽柴秀吉は、信長に怒鳴られようと叱り飛ばされようと、天性の快活さと目から鼻へ抜ける機敏さで、うまく受け流した。

もっとも烈しく逆鱗に触れた場面は、おそらく北陸で上杉謙信を攻めている柴田勝家の下に馳せ参じて、勝家の指揮下で上杉と戦ってこいと命じられた時だろう。

いったん軍勢をととのえて柴田が居城としている北ノ庄城に出陣したが、勝家の傘下に入ることを潔しとしない秀吉は、作戦の立て方でわざと勝家と衝突して勝手に自分の居城に帰ってしまった。


秀吉がまだ木下藤吉郎だったころ、仰ぎ見ていた織田家譜代の重臣・柴田勝家から苗字の一字をもらって羽柴に改名したのが、もはや今や昔である。

ちなみに、羽柴の羽はやはり譜代の重臣・丹羽長秀から頂戴している。


信長は激怒し秀吉を打ち首にしようとしたが、秀吉は妻のねねとともに土下座して謝りつづけ、ようやく許しを得た。

秀吉には地べたに額をこすり付けて必死で詫び続けながらも、どこかしら舌を出しているようなところがあり、信長もそのことを分かっていて愛嬌として受け止めていたようだ。

ねねも気に入っていた信長は打ち首を許し、秀吉に蟄居謹慎を命じる。


しかし松永久秀が反旗を翻して信貴山城にたてこもると、蟄居謹慎も解いて織田信忠の下につけ、久秀を攻略させた。

何といっても、信長は秀吉の実力を認めていたのだ。

それから間もなく、秀吉の天下人への足掛かりにもなる毛利攻めの総大将という、勝家の上杉攻めに並ぶ大役を与える。


信長と秀吉は、波長が合っていたのではないだろうか。


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夢まぼろしの如く ⑫信長と光秀

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$吉備路残照△古代ロマン-明智光秀 辛かっただろう 明智光秀

秀吉が陽なら、光秀は陰。

保守的なインテリーである光秀は、生真面目すぎる性格ゆえに、信長の言動から受ける屈辱の数々を正面からかぶり、憎悪の念を心の底深く沈めていった。

これが天下の覇権確立を目前にして、信長が挫折した要因である。


信長がいかに光秀の心情と誇りをズタズタにしていったか、いくつかを時系列で追ってみよう。

映画やNHKの大河ドラマなどで、広く知られていることである。


天正3年(1575)6月、信長に近畿平定を命じられた光秀は、近畿各地を転戦しつつ4年越しで丹波の八上城城主・波多野秀治を降して、天正7年(1579)ついに畿内を平定した。

波多野氏を降伏させると、秀治(ひではる)と弟の秀尚(ひでひさ)を安土の信長のもとに送る。

その時のことだ。

光秀は、秀治らの身の安全を保証するために、自分の母親を人質として八上城へ入れた。

ところが、あろうことか信長は6月2日、光秀が母親を人質として敵方に差し出していることを承知の上で、秀治らを磔(はりつけ)に処した。

ここに、光秀と信長の性格の違いが際立つ。


しかも何の因果か、その日は本能寺の変のちょうど3年前にあたる。

信長が徳川家康に命じて、妻の築山御前と嫡男の信康を殺させた年でもある。

怒った波多野の家臣たちは、光秀の母親を磔にした。


そして運命の1582年。

3月、光秀は、長篠の合戦後も抵抗を続ける甲斐の武田勝頼征討軍に従った。

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