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Channel: 吉備路残照△古代ロマン
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平家物語の群像 引き回し④義経の屋敷へ

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$吉備路残照△古代ロマン-後白河法皇  後白河法皇 

        「日本一の大天狗」源頼朝

後白河法皇公卿や殿上人とともに六条東洞院に車を出して、壇の浦で生け捕りにされた平家一門の引き回しを眺めていた。

法皇にとって、清盛存命のころから身近に接していた面々でもあり、さすがに一抹の同情の念を禁じ得なかった。

平家華やかなりし頃は、だれしもが一門の目にとまって声を掛けられることを願っていたものだ。

彼らの凋落した姿を見ることになろうと、だれが想像できたであろう。

時の流れのむごさに、身分の高い者も低い者もみんな涙ぐんでいる。


先年、宗盛内大臣に昇進して喜び申しの儀が執り行われた時には、花山院大納言や藤原兼雅をはじめ12人の公卿が宗盛の車に追従した。

蔵人頭の平親宗以下の殿上人16人が前駆を勤める。

それに中納言が4人、三位中将が3人続いた。

公卿も殿上人も、「今日は晴れ舞台だ」と喜んでいたものだ。


今は、猫の子一匹従っていない。


壇の浦で生け捕りにされた平家の武士20人ほどは、白い直垂を着け、馬の脊に縛り付けられて引き回されている。

同じ罪人でも、立派な車に乗せられている宗盛らとはずいぶん扱いが違う。

六条通りを東へ河原まで、そこから戻って義経の宿所である六条堀川の屋敷に入れられて、厳重に監視された。

食事がでたが、宗盛は胸が塞がって箸をつけることも出来ない。


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引き回し⑤義経、時忠の娘をめとる

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$吉備路残照△古代ロマン-郷御前の墓  郷御前の墓(右)と娘の墓  …… 平泉町金鶏山麓

宗盛は夜になっても装束(しょうぞく:貴族の衣服)を解こうとせず片方の袖を頭の下に敷いて横になっていたが、隣で寝ている息子の清宗に自分の浄衣をかけてやった。

その様子を見ていた警護の侍たちは、感涙する。

「ああ、身分の高い人も我々と同じなのだ。恩愛の情ほど切ないものはない。浄衣をかけても変わりはないものを。愛情がさせるのだなぁ」

宗盛は平家の棟梁としては落第の烙印を押されているが、とても優しい父親だったようだ。

将軍や政治家というより、おだやかな家庭人だったのだろう。


時忠義経の屋敷近くにいたが、嫡男の時実(ときざね)にたずねた。

「洩れてはならない手紙を1通、義経に没収された。もし鎌倉の頼朝が読んだら多くの人が殺され、われらも助かるまい。どうしたらよいものか」

「義経は勇猛な武士ですが、女の訴えには耳を傾けると聞いております。姫君たちのうち、だれか一人を義経に差し出して、二人が親しくなってから、手紙の件を切り出させたら如何でしょう」

「平家が世に栄えていた時は、娘たちを女御や后にしようと思っていた。あの程度の者に嫁がせようなどとは露ほども思っていなかったものだが……」

「今はそのようなことをお考えになってはなりません。17歳になる北の方の姫君を差し出しては如何ですか」

時忠はその娘をたいへん可愛がっていたので、22歳になる先妻の娘・蕨(わらび)姫を嫁がせた。

気立てが良く眉目秀麗な蕨姫を、義経は喜んで迎え入れる。

妻の河越重頼の娘・郷御前(さとごぜん)を別のところへ移し、屋敷に新しく座敷を設けて、そこへ蕨姫を住まわせた。

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平家物語の群像 対立①義経、頼朝と対立の兆し

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$吉備路残照△古代ロマン-平宗盛  平宗盛


時機を見計らって、蕨姫が手紙の件を切り出すと、義経は封さえ開かず時忠に送り届けた。

時忠は受け取るとすぐに焼き捨てた。

だれ宛の、どんな内容の手紙だったのだろう。


すでに平家は滅び、長かった戦乱も鎮まっている。

人々は安心して諸国を往来でき、都も静かになった。

人々が噂しあっている。

義経殿ほどの人物はいない。鎌倉の頼朝は、何をしたというのだ。このまま義経殿の世が続けばよいものを」

そうした評判が耳に入って、頼朝は不快感をあらわにする。

「都の連中は何も分かっていない。この頼朝が首尾よく取り計って、軍勢を差し向けたからこそ平家は滅んだのだ。義経ひとりに何ができよう」

「そんな噂があるから、義経はいい気になっている。他にいくらでも若い女はいるのに、よりによって時忠の娘をめとるとは。時忠を手厚くもてなしているというではないか」

「ちやほやされるから調子に乗って、義経はいつか世の中を思うままにしようと思っているかも知れん。鎌倉へ来ても、おそらく身分不相応の振る舞いをするだろう」


元暦2(1185)年5月7日、義経が宗盛・清宗父子を連れて関東へ下ることになる。

宗盛は、義経のもとへ使者を立てた。

「明日、関東へ下ると伺いました。ついては、捕虜の中にいる8歳の童子はまだこの世におりますか。私の子です。生きていたら、会いたいのですが……」

「だれしも恩愛の道というのは断ちがたいものだろう。河越重房のところに預けている若君を、急いで大臣殿のもとへお連れするよう」

部下に命じた。

ふたりの女房が同乗した。

若君は父親の姿を見つけて、嬉しそうにしている。

「さあ副将軍、こちらへ」

宗盛が、手招きすると走って父の膝の上に乗った。

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極論すれば、長らく刑務所の塀の上を歩いてきていつあちら側へ落ちるかも知れないダーティ-な妖怪が、嘉田由紀子滋賀県知事という清純な乙女のイメージを利用して生き残りを図ろうとしているとしか思えない。

なぜ、国政経験のない嘉田知事の旗の下に「反原発」の1点で、小沢一郎亀井静香氏など海千山千の連中が馳せ参じるのか。

彼らにとっては、嘉田知事は失礼ながら赤子のようなものだろう。

平家物語の群像 対立②再会そして別れ

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$吉備路残照△古代ロマン-壇ノ浦の合戦 壇ノ浦の合戦


宗盛は、息子の髪を撫でながら涙をはらはらと流している。

「皆さん、この子には母親がいません。安産でしたが、そのまま病に伏して7日目に亡くなりました。いまわの際に、こんなことを言い残しました」

『どのような方が今後あなたのお子をお産みになろうと、この子を決して手離さないで下さい。私の形見として、乳母にも預けずご自分でお育て下さい』」

「その様子が不憫で、私が朝敵を征伐するとき、清宗を大将軍にし、この子を副将軍にしようと思って、『副将』と名づけました。すると、とても喜んで息を引き取るまで『副将』、『副将』と赤ん坊に呼びかけていました」

「この子を見るたびに、その時のことを思い出すのです」

宗盛が涙ぐむと、警護の武士たちが皆もらい泣きした。

しばらくして、宗盛が、「副将、もう戻りなさい。お客さんが来られる。また明日、来なさい」と促すと、副将は父の浄衣の袖にしがみついて、「いやだ、父上と一緒にいたい!!」

泣きじゃくる副将をなだめているうちに、ずいぶん時間が経って、日が傾いてきた。

しかたなく、乳母の女房が副将を抱き上げて、車に乗せる。

ふたりの女房も袖を顔に押し当て、泣きながら挨拶をして帰っていった。

宗盛は通りに出て、遠ざかって行くわが子をいつまでも見送っていた。

「もう、あの子と会うことはあるまい」

涙の流れるに任せた。


宗盛は遺言を守って、乳母に預けず自分の手で育ててきた。

3歳で元服させて、 「義宗」と名乗らせた。

成長するにつれて、義宗は容姿がますます優れてゆく。

気立ても良く、宗盛は息子自慢でどこへ行くにも伴った。

西海の平家滅亡の地、壇ノ浦へも連れてゆき、片時も離そうとしなかった。

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「わたしは自分が大嫌いです。でも、

      わたしは自分の人生が大好きです」前田敦子

20歳(当時)の女の子に、こんな哲学者のような言葉がある。

3人(前田&高橋みなみ大島優子)とも、自分自身の「視点と言葉」をもっているのがとても印象的。

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平家物語の群像 対立③副将、無残

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$吉備路残照△古代ロマン-賀茂の河原  賀茂の河原
    高野川と賀茂川の合流地点

壇ノ浦合戦に敗れて生け捕りになって以来、父と子の初めての顔合わせだったのだ。

重房が、義経に尋ねた。

「若君を、どのように取り計らいましょう」

「鎌倉へ連れて行くには及ばない。お前に任せる」

重房は屋敷に戻って、女房たちに伝えた。

「宗盛殿は明日、関東へ下向される。私もお供する。若君を緒方維義に預けるから、今すぐ連れてきてほしい」

重房が寄越した車に、義宗は女房たちと一緒に乗った。

「また、昨日のように父上と会えるんだね」

無邪気に喜んでいる様子がいじらしい。


だが、車は父のいる義経の屋敷の方角ではなく、六条通りを東へ進んで賀茂の河原に着いた。

「どうも様子がおかしい」と女房たちが不安がっていると、50~60騎の鎌倉武士が河原に現れた。

すぐに義宗の車を止めて、地面に敷皮を敷いた。

「若君、お降り下さい」

義宗は心細くなって、女房たちに、「私をどこへ連れていくつもりだ」と尋ねたが、事情を呑み込めない女房たちは何の返事もできない。

義宗は、敷皮に座るよう促された。

重房の部下が、義宗の背後に回って太刀を振り下ろそうとした時、女房たちが義宗をかばうように左右から抱きしめた。

「若君の代わりに、私たちを殺して下さい」

天を仰ぎ地に伏して、悲痛な叫びをあげる。

暫くして、今にも泣きそうに顔をゆがめた重房がやって来た。

「もはや、どうにもならないのです」

義宗を女房たちから引きはがすと、腰の刀で首を刎ねた。



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政権交代可能な二大政党制を目指してきたはずが、12政党の乱立。
政治の安定しないイタリアに追いつき追い越せである。
一党独裁の中国に比べたら、いいのかも知れないが……。

ただ、政策以前の、人としての資質の問題として、
自分の選挙のために(泥船)を逃げ出し、(今)勢いのある海の物とも山の物ともつかぬ出来たての政党にしがみついた卑怯卑劣な輩には是非とも退場してもらわねばならない。

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平家物語の群像 対立④義経、宗盛と鎌倉へ

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$吉備路残照△古代ロマン-桂川  京都・桂川

重房は検分に入れるため、義宗の首を義経の屋敷へ運んだ。

まもなく、女房たちが裸足のまま重房を追ってやって来た。

義経に哀願する。

「お願いです。若君の御首をいただいて供養させて下さい」

「そうか、分かった。心ゆくまで供養してやれ」

女房たちは喜んで義宗の首を懐に入れると、泣く泣く帰って行く。

それから5、6日たったころ、女房がふたり、桂川に身を投げるという事件が起きた。

ひとりは幼い子供の首を懐に入れ、もう一人は骸を抱いて川底に沈んでいた。


元暦2年(1185)5月7日、義経は宗盛・清宗父子を連れて都を発って鎌倉へ向かう。

粟田口を通り過ぎる頃には、御所もすっかり遠くなった。

逢坂関近くの清水を見て、宗盛は涙ながらに一首詠む。

○ 都をば 今日を限りの 関水に

       またあう坂の 影やうつさん

・都を今日が最後と思って出てきたが、逢坂関の清水に再び自分の姿を映すことができるのだろうか


道中ずっと心細げだった宗盛が、義経に命乞いした。

「命をとられるようなことは、よもやありますまい。もしそうであれば、この義経手柄に代えてもお助けしましょう」

「どこへ流されても構わない。とにかく死にたくない」

この期に及んで何とかして助かろうともがく宗盛、平家の棟梁でなくても情けないことだ。

以下、原文  (道中ずっと~情けないことだ)

「相構へて、今度の命を助けて給べ」

「さ候へばとて、御命失ひ奉るまでの事はよも候はじ。たとひさ候ふとも、義経かうで候へば今度の勲功の賞に申し替へて御命ばかりは助け奉らん。さりながらも、遠き国遥かの島へも移しぞ遣り参らせんずらん」

「たとひ夷が千島なりとも、かひなき命だにもあらばや」と宣ひけるこそ口惜しけれ

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平家物語の群像 対立⑤梶原景時の讒言

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$吉備路残照△古代ロマン-鎌倉駅  鎌倉駅 神奈川県


5月23日、義経は鎌倉へ到着するが、ひと足早く梶原景時が着いて頼朝に告げ口していた。

「今や、日本国中の人々が殿に従っております。ただ、弟君の義経殿が最後の敵となるように思われます。なぜかと申しますと、一事が万事ですが、弟君がいわれました」

『一の谷は、この義経が上の山から落とさなかったら東西の木戸口は破れなかっただろう。だから、生け捕りも死に捕りもまず義経に見せるべきだ』

『何の働きもなかった兄・範頼殿に先に見せる法があるか。平重衡殿を速やかに引き渡して頂きたい。こちらから引き取りに参ろうか』

      平重衡③腹を切らんとし給ふ所に

あわや戦いになろうとしていたのを、私と土肥実平が心を合わせて、重衡殿を実平のもとに預け置いたので争いは鎮まったのです」

頼朝は頷いて、「義経が今日ここへ来るだろう。各自、用意するように」と言うと、関東八か国の大名小名が駆けつけ、たちどころに数千騎が集まった。

頼朝は軍兵を七重八重に据え、その中心に陣どった。

義経はすばしっこい男だから、畳の下から這い出てくるかも知れない。だが、そうはさせん」

頼朝は金洗沢(かねあらいざわ)に関を設け、宗盛清宗父子の身柄を預かり、そこから義経だけを腰越へ追い返した。

義経には、理由が分からなかった。

「一体、どういうことなのだ。去年の春、木曽義仲を追討して、今年の春は平家を滅ぼし、八咫鏡八尺瓊曲玉を朝廷に返還し、その上、平家一門の棟梁の宗盛殿を生け捕りにして、鎌倉まで下ってきたのだ」

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今日は関西弁によるお勉強のようです。

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平家物語の群像 対立⑥腰越状(大江広元への手紙)そのⅠ

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$吉備路残照△古代ロマン-大江広元  大江広元

朝廷の官人から頼朝の側近に。鎌倉幕府の政所初代別当

「どんな疑念があろうと、兄上は私と会うべきだ」

「九州の惣追捕使(のちの守護に近い)に叙せられ、山陰か山陽か南海道のいずれかを預けられて西国の警護に任じられると思っていたが、わずかに伊予国(愛媛県)を与えられただけ」

「鎌倉に入れずに腰越へ追い返すとは何事か。そもそも日本国を鎮めたのは木曽義仲とこの義経ではないか。」

「同じ父の子で先に生れたのを兄とし、後に生れたのを弟とするだけのこと。天下を治めるのはどちらでもいいはず。それを会おうともせずに追い返すとは。私の何が悪いのか」

あれこれ訴えたが、頼朝は聞く耳を持たない。


義経は泣く泣く一通の手紙を書いて、大江広元(ひろもと)に送った。

後世にいう、「腰越状」である。

「源義経、恐れながら申し上げます。私は代官の一人に選ばれ、勅命を受けた者として朝敵を征伐し、源氏の会稽の恥(かいけいのはじ)を雪(すす)ぎました(仇を討った)」

本来ならば褒美を頂けるところを思いがけない讒言によって、大きな勲功を失ってしまいました。私は無実の罪を受けております。功績こそあれ誤りはないのに、兄上の怒りを買っており、血の涙に暮れております」

「告げ口した者の言葉の真偽を確かめようともせず、しかも私を鎌倉に入れて頂けなければ思いを述べることすらできません。いたずらに日々を送っております」

「今に至るも、兄上にお目にかかることができません。血を分けた兄弟の間柄も途絶え、前世からの因縁も消えたのでしょうか。それとも前世の罪業がこうさせるのでしょうか」

「悲しいことです」

「亡き父・義朝が再びこの世に現れて下さらなければ、いったい誰が私の悲嘆に耳を傾けてくれるでしょう。だれが、憐れみをかけてくれるでしょう」


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北朝鮮は、「人工衛星」という名の「長距離弾頭ミサイル」発射のために8億5000万㌦を投じたそうだ。
この金で食糧を購入すれば、6年間、国民の飢餓状態を解決できるという。
そういう発想のかけらもない政治とは一体何なのか。

平家物語の群像 対立⑦腰越状(大江広元への手紙)そのⅡ

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$吉備路残照△古代ロマン-源義経   源義経


「私は五体を父母から授かりました。だが、父(源義朝)はすぐに他界。平家の捜索から逃れるため、母(常盤御前)の懐に抱かれて、都から大和国(奈良県)宇陀郡に逃げ延びました」

「それからというもの、安穏に過ごしたことなど片時もありません」

「都にいた頃は、外出すらままなりませんでした。あちらこちらに身を隠したものです。また辺鄙な土地や遠い国に住んで、漁民や農民たちに仕えたこともあります」

「そのうち、待ち望んでいた好機が、兄・頼朝の『打倒平家』の旗揚げとともに訪れました」

「平家一門を追討するに先立って、まず従兄弟の木曽義仲を討ち果たしました」

「平家を滅ぼすために、須磨の一の谷では険しい岩山の上から命を捨てる覚悟で騎馬のまま駆け下りたことがあります」

「またある時は、摂津の渡辺から荒れ狂う海に挑んで讃岐の屋島に向かって出撃したこともあります。海の藻屑になることも、魚の餌になることも恐れませんでした」

「甲冑を枕にして弓矢を取る、われら武士の本分です」

「それらは、ただただ無念の死を遂げた父・義朝の霊を慰め、わが源氏年来の宿願を遂げて先祖の魂を鎮めるためで、それ以外には何もありませんでした」

「兄・頼朝に逆らおう取って代わろうとする気持ちなど、微塵もありません」

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北朝鮮国民の6年分の食糧が、一瞬にして消えた。
しかも、国際社会の非難を浴びるとともに、日本を含めた各国や国連の厳しい経済制裁が待っている。
食糧援助に関わるものが多いだろう。

民衆は、ますます塗炭の苦しみをなめることになる。

一方、制裁すべき金正恩一派は痛くも痒くもあるまい。

平家物語の群像 対立⑧腰越状(大江広元への手紙)そのⅢ

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$吉備路残照△古代ロマン-富士山牛王宝印  富士山牛王宝印 (守り札)


「また、わたしが朝廷から五位尉(ごいのじょう)に任ぜられたことは、源氏にとって名誉なことではないでしょうか」

「力を尽くして平家を討ち朝廷から高い位を授かったのに、どういうわけか兄・頼朝に疎まれております」

「悩みは深く、嘆きは尽きません」

「もはや仏神の力にすがる以外、私のつらい気持ちを兄に伝える術はありません」

「そこで、諸神諸社の牛王宝印(ごおうほういん)の裏を用いて、わたしに野心のないことを日本国中の大小の神仏に誓い、何通も起請文(きしょうもん:契約を交わす際、それを破らないことを神仏に誓う文書)を書いて鎌倉へ送りました」

「それでも、お許しが出ません。わが国は神国です。神が偽りの誓いをお受けになるはずがありません」

「もう頼むところは他になく、広元殿の大きな慈悲を仰ぐばかりです。兄・頼朝にわたしの真情をお伝え願えませんでしょうか」

「わたしに邪心なきことを兄が認めて許してくれるならば、その善行は貴家の繁栄を子々孫々にまで伝えることでしょう」

「わたしも、数年来の苦しみや悩みが解け、ようやく心の安らぎを得ることが出来ます」

「手紙には、わたしの思いを全ては書ききれません。省略して認めました」

「義経、おそれながら謹んで申し上げます。
           
           元歴2年6月5日 源義経進上 因幡守殿」

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明日が投票日の選挙戦、勇ましい発言をしている候補者が受けているようだ。
日中関係は、いよいよ一触即発のところまで来た……。


平家物語の群像 宗盛被斬①卑屈な態度

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$吉備路残照△古代ロマン-源頼朝  源頼朝像 神護寺蔵

義経を腰越へ追い返した頼朝は、平宗盛・清宗父子は鎌倉に迎えている。

頼朝の座敷から庭を隔てた向かいの部屋に宗盛を住まわせているが、宗盛の様子を簾の内から見て、比企義員(ひきよしかず)に伝言させた。

義員が訪れると、宗盛はあわてて居住まいを正して畏った。

敗軍の将とはいえ、平家の棟梁らしからぬいかにも相手に媚びた振る舞いがなんとも見苦しい。

頼朝の面前でも堂々とした態度で鎌倉武士を唸らせた弟・重衡とは、これが血を分けた兄弟かと思わせるほどに違う。

…… …… 平重衡⑰重衡、頼朝と対面

居並ぶ諸国の大名や小名には京都の者がたくさんいるばかりか、かつて平家の家人だった者もいた。

多くが、宗盛の卑屈な態度を軽蔑した。

「ああ、情けない。今さら畏まったところで命など助かるものか。西海で入水すべきだったのに、生け捕りにされて鎌倉まで下ってくるとは」

「母の二位尼や弟の知盛殿らは潔く入水されたではないか」

「まったくだ」

一方、宗盛に同情して涙を流す者もいた。

次のような例え話をする者もいた。

「猛虎が深山にいるときは、百獣は震え上がる。だが、いったん檻の中に閉じ込められると、虎は人にへつらって食い物をねだる」

「宗盛殿も勇猛な大将軍ではあるが、生け捕りにされたら檻の中の虎と同じということだろう」

頼朝が、義員に伝えさせた言葉。

「わたしは平家を仇敵とは思っておりません。なぜなら、亡き清盛入道殿に命を救われたからこそ、20年余りも生きてこられたからです」

「しかし平家が朝敵となられて、追討すべき旨の院宣を賜った以上、勅命に背けるはずもなく、こうしてお迎えした次第です。お目にかかれたこと、うれしく存じます」

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自民党の予想以上の圧勝だが、選挙のたびに雪崩現象というのは如何なものか。

平家物語の群像 宗盛被斬②処刑への不安

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$吉備路残照△古代ロマン-源義朝1  平治の乱で敗走する義朝一行                  ………… 『平治物語絵巻』


元暦2年(1185)6月9日、頼朝に、「宗盛殿と清宗殿をお連れして京へすぐに戻るよう」命じられた義経は、ふたたび宗盛・清宗父子を預かって都へ出発した。

命が延びたことを喜んだ宗盛だが、1日でも長く生きていたいと何かにすがるように祈っている彼の心中が哀れである。

京都への道すがら、いろんな国々や宿場を通り過ぎるたびに、宗盛は、「ここで処刑されるのだろうか」、「ここで首を刎ねられるのだろうか」と絶えず不安に駆られていた。

尾張国に内海(うつみ)という土地がある。

宗盛は、「内海は平治の乱のとき、頼朝殿や義経殿の父・源義朝殿が殺された場所だ。きっとここで処刑されるのだろう」とひどく心配したが、何ごともなく内海を通り過ぎた。

そのうち、「もしかしたら、わたしと清宗は助けられるのだろうか。このまま殺されずに、都で余生を送れるのだろうか」と淡い期待感さえ芽生え始めていた。

清宗は、父親より冷静に考えていた。

頼朝殿が、平家一門の棟梁である父や私の命を助けるとは思えない。これほど暑い時節なので、首が腐らないようにもっと都に近くなってから斬るつもりだろう」

だが、それをいうと父が絶望するだろうから、口にはせず、ただ念仏を唱えることを勧めた。

6月21日、近江国の篠原の宿に到着した。

清盛が最も恐れた男源義朝

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「北朝鮮のミサイル」と「尖閣問題」が交換条件とは!?

平家物語の群像 宗盛被斬③生者必滅

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$吉備路残照△古代ロマン-平清宗  平清宗 『武家百人一首』 

     賞月堂主人著 玉蘭斎貞秀画


昨日までは宗盛と清宗はずっと近くにいたが、今朝からは離れ離れにさせられた。

京都まであと3日という日に、義経がふたりを仏道へ導くために招いていた大原の本性房湛豪(ほんしょうぼうたんごう)という聖がやって来た。

宗盛が、湛豪に泣き言をいう。

清宗はどこにいるのでしょうか。たとえ二人とも首を刎ねられても、亡き骸は同じ場所に横たわろうと約束していたのに、この世で早くも引き離されてしまいました。この17年間、京から鎌倉と恥を晒して生きてきたのも清宗のためなのです」

湛豪は気の毒に思ったが、情にほだされてはならないと思い直して涙をぬぐい、平静を装った。

「だれしも親子の情は絶ち難いもの。清宗殿のことがさぞかし御心配なのでしょう」

「御一門は、わが国にかつて例のないほどに栄えておられました。天皇の外戚にもなり、大臣の位にまで立身されました」

「しかるに、栄華を極められたことと同じく、今このような憂き目に遭われていることも前世の宿業なのです。世間も神も仏も、恨んではなりません」

「不老不死の薬などありません。秦の始皇帝がいかに奢りを極めてもいつしか墓場の露となり、漢の武帝がどれほど命を惜しんでも空しく陵墓の苔となって朽ち果てました」

「生ある者は必ず滅びます」

釈尊でさえ、香木の煙で焼かれることから免れませんでした。楽しみが尽きたら、やがて悲しみが訪れます」

「仏は、『我心自空、罪福無主。観心無心、法不住法』と説かれました。すなわち、善も悪もひとしく空であると悟ることこそ、まさに仏の御心に叶うことなのです」

「もはや何もお考えなさいますな」

湛豪は鐘を打ち鳴らして、宗盛に念仏を勧めた。

宗盛は湛豪こそ極楽浄土へ導いてくれる高僧と信じて妄念を翻し、西方に向かって手を合わせ声高に念仏を唱えた。

そこへ、橘公長 (たちばなきみなが)という武士が、太刀を構えて左から宗盛の背後に回った。

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平家物語の群像 宗盛被斬④清宗、享年16

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$吉備路残照△古代ロマン-西方浄土  平等院鳳凰堂
 藤原頼通が西方浄土に憧れて建立した


橘公長(たちばなきみなが)が太刀を振り上げると、宗盛(むねもり)は念仏を止めた。

「もう清宗(きよむね)は、斬ったのか」

公長が太刀を振り下ろすと、宗盛の首はゴロンと前に落ちた。

湛豪(たんごう)は涙にむせび、居合わせた鎌倉武士たちも泣いている。

この公長は父祖以来の平家の家人で、公長自身は生前の知盛(とももり)に仕えていた。

「時流に媚びへつらうのは人の常、とはいいながら余りにも情け知らずではないか」と人々は公長を蔑んだ。


湛豪は、清宗にも念仏を唱えるように勧めた。

清宗が、湛豪にたずねる。

「父の最期はどうでしたか」

「ご立派でした。ご安心ください」

「もうこの世に思い残すことはありません。さあ、早く」

今度は、堀景光が太刀を振りかざした。

清宗、享年16。

義経が、ふたりの首を持って京へ向かった。

都につくと、公長の指図で、部下たちが二人の亡き骸をひとつの穴に埋めた。

宗盛が死の直前に懇願していたからである。



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