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Channel: 吉備路残照△古代ロマン
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平家物語の群像 義経34義経vs梶原景時

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$吉備路残照△古代ロマン-梶原景時  智将だが不人気 梶原景時


梶原景時が、義経に先陣を申し出た。

「今日の先陣をば景時に賜(た)び候へかし」

「義経がなくばこそ(いなければ)」

「正なう候ふ(それぱおかしい)。殿は大将軍にしてましまし候ふものを」

「おかしなことを言う。頼朝殿こそ大将軍だ。俺はただ軍(いくさ)の奉行を命じられている身。貴殿らと同じ立場よ」

景時は、先陣の希望が叶わず聞こえよがしに呟いた。

「天性この殿は、侍の主(あるじ)には成り難し」

それを聞きとがめた義経が、太刀の柄に手をかけた。

「日本一の烏滸(おこ:愚か)の者かな」

景時も、太刀の柄に手をかける。

「鎌倉殿(頼朝)より外は、主をば持ち奉らぬものを」

ただならぬ様子の父・景時を見て、嫡子の景季(かげすえ)や次男の景高ら、
主従14、15人が太刀の鞘(さや)を外して義経に迫った。

一方、伊勢義盛佐藤忠信武蔵坊弁慶ら一人当千の義経の郎党たちが、梶原勢を取り囲んで討ち取ろうとする。

あわや!!という時、義経には三浦義澄が取り付き、景時には土肥実平がすがりついた。

「これほどの大事を前に同士討ちなどしては、平家を勢いづかせましょう。しかも、このことが頼朝殿のお耳にでも入ったら無事では済みますまい」

義経と景時は、やむなく鉾を収めた。

このとき以来、景時は義経を憎み始め、事あるごとに頼朝に讒言して義経を死に至らしめたと言われている。


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内容はいささか古いようですが、「ザ・ニュースペーパー」、如何ですか。
ニセ東国原英夫宮崎県知事(当時)の、「まだまだですよ~」など、実にワサビの利いた風刺になっています。



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平家物語の群像 義経35壇ノ浦海戦序章

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$吉備路残照△古代ロマン-壇ノ浦の戦い 壇ノ浦の戦い 潮の流れ


源平両陣営の兵船が、20町余り(約2km)を隔てて向き合っていた。

門司や赤間や壇の浦あたりは、潮の流れが激しい。

戦端の幕が切って落とされると、源氏方の兵船は潮に押し流され、平家方の兵船は潮の流れに乗って攻め込んだ。

梶原景時は、沖合は潮の流れが速いので岸近くに船を寄せ、行き違う平家方の船に熊手をかけて引き寄せ、親子・主従14、5人で平家方の船に乗り移って散々に戦った。

景時は敵兵を数知れず討ち取って、その日の功名の一等に記される。

そうこうしているうちに、源平両軍が一斉に鬨の声をあげた。

上は梵天にまで届き、下は大地を司る地天が驚く程である。

ときの声がおさまると、平家の総大将平知盛(とももり)が船の甲板に進み出て、大音声をあげた。

「天竺(インド)、震旦(中国)にも日本我が朝にも並びなき名将勇士といへども運命尽きぬれば力及ばず。されども名こそ惜しけれ。命をいつの為にか惜しむべき。
軍(いくさ)は今日の限りぞ。少しも退く心なくして軍ようせよ者共。ただこれのみぞ思ふ事よ」

伊藤景経が知盛の前に進み出て、武士たちに念を押した。

「殿の御言葉、心得たか。者ども」

それから、平景清が進み出た。

「坂東武者は馬上での戦いこそいっぱしの口を利くが、船いくさには慣れていない。
木に登った魚だ。とっつかまえて、海に投げ込んでやれ」

次に、平盛嗣(もりつぐ)が兵たちを鼓舞した。


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その時々の軍事力に応じて、北京五輪の聖火リレーのとき同様、世界中を敵に回しても我を通そうとするのではないか。



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平家物語の群像 義経36阿波民部重能の裏切り

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$吉備路残照△古代ロマン-平知盛 平知盛 (一門の賢人代表)


「どうせ源氏勢の誰かと戦うのだから、いっそうのこと大将軍の源九郎義経に挑め。義経は出っ歯で色白の小男。
やたらとすばしっこい。鎧直垂を度々着替えるので、見分けにくいかも知れない。注意しろ」

平景清が、再び口を開いた。

「九郎の小冠者がなんだ。いかに勇猛だろうと、何ほどのことがあろう。脇に抱えて海へ放り込んでくれよう」

彼らの勇ましいやりとりを聞いていた平知盛は、兄の宗盛に満足そうに告げた。

「味方の兵どもは、今日は一段と頼もしく思われます。但し、阿波民部重能(しげよし)は、心変わりしたようです。首を刎ねましょう」

平家一門の愚人代表である宗盛は、重能の裏切りに気がついていない。

 >平家物語の群像 平知盛①見るべきほどのことは見つ

(悪人代表は父・清盛、善人代表は腹違いの兄・重盛)

「あれほど平家一門に奉公した者だ。はっきりとした確証がないのに、どうして首を刎ねられよう。重能を呼べ」


呼び出された重能が、黒味を帯びた黄赤地色の鎧直垂に薄紅の色に染めた革で威した鎧を着て、宗盛の御前でかしこまっている。

宗盛が、重能に言葉をかけた。

「どうだ重能、四国の者どもにしっかり戦えと命じよ。今日は、顔色が悪いぞ。怖じ気づいたか」

「どうして臆することがありましょう」

そう答えると、重能は宗盛の前を退いた。

知盛は、重能の首を刎ねようと太刀の柄が砕けんばかりに握りしめ、宗盛に目配せしたが、
宗盛の許しが出ないので、どうすることもできなかった。


平家は千艘余りを三手に分けた。


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さる9月15日、平和堂は暴徒と化した反日デモの群衆に3つの店舗が襲われ、売り場が滅茶苦茶に壊されたうえ、多くの商品が略奪された。被害総額は約5億円。
しかも、ネット上に、「また平和堂を襲う」などという書き込みがあるという。

約5億円の被害は。泣き寝入りなのだろうか。
やはりこれも、「愛国無罪」でお咎めなし?


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平家物語の群像 義経37源平の遠矢争い

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$吉備路残照△古代ロマン-壇ノ浦古戦場跡  壇ノ浦古戦場跡 みもすそ川公園


まず、山賀秀遠が500艘余りで漕ぎ出した。

松浦党が、300余艘で続く。

それから、平家の公達の200艘が3陣。

山賀秀遠は、九州一の精兵(せいびょう:弓を引く力の強い者)。

秀遠は、自分ほどではないが精兵500人を選りすぐって500艘の船に配置し、一斉に500筋の矢を放たせた。

一方、義経はいつも通り真っ先に駆け出して戦かおうとしたが、無数の矢の襲来に楯(たて)も鎧(よろい)もまるで役に立たず、引き下がるほかなかった。

平家方は太鼓を打ちならし、鬨(とき)の声をあげながら攻め立てる。


源氏方では、和田義盛が見せ場を作った。

義盛は馬の腹が浸かるくらいまで海に入って行くと、平家方へ矢継ぎ早に鋭い矢を射かける。

精兵で遠矢(遠くまで矢を放つこと)自慢の義盛は、3町(約330m)ほどなら外さず的を射ることができた。

そして、散々放った矢のうち最も遠くまで飛んだ矢を指して、「その矢を返して頂こう」と平家方を挑発した。

「平家方に、私ほど遠くまで矢を飛ばせる者はいるか」というわけだ。

知盛がその矢を持ってこさせると、鶴の羽を焦がしも塗りもしていない白矢で、13束(そく:1束は拳1つ分)と3伏(ふせ:1伏は指1本)の長さがあり、矢じりを指し込んで糸を巻く所から1束ばかり下に、「和田小次郎義盛」と、漆で書いてある。
                  ↑
    (源頼朝の御家人には平氏の血筋が多い)

総大将の知盛をはじめ平家勢は、味方には精兵は多いが遠矢を射る者はいないと思っていたが、ややあって、伊予国の仁井紀四郎親清なる男が進み出て、
その矢を受け取ると弓につがえて、源氏方へ射返した。

矢は三町余りをすっーと飛んで、義盛の後ろ一段(11m)ほどの所に控えていた三浦石左近太郎の左腕に、深く突き刺さった。

義盛が放った矢の距離を、楽々と超えたのである。

義盛嫌いの三浦一族の者らが、笑いあった。

「ほら見ろ、いい気味だ。自分ほどの精兵はいないと自惚れている義盛が恥をかいたぞ」

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日中両国の対立が抜き差しならないところまで悪化していることの原因がすべて中国にあるとはもちろん思わない。

それにしても、江沢民前国家主席の時代に徹底して行った『反日教育』などがもたらしている若者たちの日本への反感を、これからの中国の指導者はどう収めるつもりだろうか。

今のままで良いはずはない。
余りにも不毛だ。

中国の最高指導部では珍しく親日派の胡錦濤主席を無神経な対応で怒らせてしまった稚拙な日本外交だが、あろうことか野田首相は「trust me」の鳩山由紀夫氏を外交顧問に再任した。

外交より、党内事情の方が大事らしい。
離党を恐れての「エサ」なのだろう。

平成の宗盛」であれ、「元首相」の肩書は重い。

『平家物語』は、愚かな宗盛が「棟梁」になったことが平家滅亡の要因としている。
ほかの党は知らず、「民主党政権では外交が、ひいては国が滅茶苦茶になる」とつくづく思う。


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平家物語の群像 義経38もうひとりの与一

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$吉備路残照△古代ロマン-平家の一杯水 平家の一杯水


「小癪なマネをしおって!!」

義盛は、今度は船に乗って漕ぎ出すと、平家勢に向かって次々に矢を射かけ多くの敵兵を射殺した。

するとややあって、平家方から義経の船に、山鳥の尾を付けた大きな白矢を一筋放ち、
「その矢を返していただきたい」と挑発してきた。

義経がその矢を抜かせると、矢に、「伊予国の住人・仁井紀四郎親清」と漆で書いてある。

後藤実基を呼んで尋ねた。

「味方にこの矢を使える者はいるか」

「甲斐源氏の浅利与一義遠殿なら大丈夫でしょう」

「ならば、与一を呼べ」

与一が、やって来た。

「これはたった今、平家方から放たれてきた矢だ。射返せといってる。与一よ、できるか」

「お見せ下さい」

矢を左手の指先にのせ、右の指で回して、矢の曲がり具合や強さを確かめた。

「これは矢柄が少し弱い。寸法も短いので、私の矢を使いましょう」

矢を九尺(約2.7m)ほどの立派な塗籠籐の弓(ぬりごめどうのゆみ)につがえて、引き絞ってひゅっと放つと、4町(約440m)余り飛んで、船首に立っていた
親清の心臓を射抜き、船底へ真っ逆様に射落とした。

与一は、2町(約220m)先を走っている鹿を外さず射るほどの弓の名手である。


それからというもの、源平の兵たちは命も惜しまず戦った。


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夢を追いかけている少女たちは、純粋で健気で煌めいている。
AKB48はタレント性や容姿に優先して、人柄で選抜しているのだろうか。
公然と競わされているのに、メンバー同士実に仲がいい。

前田敦子(専門用語では、あっちゃん)の度胸と先見性、高橋みなみ(同、たかみな)の真情あふれるリーダーシップは見上げたもの。
前田渡辺麻友(同、まゆゆ)に同質のものを感じるのは私だけだろうか。



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平家物語の群像 義経39猛き者も遂には滅びぬ

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$吉備路残照△古代ロマン-三種の神器  三種の神器  
(上から 八咫鏡・天叢雲剣・八尺瓊勾玉)


源平が激しく命のやりとりをしているただ中、義経はふと気が付いた。

「平家方の船には、安徳天皇がおられ、三種の神器がある」

兄の頼朝後白河法皇に、三種の神器を必ず取り返してくるように強く命じられている。

「はて、どうしたものか」と思案していると、白雲らしきものが虚空に漂っているのが見えた。

近づいてくると、それは雲ではなく1流の白旗。

      (平家の赤旗に対して、源氏は白旗)

源氏の船の船首へ、旗竿に触れるくらいに舞い下りてきた。

それを見た義経が、叫んだ。

「これは、八幡大菩薩の現れに違いない」

義経はよろこんで兜を脱ぎ手を洗い嗽をして、これを拝んだ。

兵たちも皆、手を洗い嗽をして拝む。


しばらくすると、沖合から1~2千頭のイルカの群れが、水面に顔を出して平家の船団に向かって泳いできた。

平宗盛は、陰陽師の安倍晴信を呼んだ。

「イルカはこの辺りにはいつも多いが、これほどの大軍は見ない。占ってみよ」

「イルカの群れが沖へ戻ったら源氏が滅ぶでしょう。もし、平家の船団の下を通り過ぎたら、お味方が危うくなります」

晴信が言い終わるか終わらないうちに、イルカの群れが平家の船団の下を、まっすぐに泳いで去っった。

平家一門の運命は、もはや風前の灯のように思われる。


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日本の今の風潮として、政治家にも一般の我々にも、「もし日中間に戦端が開かれたら、日米安保によってアメリカが助けてくれるだろう」という妙な米国頼みの安心感がある。

というよりも大半の日本人は、「戦争なんか起きるはずはない。自分には関係ない」と思っているだろう。

かつて、アメリカ人(特にWASP)の父祖の国・イギリスがアルゼンチンと戦ったフォークランド紛争のとき、米国は一兵たりとも出していない。


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平家物語の群像 義経40風の前の塵に同じ

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$吉備路残照△古代ロマン-義経と知盛  源義経(滝沢秀明)&平知盛(阿部寛) NHK大河ドラマ『義経』から


阿波民部重能は3年の間、平家に忠義を尽くしてきたが、嫡男の教能を生け捕りにされて、もはや平家に勝ち目はないと思ったか、平家を裏切って源氏に寝返った。

知盛は、「やはり、兄上の許しがなくとも重能めを斬り捨てておくべきだった」と悔やんだが、もはや後の祭り。

ここにも、棟梁・宗盛の見通しの甘さが露呈している。


知盛は、屈強の武士たちを兵船に乗せ、雑人(ぞうにん:身分の低い者)らを唐船(中国風の大船)に乗せて、義経勢が唐船を攻めているところを、
兵船で取り囲んで討ち取ろうという作戦を立てていた。

だが、寝返ってきた重能にその作戦を聞いた義経は、唐船には目もくれず、兵船を攻め立てる。

すると、平家不利の形勢を見てとった四国や九州の兵たちが、こぞって源氏方に寝返った。

つい先ほどまで従っていた平家の公達に向かって弓を引き、太刀を抜いたのである。

いよいよ源氏と平家の国盗り合戦は、決着がついたようだ。

源氏勢が平家の船に乗り移って船頭水夫は射殺しあるいは斬り殺したので、船の進む方向を変えられなくなった。

平家方は皆、船底で倒れ伏した。

知盛は小舟に乗って、安徳天皇中宮徳子のいる御座船に向かう。

そして、女房たちに、

「世の中は、今はかうと覚え候へ (もはや、これまで)。見苦しき物をば海へ入れて、舟の掃除召され候へ」

と命じ、自ら掃いたり拭ったり塵を拾ったりして船を清めた。

女房たちが、知盛にたずねる。

「中納言(知盛)殿、さて軍(いくさ)の様はいかにやいかに」


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南米はアルゼンチンの沖合に浮かぶ小さなフォークランド(アルゼンチン名:マルビナス)諸島まではるばると大艦隊を派遣した、かつては「七つの海を支配」したイギリス。

第二次世界大戦後、イギリスはフランスとちがって比較的あっさりと世界中に散らばる植民地の多くを手離すが、赤道をまたぐ遠隔地の小さな諸島でも、
他国に占領されることには耐えられなかったようだ。

この歴史的事実をみても、国家の主権と威信に関わる領土紛争の解決はきわめて難しい。



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平家物語の群像 義経41安徳・二位尼入水

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$吉備路残照△古代ロマン-二位尼  安徳・二位尼入水


「すぐに珍しい東男( あづまをとこ)をご覧になれますぞ」

知盛がからからと笑うと、女房たち

「こんな時に、お戯れをおっしゃるものではありません」


二位尼(にいのあま:故平清盛の妻)は、とうに覚悟していた。

喪服を2枚重ねにし長袴を着けて、三種の神器勾玉を脇に挟み、草薙の剣を腰に差して、孫の安徳天皇を抱き上げた。

「わが身は女なりとも敵の手にはかかるまじ。主上の御供に参るなり。御志思ひ給はん人々は急ぎ続き給へや」

女房たちに告げると、二位尼は静々と船べりへ歩を進めた。

安徳、8歳。

年齢より大人びていて姿も美しく、辺りが照り輝くほどである。
背中あたりまで伸びた黒髪が、美しく揺れている。

驚いた様子で、たずねた。
「どこへ行くの?」

二位尼は、ほろほろと涙を流して、

「帝は前世で行った十善・戒行によって、天皇として生まれました。しかし、悪縁に引かれて運が尽きました。

まず東を向いて伊勢神宮にお暇を申し上げ、次に西を向いて西方浄土のお迎えがあるように念仏を唱えて下さい。

この国は小さな辺境の地で、心が安らぎません。
極楽浄土という、素晴らしい所へお連れします」

安徳は涙ながらに小さな手を合わせ、東を向いて伊勢神宮に別れを告げ、それから西方を向いて念仏を唱えた。

唱え終わると、二位尼は孫を抱いたまま海に飛び込んだ。

「波の底にも都の候ふぞ」


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平家物語の群像 義経42建礼門院入水……

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$吉備路残照△古代ロマン-平徳子熊手入水したが熊手で掻き寄せられる平徳子(建礼門院)「源平壇之浦合戦の壁画」門司のめかり第2展望台


中宮徳子(建礼門院)は二人の様子を見て、もはやこれまでと思ったか、硯と焼石を左右の懐にいれて海に身を投げた。

それにしても、徳子清盛の娘で高倉天皇の中宮(皇后)、そして安徳天皇の母である。

人脈において1度は主要な役回りを演じてもよさそうな位置にいるが、『平家物語』において、いかにも影が薄い。

まるで意志が感じられないのだ。

一方、母の時子(二位尼)は、息子(重衡)可愛さに平家の置かれている状況が見えなくなって泣き崩れる平凡な母親として描かれていたが、壇ノ浦において、
平家滅亡の日に決然とした意志を見せたのである。

       二位尼⑪重衡と三種の神器

源氏の兵が舟を漕ぎ寄せて、女の髪の櫛を熊手にひっ掛けて海から引き上げた。

すると、平家の女房たちが、「それは女院(徳子)にて渡らせ給ふぞ。過ち仕るな(失礼があってはなりません)」と叫んだので、兵たちは義経に願い出て、急いで御所の船に移した。

大納言典侍(だいなごんのすけ:重衡の妻)は、三種の神器の一つ八咫鏡(やたのかがみ)が安置された唐櫃を両手に抱えて海へ入ろうとした時、袴の裾を船板に射付けられて倒れたところを、源氏の兵に取り押さえられる。

★上記の場面は11/7の記事中の動画 『Antoku Becomes A Dragon (2/2)』 に出てきます

    大納言典侍③今日を限りの 形見と思へば

源氏の兵たちが、八咫鏡の入った箱を開けると、たちまち目がつぶれて鼻血を出した。

生け捕りにされていた平時忠が、「それは八咫鏡だ。凡夫が見てはならぬ物だ」というと、兵たちは恐れて逃げて行った。

時忠と義経が相談して、もとのように唐櫃に紐をかけて納めた。

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二位尼(平時子)と義経(常盤の三男)には因縁浅からぬものがある。義経は、時子の亭主(清盛)の愛人(常盤:浮気ではなかったと言われている……)の子なのだ。


平家物語の群像 義経43泳ぎ回る宗盛と清宗

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$吉備路残照△古代ロマン-資盛入水  碇を背負って入水する資盛たち

平教盛(のりもり)と経盛(つねもり)の兄弟は、鎧(よろい)の上から碇(いかり)を背負い、手を取り合って海に身を投げた。

資盛(すけもり)と有盛(ありもり)の兄弟とイトコの行盛(ゆきもり)の3人は、鎧の上に碇を巻いて、手を組んで入水した。

   …… 建礼門院右京大夫④永別そして隠棲

こうして、平家一門の男たちは次々に海に飛び込んだ。

★文脈上、人名を省略しませんでした。資盛以外の名前は流して下さい

ところが、どうだろう。

棟梁宗盛と嫡男の清宗(きよむね)は、船べりに立ったまま四方を見回しているではないか。

死への恐怖に怯えているのだろうか。

平家の武士たちは、棟梁のあまりの情けなさに近くを駆け抜けるフリをして宗盛を海へ突き落とした。

それを見て、清宗は自ら飛び込んだ。

一門の他の者たちは、重い鎧の上に重い碇を背負ったり抱いたりして入水したが、宗盛父子は身ひとつである。

しかも、皮肉なことに二人とも泳ぎが達者。

『平家物語』は、宗盛は肥満だったために浮きやすかったとも書いている。

宗盛は、「清宗が沈んだら私も沈もう。清宗が助かったら私も助かろう」と思って、互いを見交わしながら泳いでいた。

そこへ伊勢義盛が舟を漕ぎ寄せて、清宗をそれから宗盛を熊手に掛けて引き上げた。

このあとも、宗盛の子孫の方々には耐えられないような意気地のない人物としての描写が続く。

宗盛の乳母子(めのとご)の藤原景経(かげつね)が、「宗盛殿を引き上げたのは何者だ」と、
義盛の舟に乗り込んで、太刀を抜いて斬りかかった。

同時に、義盛の部下が、主(あるじ)を討たせてなるものかと景経に斬りかかった。



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 …   …   平重盛②殿下乗合事件


義経44八艘跳び

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$吉備路残照△古代ロマン-八艘跳び  義経の八艘跳び


景経が振り落ろした太刀に義盛の部下は兜を真っぷたつに割られ、二の太刀で首を打ち落とされる。

それを見ていた堀親経(ちかつね)が義盛を守ろうと、隣の舟から弓を引き絞ってひゅっと放った。

内兜を射られて景経がひるんだところに、義盛が舟を添わせて乗り移り、景経を組み伏せて首をとった。

宗盛は、乳母子の景経が自分を守ろうとしてこのような最期を遂げたことを見て、何を思ったであろう。

平家方では、一門随一の剛の者、教経(のりつね)が奮戦し、もはや教経の矢面に立つ者はいなくなった。

教経は今日が最後と思い定めたか、赤地の錦の直垂に唐綾威の鎧を着、鍬形の飾りをつけた兜の緒を締め、厳めしい作りの大太刀を佩き、
24筋差した切斑の矢を背負い、重籐の弓を携えている。

矢を次々につがえて射ると、矢の数だけ源氏勢がのけぞって倒れた。

矢が尽きると、黒塗の大太刀と白柄の大長刀を両手に持って振り回し、源氏勢をなぎ倒した。

知盛が、教経のところへ使者を送った。
「あまり罪作りなことをしなさんな。そなたに相応しい相手か」

「さては義経と組めということか」
教経は知盛の伝言をそう解釈したが、義経の顔を知らない。

源氏方の舟を何艘か乗り移っているうちに、立派な甲冑を着けている武者を見つけた。
「こいつが義経か」と目星をつけて飛びかかる。

義経は敵わないと思ったか、長刀を脇に挟んで、2丈(約6m)ほど離れた味方の舟に、一気に跳んで逃げた。

世にいう、「義経の八艘跳び」である。

一方、教経は堂々たる体躯の持ち主。
身軽でも敏捷でもなく、義経を追うことはしなかった。

大太刀と大長刀を海へ投げ入れ、兜も脱いで捨てた。



『平家物語』とは筋立ても登場人物も違うようですが……。
知盛と教経と資盛のごった煮。


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平家物語の群像 義経45武断派・教経の最期

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$吉備路残照△古代ロマン-平教経  入水する平教経 高松平家物語歴史館


それから、鎧(よろい)の袖(そで)や草摺(くさずり:鎧の胴の付属具)もかなぐり捨てた。

教経は胴だけを着け、大童(おほわらは:ざんばら髪)になると、両手を大きく広げて仁王立ちになった。

あたりを払う凄みがある。

大音声を張り上げた。

「われと思はん者どもは寄つて教経と組んで生捕りにせよ。鎌倉へ下り兵衛佐(ひょうえのすけ:頼朝)にもの一詞云はんと思ふなり。寄れや寄れ」

しかし、誰ひとり近づこうとしない。

ようやく、土佐国の住人で安芸国を知行する安芸実康の子で、20人力の剛の者安芸実光(あきさねみつ)が、自分に劣らぬ郎等をひとり連れてきた。

弟の実俊(さねとし)も人並み以上の武士である。

実光は教経を見て、
「教経殿は勇猛なようだが、大したことはあるまい。たとえ背丈が十丈の鬼であろうと、われら3人で挑めば必ず勝てる。勝負だ」
というと、教経の舟に乗り移って、3人同時に斬りかかった。

教経は、真っ先に突っ込んできた実光の郎等の裾をつかむと海へ蹴り入れた。続いてかかってきた実光を左の脇に抱え、実俊を右の脇に抱えて、締め上げた。

「おまえら、死出の旅路の供をしろ」と言うなり、海へざぶんと飛び込んだ。

享年26。

いとこである教経の最期を見届けた知盛は、「見るべきほどの事は見つ。今は何をか期すべき」と覚悟を決めると、乳母子の伊賀家長を呼んだ。


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解散(11/16)~公示(12/4)~選挙&投・開票(12/16)の結果、民主党は瓦解して、安倍晋三元首相の再登板になる可能性が大きい。
まさか、「中国、何するものぞ」と核武装徴兵制を言い出すことはないだろうが、右傾化することは間違いないだろう。

一昨日、中国では密室で、国のトップが胡錦濤氏から習近平氏に代わった。
善かれ悪しかれあちらの主席は10年つとめ、こちらの宰相は仲間からすら足を引っ張られて1年ほどで息切れする。

サミットなどの国際会議の場では、その年に就任した首相が、新人として自己紹介から始めなければならない。

しかも、翌年はまた別の顔。

外国の首脳が、わが総理をまともに相手にしなくなるのも宜なるかなである。
このことが、国際社会における日本の地位をどれだけ下げ続けていることか。

平家物語の群像 義経46源平合戦終わる

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$吉備路残照△古代ロマン-知盛入水  知盛入水 若手花形七人歌舞伎 (市川亀次郎、中村獅童、中村勘太郎、中村七之助、中村亀鶴、市川男女蔵、片岡愛之助)  博多座


知盛が、「約束を守るだろうな」というと、家長は、「もちろんですとも」と答えるや、知盛に鎧を2領着せ、自分も鎧を2領着ると、手に手を取って一緒に海に身を投げた。

それを見ていた20人あまりの武士たちも、続いて入水した。

ただ、景清ら何人かは、逃げ延びて行方をくらます。

壇ノ浦の海上は、平家の赤旗や赤印が切り捨てられたりかなぐり捨てられたりして、あたかも龍田川の紅葉を嵐が吹き散らしたがごとくであった。

波打ち際に寄せる白波は、薄紅色に染まった。

長い長い源平の戦いが終わって、多くの舟が潮の満ち引きのままにあるいは風に任せて、あてどなく揺られている様子がいいようもなく物悲しい。

中宮徳子宗盛清宗父子、時忠ら81名が生け捕りになった、


元暦2(1185)年4月3日、義経は源広綱を院の御所へ向かわせ、後白河法皇に申し上げさせた。

「去る3月24日卯の刻(午前6時)、豊前国(福岡県)の田の浦と門司が関、長門国(山口県)の壇の浦と赤間が関において、平家をことごとく攻め滅ぼしました。(三種の神器の)八咫鏡八尺瓊曲玉を都へ返還いたします」

法皇は大いに喜んで広綱を御所の内庭に招き入れ、合戦の様子を詳しく尋ねた。

そして感動のあまり、その場で弘綱を左兵衛に叙した。

4月5日、法皇は北面武士の藤判官信盛を呼んで、
「八咫鏡と八尺瓊曲玉をたしかに取り戻したか確かめてまいれ」と西国へ遣わす。

信盛は院の馬で、そのまま西を目指して鞭を上げた。



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引き回し①明石の浦の涙

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$吉備路残照△古代ロマン-明石の浦  明石の浦 歌枕


戦い終えた義経は、平家一門の男女の捕虜を伴って壇ノ浦から京へ向かった。

4月14日、播磨国の明石の浦に到着。

明石の浦は昔から幾多の和歌に詠まれてきた名高い歌枕で、更けゆくにつれて冴えわたる月は、おさおさ秋の空にも劣らなかった。

平家の女房たちは、みんな忍び泣いた。

「先年、明石の浦を通ったときには、このような境遇になるとは夢にも思わなかったのに……」

帥典侍(そちのすけ:平時忠の後妻)は、何かしら切ない思い出があるのか、涙をあふれさせている。

つくづくと月を見上げながら、詠んだ。

○ 眺むれば 濡るる袂に 宿りけり

         月よ雲井の 物語せよ

治部卿局 (じぶきょうのつぼね:平知盛の正室)が続ける。

○ 雲の上に 見しに変はらぬ 月影の

         澄むにつけても 物ぞ悲しき

大納言典侍(だいなごんのすけ:平重衡の正室)

○ わが身こそ 明石の浦に 旅寝せめ

         同じ波にも 宿る月かな


義経はもとより無骨な鎌倉武士だが、「平家の女房方はさぞかし昔のことを懐かしくも恋しくも思っておられるのだろう」としみじみと感じとり、哀れに思っていた。


4月25日、三種の神器のうちのふたつ、八咫鏡八尺瓊曲玉が鳥羽に到着する。

多くの公卿・殿上人が鳥羽へお迎えに参上した。



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平家物語の群像 引き回し②平時忠の感慨

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$吉備路残照△古代ロマン-八葉車  八葉車 牛車の一つ


4月25日の深夜0時頃、八咫鏡(やたのかがみ)と八尺瓊曲玉(やさかにのまがたま)が太政官庁に収められた。

二位尼が腰に差して入水した天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)は、壇ノ浦の海中深く沈んでいる。


4月26日、平家の捕虜たちが鳥羽に到着し、すぐに都大路を引き回された。

見物人に捕虜たちの顔が見えるように、小八葉(こはちよう:殿上人が乗った)の車の前後の(すだれ)を上げ、左右の物見窓(ものみまど:外を見るために設けた窓)が開けられている。

平家の棟梁・宗盛浄衣(じょうえ:白い衣服)を着ていた。

宗盛はもともと色白で清潔感のある男だが、瀬戸内海で長く潮風に吹かれていたせいか痩せて肌が黒ずんでいる。

別人のような風貌になっているが、辺りを見回している様子はさほど沈痛な面持ちではない。

嫡男の清宗は白い直垂(ひたたれ:武士の衣服)姿で、宗盛の車のすぐ後ろに続き、涙にむせんで目を伏せたままである。

3番目に時忠の車が続いた。

「平家にあらずんば人にあらず」と言い放ったのは、いつのことだったか。

「有為転変(諸行無常とほぼ同じ)は世の習い」という仏教用語を身をもって痛感したことであろう。

生け捕りになった平家の人々が都大路を引き回される様子を一目見ようと、都人だけでなく、周辺の里からおびただしい数の老若男女が集まってきて、京の道という道を埋め尽くした。

立錐の余地もない。

人は振り返ることができず、車は引き返すことができなかった。

治承・養和の飢饉治承・寿永の乱(源平合戦)のために膨大な数の人々が亡くなったが、この様子を見ると、まだまだ無数の人々が残っているように思える。




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平家物語の群像 引き回し③時の移ろい

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$吉備路残照△古代ロマン-平時忠  平時忠の主な血脈
   クリックして御覧ください


平家一門が、木曽義仲に都を追われてほぼ2年。

さほど昔のことではない。

見物人たちは、平家がこの世の春を謳歌していたころの繁栄ぶりを思い出して、今、目の前を宗盛時忠が罪人として小八葉の車に乗せられて都大路を引き回されている有様が、夢なのかうつつなのか区別がつかないほどであった。

「まさか、あの宗盛殿が内大臣が、あのように……」

正に、盛者必衰の理である。

情緒を解さない身分の低い者も、時の移ろいの非情さに、みな涙を流し袖を濡らしている。

まして、父祖の代から平家に仕えていた恩顧の者たちのうちには、時代の趨勢で不本意ながら平家を裏切って源氏に味方した者たちが少なからずいるが、昔のよしみを忘れられるはずもなく、どれほど悲しく思ったことだろう。

袖に顔を押し当てたまま、涙に暮れて目を上げられない者も多かった。


宗盛牛飼は、義仲が院の御所に参上したとき、義仲の車を引いているとき引き損ねて義仲に斬られた次郎丸の弟・三郎丸であった。

今は、義経に仕えている。

西国で仮元服していた三郎丸は、義経に頼み込んだ。

「舎人や牛飼など卑しい身分の者は、人の心など分かりません。ただ、私は長年、宗盛様にお仕えしておりました。御恩は浅くありません。もし差し支えなければ、どうか宗盛様の車を今一度、引かせて下さい」

「そうか、それなら、すぐに行ってやれ」

三郎丸は喜んで牛飼の装束に着替えると、宗盛小八葉の車に飛んでいった。

車を引いてはいるものの涙に霞んで行く先が見えないので、牛の歩みに任せて、三郎丸はただただ泣いていた。




『AKB48論壇』にいよいよ大御所(田原総一朗)の参入かと思いきや、なんとテレビCMだった。

田原氏にかぎらず、名うての論客たちをして熱く語らせるグループあるいはタレント個人が、男女を問わず他にあっただろうか。

なお、社会学者の濱野智史氏は、12月7日に著書
『前田敦子はキリストを超えた <宗教>としてのAKB48』
を発売するそうだが、ここまで来ると私にはよく分からない。

私流に簡潔にいうなら、「前田敦子は、一途で健気な夢追い人」であり、「高橋みなみは、心配りの行きとどいた思いやりの深い逸材(類稀なリーダー)」である。

作家ではなく学者である濱野氏と出版元の筑摩書房は、各方面からの抗議と批判はもちろん覚悟の上だろう。

だが、一番困惑しているのは(キリストを超えた)とされているあっちゃん本人ではないだろうか。

贔屓の引き倒しの度が過ぎているように思う。



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