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Channel: 吉備路残照△古代ロマン
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平家物語の群像 弁慶⑨藤原秀衡の遺言

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$吉備路残照△古代ロマン-藤原秀衡 藤原秀衡


文治3(1187)年2月、義経一行は、ようやく奥州の平泉にたどり着き、旧知の藤原秀衡のもとへ身を寄せた。

かつて、16歳の少年義経は、出家を嫌って鞍馬寺を出奔したとき、黄金で財を成したといわれる商人金売吉次に伴われて、奥州平泉へ下っている。

平家の全盛期に、16~23歳というもっとも多感な青年期を平泉で送っているのだ。

当時、秀衡は、源氏の御曹司をかくまうことによる権力者平清盛との対立を覚悟していただろう。

今回、義経をふところに入れることは、着々と天下の権を握りつつある源頼朝に、
どんな口実をも与えかねない危険性をはらむ。

普通に考えれば、頼朝の追っ手から逃げている義経は厄介者だ。

選択肢は、ふたつ。

義経を頼朝に差し出すか、あるいは一戦交える覚悟で守るか。

秀衡は、懐にはいってきた窮鳥を生かすことにした。

もともと秀衡は、父祖以来の因縁もあり、いずれ頼朝との激突は避けられないと踏んでいる。

ならば、噂に聞いているいくさ上手の義経を総大将に、息子たちをその下につけて鎌倉と戦えばいい。

一の谷や屋島、壇ノ浦における義経の戦いぶりを耳にしている秀衡は、そう決断した。




だが、奥州藤原氏や義経にとって不幸なことに、秀衡は8カ月後、病死する。

遺言は、「判官殿を愚かなしに奉るべからず」

「義経殿を大将軍にせよ」 というものだった。



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平家物語の群像 弁慶⑩弁慶の立往生

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$吉備路残照△古代ロマン-弁慶の立往生弁慶の立往生 中村吉右衛門


京の五条大橋での義経との大立ち回り、加賀の安宅の関における涙の主君殴打、
そして衣川の弁慶の立往生 (立ったまま息絶える)。

これらが、武蔵坊弁慶渾身の見せ場である。

藤原秀衡(ひでひら) が死ぬと、後継の泰衡(やすひら) は頼朝の武力を恐れ、父の遺言をないがしろにして、五百騎の軍勢で高舘(たかだて) の義経主従に討っ手を差し向けた。

義経の手勢は十騎ほどだ。

弁慶は黒皮縅 (おどし) の鎧をまとい、大薙刀を振るって奮戦した。しかし、多勢に無勢、徐々に追い詰められてゆく。

伊勢三郎も討たれ、片岡八郎と弁慶だけになった。

義経は持仏堂で法華経を読んでいるが、「全部読み終えたい」 という。

弁慶は、御簾(みす) をそっと引き上げ、義経に別れを告げた。

敵勢が近づく音がすると、弁慶はあわてて立ち去ろうとしたが、すぐに戻ってきて、嗚咽しながら歌を詠んだ。

○六道の みちの巷に 待てよ君

    おくれ先だつ ならひありとも

義経も返歌して、慟哭した。

○後の世も また後の世も

    めぐりあへ そむ紫の 雲の上まで

弁慶も義経も、すぐにやってくる今生の別れを前に、「必ずや、あの世でまた会おう」 と心から願っている。






持仏堂を出ると、弁慶は阿修羅のごとく泰衡勢と戦った。

雨のように降りそそぐ敵の矢を受けながら、弁慶は、大薙刀を杖にして仁王立ちになっている。

その迫力に、誰も近よらない。

しばらくして、若い武士がおそるおそる近寄づいてみると、弁慶は地響きをあげて倒れてきた。

身体は硬直し、息はすでに絶えている。

「弁慶の立往生」 である。


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「平清盛―平家物語絵巻の世界」 展 林原美術館

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     暑中お見舞い申し上げます


 ◇岡山で 「平清盛展」 開幕 絵巻や屏風など40点




源平の争乱を軸に壮大な歴史ロマンを照らし出す 「平清盛―平家物語絵巻の世界」 展 (林原美術館7 件、山陽新聞社主催) が3日、岡山市北区丸の内、同美術館で開幕した。

平家がたどる諸行無常の物語を華麗に描写した同館が誇る名品が、愛好者らを魅了している。

平家打倒を狙う武士たちの眼光鋭さが風雲を予感させる 「源氏揃への事」 から、清盛の壮絶な死を描く
「入道逝去の事」 、源平が死闘を展開する 「那須与一」 や 「藤戸」 など名場面の数々…。

全国で唯一、物語全話が完存する 「平家物語絵巻」 (越前松平家伝来 )の全36巻を公開するのをはじめ、
平家物語を題材にした屏風、能面、刀装具などを加えた約40点が並ぶ会場は、ぜいたくな展示空間になっている。

9月30日まで。前期(同2日まで)と後期(同4日から)で展示替えがある。

同17日を除く月曜と同18日休館。  (山陽新聞から全文引用)


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地元の岡山の方々にはとても親しまれ、愛されています。


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平家物語の群像 維盛①美貌の貴公子

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$吉備路残照△古代ロマン-平維盛  平維盛 平家物語絵巻から


久々に平家の公達 (きんだち) に戻ってきた。

それも公達のなかの公達。

平家一門嫡流の美貌の貴公子、維盛 (これもり) だ。

『建礼門院右京大夫集』 の作者は、維盛の輝くような美しさを、「光源氏の再来」 と書いた。

ちなみに、右京大夫は、維盛の異母弟・資盛 (すけもり) と恋仲である。

     建礼門院右京大夫③運命の人

安元2(1176)年3月4日、後白河法皇50歳の祝賀の宴で、烏帽子 (えぼし) に桜と梅の枝を挿して、「青海波 せいがいは」 を舞うと、その優美な舞い姿に、
女房たちは、「桜梅のように美しい」 とため息をついた。

それから、維盛は 「桜梅 (おうばい) の少将」 と呼ばれるようになる。

平家嫌いだった関白・九条兼実さえ、
「容顔美麗、尤も歎美するに足る」 と賛嘆している。

それにしても、『平家』 の作者は、男性の容姿については、これでもかこれでもかと色んな角度から形容するが、
女性美には関してはまるで無頓着なのはどうしたわけか。

『平家』を書いた人物は99.999%以上男なのに……。


保元3(1158)年、維盛は、平清盛の嫡男・重盛の嫡男として生まれた。

父の重盛は20歳で、祖父とともに保元・平治の乱を戦っていた頃である。

戦乱の最終勝利者となった清盛は朝廷で権勢をふるい、重盛は後継者として異例の出世を重ねていった。

維盛は、ここまでは眩いほどに恵まれた人物だ。

将来が約束されている上に、匂い立つような美形ときている。





だが、人生、いつもいい事ばかりではない。

安元3(1177)年6月、藤原成親 (なりちか) を首謀者とする鹿ケ谷の陰謀が、重盛・維盛親子に微妙な影を落とした。
 
       鹿ヶ谷の陰謀①伏線


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平家物語の群像 維盛②鹿ケ谷の陰謀の衝撃

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$吉備路残照△古代ロマン-平重盛 平重盛 菊池容斎画 『前賢故実』 江戸時代


言うまでもなく、鹿ケ谷の陰謀は、清盛政権下で初めて発覚した反平家の動きである。

藤原成親 (なりちか) が、人事への不満から西光法師俊寛僧都多田行綱らを語らって、高位高官をほぼ独占している平家を打倒しようとした事件だ。

清盛と対立を深めつつあった後白河院も、加わっている。

      鹿ヶ谷の陰謀②主なメンバー

さいわい未遂に終わるが、このクーデターは、重盛と維盛にとって思いもかけない企てだったはずだ。

そして、ショックを受けるとともに困り果てた。

なぜなら、重盛の妻・経子 (けいし つねこ) は成親の妹であり、維盛の妻・建春門院新大納言は成親の娘なのである。

つまり、成親は重盛にとっては義兄であり、維盛にとっては舅である。

言い方を変えれば、重盛の家は二代続けて成親の家からお嫁さんを迎えた。

そういうごく近しい親戚筋の成親が、平家を滅ぼそうと画策したのだ。




清盛の子供たちには、分かりやすくいえば母親の違いによる派閥らしきものがある。

高階基章の娘を母とする嫡男の重盛と、平時子 (二位尼) が産んだ宗盛、知盛、重衡たちである。

それだけに、重盛・維盛父子にとって、もう一つの身内である成親による 「鹿ヶ谷の陰謀」 は衝撃だったろうし、
一門における立場を危うくさせかねない重大事件だった。

事実、重盛は発覚後、すぐに内大臣の辞表を出している。



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平家物語の群像 維盛③頼朝追討軍の総大将に

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$吉備路残照△古代ロマン-平重盛の墓 小松内大臣平重盛公墳墓


その頃、中宮・徳子が懐妊したため、腹違いとはいえ兄である重盛の内大臣辞任は認められず、左大将のみ辞任した。

一方、成親がその武力を頼りにしていた多田行綱の密告によって鹿ケ谷の陰謀を知った清盛は激怒。

謀議に参加した面々を一網打尽にした。

      鹿ヶ谷の陰謀④捕縛そして処罰

義兄の謀反がよほどこたえたのか、重盛は病気がちになり家に籠もるようになる。

治承3(1179)年3月、熊野に参詣して後世のことを祈ったが、病状が悪化したため、5月25日に出家した。法名は浄蓮

6月21日、後白河法皇が、六波羅の邸・小松殿 (以後、重盛や維盛の家を小松家とする) を訪れて重盛を見舞った。

治承3(1179)年7月29日、重盛、死去。享年42。

重盛を亡くした維盛は、平家一門の中でますます孤立感を深めたことだろう。そんな時、
源頼朝木曽義仲などの源氏勢が次々に兵を挙げた。

治承4(1180)年8月17日、頼朝が平家打倒の挙兵。

治承4(1180)年9月5日、維盛、頼朝追討軍の総大将に任ぜられる。
維盛は7万騎 (『平家物語』による) を率いて、東国へ進軍。

初陣で23歳の桜梅少将に、7万騎という大軍の総大将が務まるものなのか。




わたしが清盛なら、維盛より3歳年長の叔父・重衡を総大将に指名するのだが……。

やはり、清盛は 「嫡流の維盛が平家一門の棟梁」 という腹積もりだったのだろうか。

出陣する維盛の武者姿は、絵にも描けない美しさだったという。



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平家物語の群像 維盛④富士川の戦い

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$吉備路残照△古代ロマン-治承寿永の乱 治承・寿永の乱 (源平合戦)   ……↑ クリックして拡大して下さい。


治承4(1180)年9月18日、維盛を総大将、大叔父の薩摩守忠度 (ただのり) を副将、
伊藤忠清を侍大将として、総勢3万余騎が福原を発った。

19日、京へ到着。20日、東海道を下って行く。

途中、維盛軍は7万騎ほどに膨れ上がった。

しかし、その年は西日本一帯が凶作で、兵糧や武器の調達が思うに任せなかった。
物資の欠乏は当然、将兵の士気に関わるだろう。

しかも、平家軍にとってかつてない長途の遠征だ。

この頼朝追討軍が、東海道を進んでいる間にも、各地の源氏が次々と蜂起している。


追討軍が駿河 (静岡県) に着くと、駿河国目代 (もくだい:国司の代官) 橘遠茂 (たちばなのとおもち) は、
駿河に侵入しようしている武田信義 (甲斐源氏) 討伐に向かったが、富士川べりで戦い惨敗して討たれた。

追討軍にとって、不吉な前兆である。

維盛が侍大将の伊藤忠清を呼んで、自分の考えを述べた。

「足柄山を越え、広い野原で勝負したい」

忠清が、答えた。

「福原を発つとき、清盛入道が、『合戦のことは忠清に任せよ』 と維盛殿に言われたはずです。
伊豆と駿河の軍勢が、まだ見えません。味方は7万余騎とはいえ寄せ集め。馬も武者も疲れ果てています。




関東では草や木も、頼朝になびいているようですから何十万騎にもなるでしょう。富士川に布陣して、味方の軍勢が揃うのをお待ちになるのが、よろしいかと存じます」

その頃、頼朝は鎌倉を発ち、足柄山を越えて駿河国の木瀬川に到着。甲斐や信濃の源氏も駆けつけて合流。

駿河の浮島が原で馬揃えを行った。総勢20万騎とのこと。



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平家物語の群像 維盛⑤斎藤別当実盛

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$吉備路残照△古代ロマン-斉藤実盛  斎藤別当実盛


維盛は、坂東の情勢に通じている斎藤実盛 (さねもり) を呼んで尋ねた。

「実盛よ、そなたほどの弓の使い手は、関八州にはどれ位いるものか」

実盛は大笑いした。

「殿は、実盛を弓の名人とお思いですか。私ていどの弓使いは関東八か国には幾らでもおります。精兵は鎧の2、3両はやすやすと射抜きます。合戦となれば、親や子が討たれても、死屍累々 (ししるいるい) の山を乗り越えて戦います。

西国の合戦は違います。親や子が討たれると悲嘆のあまり退却します。兵糧米が尽きると、さっさと戦いを止めます。


さて、甲斐や信濃の源氏は地勢に詳しい。富士の裾野から背後へ回り、攻め込んでくるでしょう。大将軍を怖じ気づかせようと言っているのではありません。
しかし私は、再び都へ上れるとは思っておりません。

ただ、合戦の勝敗は兵の多少ではなく、謀略で決まります」

実盛の話を聞いていた兵たちは、みな震えあがった。

斎藤実盛 越前国 (福井県) 生れ

武蔵国幡羅郡長井庄 (埼玉県熊谷市) を本拠地とした




久寿2(1155)年、源義平が叔父源義賢 (よしかた) を討った大蔵館の戦いでは、義賢の子で2歳の駒王 (のちの木曽義仲) を保護して、木曽に送り届けたともいわれる。

      木曽義仲①頼朝・義経は父の仇

保元の乱、平治の乱では源義朝についたが、乱後は平家との結びつきを強め平家領の長井荘の荘官となった。

治承・寿永の乱では一貫して平家方についた。

治承4(1180)年の富士川の戦いでは、東国の案内者として、東国武士について進言。
寿永2(1183)年、篠原の戦いで、味方が落ちていく中ただ一騎踏みとどまり、幼い頃助けた木曽の軍に討たれる。

黒髪に染めた老齢の実盛を見たとき、義仲は泣いた。


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平家物語の群像 維盛⑥水鳥の羽音

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$吉備路残照△古代ロマン-富士川の戦い   富士川の戦い


治承4(1180)年10月24日午前6時に、富士川を挟んで、矢合わせをして戦端を開くことに決まった。

その前夜、伊豆や駿河の民百姓がいくさを恐れて、野に入り山に隠れ、舟に乗って川や海に浮かんで、炊事をした。

平家方から源氏の陣営を見渡すと、彼らの無数の煮炊きの火が見える。

「なんと夥しい数の遠火だ。野も山も川も海も、源氏の武者で満ちているぞ」


夜半、水辺に群れていた水鳥たちが何に驚いたのか、一斉に飛び立った。

水鳥たちの羽音が、雷か暴風のように聞こえたので、平家の兵たちは恐れおののいた。

「源氏の大軍が攻めてくるぞ。昨日、実盛が言っていた通りだ。甲斐と信濃の軍勢が富士山の裾から背後へ回ってきたのだ。取り囲まれては敵わない。尾張の墨俣まで逃れよう」

取る物も取りあえず、われ先に逃げて行った。





慌てふためいて、弓を取る者は矢を忘れ、矢を取る者は弓を忘れた。

自分の馬は人に乗られ、人の馬に自分が乗った。

杭につないだの馬に跨って走り出すものだから、杭の周囲をぐるぐる回っている粗忽者もいる。

平家の陣には遊女が呼ばれて酒盛りをしていたが、ある者は頭を踏みつぶされ、ある者は腰を踏み折られた。

24日午前6時、源氏勢20万騎が富士川に押し寄せ、天も響き大地も揺るがすばかりに3度、鬨の声を上げた。

平家の陣内は物音ひとつしない。


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平家物語の群像 維盛⑦平家陣はもぬけの殻

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$吉備路残照△古代ロマン-頼朝  馬上の源頼朝


人数を出して平家方の様子を偵察させたところ、「もぬけの殻です」という。

敵が忘れていった鎧 (よろい) を取ってきた者もいれば、置いていった大幕を持ってきた者もいる。

「平家の陣には、ハエ一匹飛んでおりません」

維盛には退却するつもりはなかったが、侍大将の伊藤忠清は撤退を主張した。とうに戦意を喪失している
兵たちも、忠清に同調しており撤退を余儀なくされた。

疑問が残る。

なぜ、実盛は決戦を前に、東国武士の猛々しい戦いぶりを力説して、味方に恐怖心を植え付けたのか。

西国武士は軟弱で、親や子が討たれたり兵糧が尽きたりしたらすぐに退却してしまうという認識であれば、
なおさら、開戦前夜には口にすべきではなかったであろう。

その程度の配慮のできない人物には思えないのだが。

もしや敵勢が勇猛果敢であることを強調して、平家勢を発奮させようとしたのか……。

もしそうであれば、結果的に見込み違いだった。

実盛から東国武士の苛烈な戦いぶりを聞いておびえていた平家の武士たちは、富士川の川べりから羽ばたいた数万羽の水鳥の暴風のような羽音を、東国勢の夜襲と勘違いして、戦わずしてわれ先に敗走したのだ。


頼朝は急いで馬から下りて兜を脱ぎ、手を洗いうがいをした。



御巣鷹山日航機墜落事故(1985年8月12日18時56分)で亡くなった坂本九さんの曲です。さっきラジオから流れていました。

都のほうへ向かって、「これは私の功績ではありません。ひとえに八幡大菩薩の御計らいです」

頼朝は平家を追撃することはせず、地盤固めのため鎌倉に戻った。

治承4(1180)年11月8日、維盛はわずか10騎ほどの兵とともに命からがら福原へ逃げ帰った。

清盛は激怒し、維盛が福原に入ることを禁じる。

「維盛をば鬼界島へ流すべし。忠清をば死罪に行へ」



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平家物語の群像 維盛⑧右近衛中将に昇進

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$吉備路残照△古代ロマン-福原京推定地 福原京推定地 祇園遺跡     神戸市兵庫区下祇園町

東海道の宿々の遊女たちは、平家の不様を笑いあった。

「平家のお侍たちは、なんと情けないこと。敵の軍勢に怯えて逃げることさえみっともないのに、
水鳥の羽音に腰を抜かして、一目散に落ちていったよ」

彼女らの物笑いの種になっただけではない。

道々に、維盛忠清をからかった落書きがたくさん残された。

○ 富士川の 瀬々の岩こす 水よりも

        早くも落つる 伊勢平氏かな

富士川の急流にある岩を水が超すよりも早く平家は衰えてしまったよ

矢合わせ当日、平家の様子を偵察に行った者が持ち帰った鎧は、どうやら伊藤忠清の鎧だったようだ。

○ 富士川に 鎧はすて 墨染めの

        衣ただきよ 後の世のため

富士川に鎧を捨てた忠清よ、僧衣を着ればいい 後世のために


治承4(1180)年11月10日、除目 (じもく:官人と地方官の任命) が行われ、維盛は右近衛中将に昇進した。

京雀たちは、ささやきあった。

「維盛卿は頼朝追討軍の大将軍だったとはいえ、何の手柄も立てていない。戦いもせずに、逃げ帰っただけではないか。見逃しの三振みたいなものだ。
右近衛中将に昇進とは、いったい何の褒美なのか」



清盛入道の四男・頭中将平重衡が、左近衛中将に昇進した。

叔父の重衡が、維盛に一歩先んじているようだ。

11月13日、福原に内裏が造られ、安徳天皇が福原へ遷った。

養和元(1181)年2月、清盛が病没する。享年64。


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平家物語の群像 維盛⑨小松家の悲哀

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$吉備路残照△古代ロマン-猿ヶ馬場平維盛が本陣を置いた猿ヶ馬場       倶利伽羅峠古戦場

「富士川の戦い」 という歴史用語には実体がない。

維盛軍は東国勢と一戦も交えることなく、水鳥の羽音に驚いて逃げ帰ったからだ。

維盛は、平家一門の中でますます身の置き所がなくなったのではないだろうか。

自分の舅であり故・父重盛の義兄でもある藤原成親が、平家を滅ぼそうと画策した鹿ケ谷の陰謀の中心人物だったことは、一門における小松家 (重盛とその子供たちの家) の立場を、ひどく悪くさせただろうことは想像に難くない。

      維盛②鹿ケ谷の陰謀の衝撃

重盛は、この事件に心を痛め身体をこわして42歳という若さで世を去った。


維盛が 「富士川の戦い」 の総大将に任命されたことは、考えようによっては、「鹿ケ谷の陰謀」 の負い目を克服するチャンスであった。

関東勢を撃破して頼朝を生け捕りにでもすれば、一気に求心力が高まったに違いない。

でも、えてして現実は願望と逆方向に動く。維盛の、総大将としての力量を問われかねない無残な結果に終わった。


また小松家は、維盛を筆頭に全員が20歳前後の若者だ。

裏も表もそのまた裏もある、権謀術数渦巻く朝廷政治に身を置くには若すぎる。

他方、清盛の正室・時子を母とする宗盛の兄弟は、維盛からすればみんな叔父。年齢的にも、働き盛りだ。

しかも、叔母の徳子は、高倉天皇の中宮におさまっている。

どうみても、こちらの方が羽振りがいい。





そこへ持ってきて、「鹿ケ谷」 と 「富士川」 である。

重盛亡きあと、平家一門の棟梁の座は嫡孫の維盛ではなく、清盛三男の宗盛に移った。


寿永2(1183)年4月、再び維盛を総大将として総勢10万 (平家物語による) の大軍団が編成された。

木曾義仲追討軍である。


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平家物語の群像 維盛⑩倶利伽羅峠の戦い

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$吉備路残照△古代ロマン-火牛の牛  火牛の計 『源平盛衰記』


治承4年(1180)、木曽義仲以仁王の平家追討の令旨に応じて信濃 (長野県) で挙兵。

翌年、平家方の越後守・城長茂 (じょう ながもち)の1万の軍勢を横田河原の戦いで破り、北陸道方面に勢力を広げた。

       義仲③上洛途上 

寿永2年(1183)4月、平家は維盛を総大将とする10万騎の大軍を北陸道へ派遣。越前 (福井県) の火打城の戦いで勝利し、義仲軍は越中 (富山県) へ後退した。

同年5月9日早朝、義仲四天王の一人・今井兼平が般若野(はんにゃの 富山県)で平家軍の先遣隊・平盛俊の軍勢を奇襲し退却させた。(般若野の戦い

      巴①源義仲、木曽谷へ逃れる     

一旦後退した平家軍は、能登 (石川県) の志雄山に平通盛平知度の3万余騎。
加賀 (石川県) と越中の国境の砺波山に、維盛平忠度らの7万余騎の二手に分かれて布陣した。

5月11日、義仲は叔父・源行家の兵を、志雄山へ向かわせて平家軍を牽制。
義仲本隊は、砺波山へ向かう。

兼平の兄でやはり義仲四天王の一人・樋口兼光の手勢を、平家軍の背後に回らせた。

そうして平家の将兵が寝静まったころ、義仲軍は突然、大音響を立てて攻撃を仕掛けた。

深夜の奇襲に浮き足立った平家勢はあわてて退却しようとするが、退路には兼光勢が待ち構えている。



大混乱に陥った平家軍7万余騎は、敵勢のいない方向へわれ先に逃れた。
だが、そこは倶利伽羅峠の断崖。将兵が次々に谷底に転落して、平家軍は壊滅的な打撃を受けた。

維盛は、またしても命からがら逃げ帰った。

なお 『源平盛衰記』 には、この時の攻撃で、義仲軍が数百頭の牛の角に松明を括りつけて敵陣に向けて突進させた 「火牛の計」 という戦法が登場する。


829年後のいま思うに、都育ちの舞いの名手が、山国育ちの木曾冠者と、山岳地帯で戦ったこと自体が間違っている。



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平家物語の群像 維盛⑪都落ち 妻子との別れ

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$吉備路残照△古代ロマン-維盛都落ち 維盛、都落ち 妻子との別れ


倶利伽羅峠の戦いに大勝した義仲は、京へ向けてそのまま進撃した。
勢いだけで、突っ走った感がある。

これは富士川の戦いにおける勝利のあと、平家軍を追撃せず、地盤固めのため鎌倉に戻った、いとこの頼朝と大いに異なる点だ。
もっとも頼朝は追撃したかったが、周囲がとめたようだ。


寿永2年(1183)7月、義仲は上洛した。

倶利伽羅峠で大半の軍勢を失った平家は、もはや防戦するだけの力はなく、安徳天皇を奉じて西国へ落ちた。

後白河院も伴っていたが、途中、比叡山に逃げられた。


維盛は一門でただ一人、妻子を都に残したまま落ちてゆく。

妻は一緒に落ちたいと訴えるが、維盛は許さなかった。

なお、北の方 (建春門院新大納言) は、鹿ケ谷の陰謀の首謀者・藤原成親の娘である。「光源氏の再来」 の連れ合いは、 「輝くばかりの美貌」 だったそうだ。

「私は一門とともに西国へ落ちるが、どこで敵が待ち伏せしているか分からない。もし、私が討たれても、出家などしてはならない。だれかと再婚して、幼い子どもたちを育ててくれ」

北の方は返事をせず、ただ泣き伏している。維盛が立ち上がろうとすると、袂にすがりついた。

「あなたに捨てられて、だれと再婚するのでしょう。前世からの契りがあったからこそ、あなたは情けをかけてくれました。どこまでも一緒にいて、同じ野原の露と消えようと睦言を交わしたことは、いつわりだったのですか。

わが身一つなら、何とでもします。しかし、幼い者たちを誰に託せばいいのでしょう。どうか連れて行って下さい」






「あなたが13、私が15の時に見初め合い、たとえ火の中、水の底へも共に入り、ともに沈み、死ぬのは一緒と誓いあった。しかし、今回は明日をも知れぬ旅の空。つらい目に遭わせたくない。いつか落ち着いたら、迎えを出す」

維盛はそう告げると、思い切って立ち上がった。

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平家物語の群像 維盛⑫妻子を都に残した理由

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$吉備路残照△古代ロマン-小松殿の庭園  伝・小松殿の庭園


棟梁の宗盛をはじめ平家の公達の妻子は、つらい陸路をたどり、慣れない船に揺られることを覚悟して、優雅な日々を送ってきた都を出立した。

いつどこで義仲軍や落人狩りに遭遇するかも知れないという危険性も、承知していたはずだ。

維盛の妻子だけは、京に残った。自分の家族さえ安全ならばいいと、周囲に受け取られかねない行動だ。

それだけに、この決断には維盛のよほどの思いがこもっていたのではないだろうか。


都落ちにあたって、維盛が妻子を伴うことでもっとも恐れたのは、北の方に語った 「道にも敵待つなれば心安く通らん事有難し」 ではなく、
彼女の父親が、故藤原成親であることだったと思う。

つまり、平家を滅ぼそうと目論んだ成親の娘である建春門院新大納言の、一門における立場を慮ったのだ。

昨日までは、小松殿という広大な邸に住んで、ほかの平家一族とあまり顔を合わせることはなかったであろう。

小松家は、亡き重盛のころから、腹違いの弟の宗盛兄弟とはしっくりいっていなかったようなのだ。

ところが、どうだろう。

都を落ちるとなれば、新大納言はいやでも宗盛や知盛重衡らと顔を合わせることになる。

いや、男はまだいいかも知れない。行動範囲もちがうだろう。

しかし、時子 (二位尼) や中宮徳子らとは、生活空間を等しくする可能性が高い。

もし、瀬戸内海で同じ船に乗り合わせることになったら、せまい船室で顔を突き合わせて暮らすことになったら……。

まわりには、女房たちが仕えている。




彼女らは、平家一門を滅ぼそうと画策した成親の娘に、どういう態度で接するだろう。

日常的に、憎悪に満ちた視線を投げたり、トゲのある言葉を浴びせたりするかも知れない。


維盛は、新大納言がつらい立場に立たされることを心配して、あえて都に残したのではないだろうか。

『平家物語』には、維盛が嫡男の六代を都に残し、妻子との名残を惜しんで一行に遅れて加わったことを、宗盛らが疑うような場面がある。


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平家物語の群像 維盛⑬六代をよろしく頼む

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$吉備路残照△古代ロマン-大鎧 大鎧 おおよろい             クリックして拡大して下さい

維盛が鎧をきて馬に乗ろうとすると、10歳になる六代と8歳の夜叉御前が走ってきて、維盛の鎧の袖や草摺 (くさずり) にしがみついて泣きじゃくった。

「父上、どこへ行かれるのですか。私たちも参ります」

そこへ資盛 (すけもり:建礼門院右京大夫と恋仲) と清経 (きよつね)、有盛 (ありもり)、忠房 (ただふさ)、師盛 (もろもり) の弟たち5騎が、中庭にやって来て馬上から叫んだ。

   …… 建礼門院右京大夫 ③運命の人

「兄上、行幸の列は、はるか先を進んでいます。何をぐずぐずしているのですか」

維盛は馬にまたがって出発しかけたが、引き返して縁側に馬を寄せ、弓で御簾をめくり上げた。

「見よ。幼い者たちがあまりに慕うので、慰めているうちに遅れてしまった」
かすれ声で泣きながらいうと、弟たちも鎧の袖を濡らした。


維盛が召し抱える若侍に、19歳の斎藤五宗貞と17歳の斎藤六宗光という兄弟がいる。

富士川の戦いの前夜、東国武士のすさまじい戦いぶりを説明して、心優しい西国武士 (平家軍) の戦意を喪失させた斉藤実盛 (さねもり) の息子たちである。

           維盛⑤斎藤別当実盛


      東京都文京区湯島 (湯島天神の近く)

ふたりは維盛が乗っている馬の左右の手綱を持って、「どこまでもお供します」

しかし、維盛は二人に頼んだ。

「お前たちの父実盛は、篠原の戦いで討ち死にした」

「あの時、お前たちが一緒に行きたいと言ったとき、実盛は許さなかった。今日の日があることを、見通していたのかも知れない。六代を残して行く。お前たちに、頼みたい」


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