一ノ谷の戦いは、義経の奇襲戦法もあって源氏側の圧倒的勝利に終わるが、この戦いで、景季 (かげすえ) は自害直前の平重衡 (しげひら) を生け捕りにした。
平重衡②盛長はわが馬召されなんとや
景時は、重衡を鎌倉へ護送して頼朝に引きあわせるが、そのとき、敵の総大将・頼朝に対して、捕虜の身でありながら一歩も引かない重衡の堂々とした態度に、
「あっぱれな大将軍であられる」 と胸を熱くした。
頼朝自身も、旧知ではあるが重衡の人物に感服する。
子供のころは頼朝が平家の捕虜だったが、時には重衡兄弟と一緒に遊んだのではないだろうか。そして、大人になって立場が逆転して再会した。
平重衡⑰重衡、頼朝と対面
子供のころに一方が捕虜だったという点では、織田信長と徳川家康の関係を髣髴とする。
こちらは、再会後、対立を乗り越えて同盟に発展するが。
夢まぼろしの如く⑤天下布武
4月、景時は土肥実平とともに上洛して、広大な平家所領の没収にあたった。
8月、範頼 (のりより) が平氏討伐のため鎌倉を出発し、中国地方から九州へ渡る遠征に出た。平家を完全に滅亡させるためである。
なお、義経は頼朝の勘気を受けて平家討伐から外され、京都守護という閑職に就いていた。
景時は、実平とともに範頼の相談相手として西国遠征に従っている。
「平成24年7月九州北部豪雨」 により柳川市周辺は冠水状態のようです
範頼軍は兵糧や兵船の調達に難渋して、なかなか平家殲滅の目途がつかなかった。
やはり、軍事天才の出番が回ってくる。
元暦元(1185)年正月 しびれを切らした頼朝は義経を起用、讃岐国屋島の平家の本拠地を衝かせることにした。
『平家物語』 によると、義経の軍目付 (いくさめつけ:軍監) を務めていた景時は、兵船に逆櫓 (さかろ) をつけて、船の進退を自由にすべきだと提案した。
すると、義経は、「初めから逃げ支度をしてどうする」 とはねつける。
景時にしてみれば、「臆病者」 といわれたのも同然である。
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