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Channel: 吉備路残照△古代ロマン
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平家物語の群像 文覚⑯後々、源氏の敵になられようと

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$吉備路残照△古代ロマン-大覚寺 旧嵯峨御所大覚寺門跡

 平家ホタル放生 7月6日(金)・7日(土) 於.大覚寺 ※雨天決行

乳母は、文覚を高雄の神護寺に訪ねると、声を振り絞って哀願した。「出産のときに取り上げて以来育ててきた12歳になる若君を昨日、源氏の武士に奪われました。どうか若君を引き取って、お弟子にして頂きとうございます」

子細を尋ねると、「亡き平維盛様の若君を、源氏の武士が昨日、連れ去りました」。「武士とは、誰ですか」。「北条時政殿です」。「知らない人物ではありません。訪ねてみましょう」

文覚は、すぐに六波羅へ出かけて行った。厳しい仏道修行の甲斐あってか、ずいぶん円熟味を増したようだが、素早い行動力は相変わらずである。

乳母は、文覚の言葉をそのままあてにはしないが、心痛が少し軽くなった。大覚寺に戻ると、建春門院新大納言がほっとした表情で、「身を投げたのではなかったのですか。私も、どこかの淵か川へでも身を投げようと思っていたのですよ」

文覚の言葉を伝えると、「もしそうなら、あの子にもう一度、会いたい」 

文覚は六波羅に着くと、時政に事情を尋ねた。

「平家の男たちを残らず捜し出して殺すよう、命じられております。特に、六代御前は嫡流だから死に物狂いで捜したが、見つかりません。あきらめて鎌倉に帰ろうとしていたところ、密告する者がいました。
しかし、あまりに美しい若君なので、まだそのままです」

「ならば、是非、お会いしたい」

六代は、二重織物の直垂を着、黒檀の数珠を手に掛けていた。髪の額へのかかり具合、容姿、人となりなど気品にあふれて美しく、この世の者とは思えない。

だが、やはり安心して眠れないのか、表情がやつれている。



文覚を見ると涙ぐんだので、文覚も思わずもらい泣きした。

「後々源氏の敵になられようと、亡き者にするわけにはいかない」

「時政殿、20日間の猶予を下され。鎌倉へ下って許しを頂きます。頼朝殿を世に送り出そうと福原に上って院宣を頂いたとき、頼朝殿は、『どのような大事であっても、文覚房の要望は叶えよう』 と約束して下さった。お忘れではありますまい」

翌朝、斎藤五宗貞斎藤六宗光は旅立つ文覚の後姿を見送りながら、生き仏のように思われ、手を合わせて涙した。

ふたりが大覚寺に戻ってその様子を伝えたとき、建春門院新大納言乳母はどれほど嬉しく思ったことか。


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平家物語の群像 文覚⑰北条時政、六代を伴って都を発つ

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$吉備路残照△古代ロマン-維盛妻子との別れ 平維盛の都落ち 北の方と六代との別れの場面

文覚の厚意は厚意として、六代の生殺与奪はひとえに源氏の棟梁である頼朝の胸先三寸にかかっている。

どうなることだろうと案じられるが、20日間命が延びたことで、建春門院新大納言乳母は、ひとまずほっとしていた。「これも、長谷寺の観音様のご加護ではないでしょうか」

だが、20日間が過ぎても、文覚は都へ戻ってこなかった。

時政は、「約束の20日間が過ぎた。頼朝殿のお許しが出なかったのではないだろうか。都に留まってばかりもいられない」 と落ち着かなくなった。

斎藤五宗貞斎藤六宗光も、心配で大覚寺に赴いた。

「聖はまだお戻りになりません。北条時政殿は、近く鎌倉へ下向されるようです」 と報告すると、
建春門院新大納言は自分に言い聞かせるように、「文覚房が、あれほど頼もしげに鎌倉へ向かわれたのですから」

だが、内心では、どれほどつらい思いをしていたことか。乳母は、泣いている。

「鎌倉へもどる時政殿に、文覚房と出会う所まで六代を伴ってくれるよう、だれか口添えしてくれないものか。もし、文覚房が六代の命を頼朝殿からもらいうけて、都へ向かっていたら。もし着かれる前に、六代が斬られたら、余りにむごい」

「六代はすぐに、殺されるのか」

「若君のお世話をしていた北条の家の子・郎党が、名残惜しそうに念仏を唱えたり、涙を流したりしていました」

「それで、あの子の様子は」

「人がいる時は、なんでもない様子で数珠を揉んでおられます。しかし、誰もいない時は、袖を顔に押し当てて、涙に暮れておいでです」

「今夜限りの命と思って、さぞかし心細いことでしょう。ところで、そなた達はどうするのですか」

「どこまでも若君のお供を致します。あの世に逝かれたら、遺骨を頂いて高野山に納め、出家して菩提を弔います」


冥土の土産に、六代にAKB48を聴かせたかった!?
お姉さんたち、とても楽しそう。およそ800年後の今、消費税が少々上がろうと、子供の命をつけ狙う者はいない。


「そろそろ、お帰り」 といわれて、ふたりは泣く泣く帰っていった。

文治元(1185)年12月17日早朝、時政は六代を伴って都を発った。斎藤五宗貞と斎藤六宗光も、御輿の左右に付き添う。

時政は、替え馬に乗っていた武者を下ろして、ふたりに、「馬に乗れ」 と勧めたが、「最後のお供なので、つらくありません」 と馬には乗らず、血の涙を流して裸足で歩きだした。


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平家物語の群像 文覚⑱黒衣の僧が、月毛の馬に乗って

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$吉備路残照△古代ロマン-千本松原  千本松原  沼津市の狩野川河口~富士市の田子の浦  静岡県

六代は、まだまだ甘えていたい母や乳母と別れ、住み慣れた都からはるかに遠い鎌倉へ下って行く。さながら、死への行進といえなくもない。恐怖心に押しつぶされやしないか。

12歳の胸のうち、察するに余りある。何ひとつ悪いことをしていないのに、である。

武士がたまたま自分の方へ馬を急がせてくると、「首を斬りにきたのか」 と怯え、武士たちがヒソヒソ話をしていると、「いよいよか」 と背筋が凍る。

駿河国の千本の松原で、六代の御輿が下された。そして、敷物が用意され、「お降り下さい」 と御輿から出された。

時政が馬から飛び下りて、急いで六代のもとへやって来た。

「途中で文覚房と行き会うかも知れないと思い、ここまでお連れしました。しかし、頼朝殿のお気持ちが分からないので、足柄山の向こうにはお連れできません。近江国で若君をお斬りしたと伝えます。平家一門の方なので、致し方ありません」 

六代は、時政の言葉には返事をせず、斎藤五宗貞斎藤六宗光を呼んだ。
「お前たち、都へ戻って私が斬られたとは申すな。母上や乳母を嘆き悲しませたくない。極楽往生の妨げにもなろう。いずれ分かるだろうが、鎌倉まで無事に送り届けたと伝えてくれ」

「若君に先立たれて、生きて都へ戻ろうとは思いません」

六代は、まさに斬られるというとき、肩にかかっている髪の毛を、小さな美しい手で払った。
その可憐な仕草に武士たちは、「なんと愛しい。この期に及んでなお、気品を保っておられる」 と感涙した。


六代御前とのtime to say goodbye はもう少し先ですが……。

六代は西へ向かって手を合わせ、よく通る声で念仏を10念唱えると、小さな首を差し出した。

狩野工藤三親俊が斬り手に選ばれ、左から六代の背後に回って斬ろうとしたとき、目がくらんで意識が飛んだ。「どうしても斬れません。他の人に申しつけて下さい」

時政が斬り手を選んでいると、月毛の馬に乗った黒衣の僧が、激しくムチを打って駆け付けて来る。

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平家物語の群像 文覚⑲尽きせぬものはただ涙なり

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$吉備路残照△古代ロマン-六代御前最後之故址の碑 六代御前最後之故址の碑   逗子市田越


近くに住む者たちが、ぞろぞろ集まってきて、「なんとかわいそうな。松原の中で世にも美しい平家の若君を、時政殿が斬ろうとしている」などと囁きあっている。

黒衣の僧が駆けつけて、馬から飛び下りた。「若君を預かりに参りました。源頼朝殿の御命令書がここにあります」

              命令書

「小松三位中将維盛卿の子息六代御前尋ね出だされて候ふ。然るを高雄の聖文覚坊の暫し乞ひ受けんと候ふ。
疑ひをなさず預けらるべし。
   北条四郎殿へ。 頼朝」 最期に判を押してある。

時政が、「承知致した」 というと、斎藤五宗貞と斎藤六宗光はいうに及ばず、北条の家の子郎等も喜んだ。そこに、文覚房が晴れがましい表情で現れ、時政に遅れた事情を話した。

頼朝殿は初め、『若君の父、平維盛殿は富士川の合戦などの大将軍でいられた。いかに御房の頼みでも、助命は無理だ』 といわれる。『文覚の頼みを退けて、神仏のご加護がありますものやら』 など悪態をついても、『だめだ』 と言って、那須野に狩りに出て行きました。私も狩場に赴いて、何度も頼み込んで、ようやく若君の命を乞い受けました」

「御房が約束された20日間は過ぎました。頼朝殿の許しがなかったのだと思い、今、ここで過ちを犯すところでした」



文覚房と六代らは、尾張の熱田で年の暮れを迎え、翌1月5日夜に帰京した。大覚寺に入って門を叩いたが、誰もいないのか物音がしない。六代が飼っていた白い犬が、築地の崩れから走り出てきて、尾を振った。
「母上はどこにいらっしゃるのだ」 と聞くのがいじらしい。

翌朝、里人に尋ねると、「昨年の暮れ東大寺へ参って、正月からは長谷寺に籠もっていられます」 というので、斎藤五宗貞が長谷寺へ急行し、
建春門院新大納言に、六代が帰ってきたことを告げた。

は、わが子をひしと抱きしめた。尽きせぬものはただ涙。「六代、これは夢か。すぐに出家なさい」

しかし、文覚は出家させず、高尾の神護寺に迎え入れた。


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平家物語の群像 文覚⑳さる人の子なり、さる者の弟子なり

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$吉備路残照△古代ロマン-六代の墓 六代御前 (平高清:平家一門最後の嫡流 正盛から六代目) の墓  神奈川県逗子市桜山  
平家終焉の地が、源氏の本拠地であるのは歴史の皮肉か


六代は14~5歳になると容姿にますます磨きがかかって、照り輝くばかりになった。さすがに、「光源氏の再来」 と呼ばれた維盛の血を引いているだけのことはある。

ところで、なぜ、『平家物語』は男性の容姿を、うれしそうに繰り返し描写するのだろうか。記述も、いたって細かい。
「王城一」やら「牡丹の花」やら「光源氏の再来」やら、印象的な形容も残している。

一方、女性の容色は、私のおぼつかない記憶によると、おしなべて 「美しかった」 で済ませているような気がする。

『平家』作者の好みはそっちなのか、 と思わざるを得ない。

母の建春門院新大納言は、「世が世なら、今頃は近衛司くらいにはなっていただろうに」 と嘆く。

頼朝はことあるごとに、「六代御前はどうしていますか。昔、頼朝を占われたように朝敵を征伐し、維盛殿の恥を雪ぐほどの器量ですか」 などと文覚へいってくる。

文覚は、「愚か者です。ご安心下さい」 と返事するが、頼朝は不安らしく、「六代御前が謀反を起こせば、文覚房はその片棒を担ぐお人だ。私が生きている間は誰にも手出しはさせないが、私の死後は分かりませんよ」

建春門院新大納言がこのことを耳にすると、「六代、すぐに出家なさい」 と強く勧めるので、16歳になる文治五年の春、美しい髪を肩の辺りで切り落とし、柿の衣や袴、笈などを用意して、修行に出た。
斎藤兄弟が、同様の出で立ちでお供をした。

まず高野山へ上り、父・維盛を仏道に導いた滝口入道時頼を訪ねた。そして、父の出家の経緯や臨終の様子などを詳しく尋ね、また父の足跡を訪ねようと熊野権現に参った。

浜の宮という王子社から、父が渡った島を望んで渡ろうと思ったが、あいにく波風が強くて叶わず、「父上はどこに沈まれたのか」 と沖から寄せる白波に問うてみた。

浜辺の砂も父の遺骨に思われて懐かしく、涙の乾く暇もない。

当時は、後鳥羽上皇の時代だが、上皇は遊興にふけってばかり。政務は上皇の乳母卿の局 (範子) が取り仕切っていたが、世は乱れ、心ある人々は嘆いていた。

一方、守覚親王は、優れた人物で学問も怠らない。

文覚は、「守覚親王を帝位に」 と建久10年1月13日、謀反を起こしたが、たちまち企てが洩れて、80余歳で召し捕られ、隠岐国に流された。

都を出るとき、「これほどの老体を、都の片隅ではなく隠岐国まで流すとは。毬打ち狂い (上皇) は許せん。いまに見ろ、わしが流される国に必ず迎えてやる」 と地団駄を踏んだ。

承久3年、上皇が承久の変を起こして失敗、隠岐国へ流されたのだから、文覚の執念は恐ろしい。隠岐では、文覚の亡霊が現れて、上皇に色々話をしたという。



六代は、三位禅師として高雄の神護寺で修行していたが、頼朝は、「六代御前は、維盛郷の子であり文覚房の弟子である。頭を剃っても、心までは剃るまい」 と、判官・安藤資兼に命じて捕らえさせた。

関東に連行され、駿河国の住人・岡辺権守泰綱によって、田越川のほとりで斬られる。12歳より30余歳まで命を保てたのは、ひとえに長谷観音の御利益といわれた。

三位禅師 (俗名・平 高清) が斬られ、平家は途絶した。


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平家物語の群像 葵女御①女は妃にもなれる

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$吉備路残照△古代ロマン-高倉天皇  高倉天皇


高倉天皇の中宮は、いうまでもなく平清盛の娘、徳子 (建礼門院) である。

高倉が10歳のとき、16歳の徳子が嫁いできた。この年ごろの6歳の開きは、大きい。高倉にとっては、年の離れたお姉さんがやってきたという感覚ではなかったか。

20歳で亡くなった高倉には終生、そういう意識が続いたのではないだろうか。
落し胤をばらまくような好色漢ではなく清潔で生真面目な高倉は、いつも不器用なほど真剣にひとりの女性を愛している。

ただ、徳子がよく知る宮中に仕えている女性たちである。そのことに対する徳子の思いは、なぜか、書かれていない。いいかえれば、無視されている。
怒ったり、嫉妬したりしてはならなかったかのようだ。

さて、その徳子に仕えている女房の女童 (めのわらわ:召使) に、という美しい少女がいた。この美少女が、高倉の目にとまり、一身に寵愛を受けるようになる。

それゆえ、葵の主人である女房は、葵を召し使わず、かえって主人に対するように丁重にもてなすようになった。

当時、次のような 『長恨歌』 の一節が流行っていた。

「生男勿喜歓 生女勿悲酸 男是不封候 女作妃
 (男を生んでも喜ぶな 女を生んでも悲しむな 男は諸侯にすらなれない 女は妃にもなれる) 」

楊貴妃は、后に立った。も更衣、女御、后となり、帝の母、女院とも仰がれることになるのだろうか、などと噂するようになった。内々では、葵の女御と呼ばれるようになる。


宮中の恋しか知らない高倉と葵にとって、あの日の風景はどこだろうか。

高倉はこうした噂を耳にすると、ぱったりと葵を呼ばなくなった。愛情が覚めたからではない。世間体を気にしてのことだ。

それからというもの、いつも物思いに耽っていて、食事もあまり摂らない。気分が思わしくないと、寝所にこもっていた。

関白の松殿 (藤原基房) が、心配して参内した


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平家物語の群像 葵女御②忍ぶれど 色に出でにけり 

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$吉備路残照△古代ロマン-忍ぶれど  忍ぶれど 色に出でにけり


「そこまで思いをかけておられるのなら、何の不都合がございましょう。を召されたらいかがですか。家柄を気になさる必要はありません。基房がさっそく養女にしましょう」

「基房のいうことはもっともだ。退位してからなら、それもよい。しかし、在位中に、そのようなことをしたら、後代のそしりとなろう」

基房は、仕方なく帰っていった。


ある日、高倉は手元にあった紙に、古歌を書きつけた。

○ 忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は

    物や思ふと 人の問うまで

『拾遺集』 の恋の部にある平兼盛の名歌だ。藤原定家の 『小倉百人一首』 に採られている。ご存知の方も多かろう。

  忍びの恋①玉の緒よ 絶えなば絶えね 永らえば


藤原隆房が、和歌の書かれた紙をにわたすと、葵はぽっと顔を赤らめて、懐にしまった。そして、ほどなく体調を崩したからと里へ帰り、5、6日ほど臥せたあと死んでしまった。

あっけない、まことにあっけない。物語としても、まったくの尻切れトンボだ。『平家物語』  よどうした、と言いたくなる。

これから、「高倉と葵の恋物語」 が本格的に始まるのではなかったのか。





寵愛するの思わぬ死で、高倉は日々、夜となく昼となく悲しみの淵に沈んでいた。

そんな夫を見かねた徳子から、小督  (こごう)  という女房が送られてきた。小督は、徳子に仕えている女房たちのうちの一番の美女で、比類なき琴の名手である。

徳子の寛大さには恐れ入る。これでは、年上女房というより息子を溺愛する母親ではないか。
あるいは、理想の奥さんとはこういうタイプなのだろうか。

どうやら、「高倉と葵」 は、「高倉と小督の恋物語」へのプロローグだったようだ。
 


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平家物語の群像 小督⑤幽かに琴ぞ聞えける

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$吉備路残照△古代ロマン-琴きき橋跡 琴きき橋跡 渡月橋北詰

仲国は、小督を探し出す方法をあれこれ思案した。

「小督は琴の名手だ。この月夜に天皇を思って、琴を弾いているかも知れない。いつか、御所でわたしが笛を吹いて、小督の琴と合奏したことがある。小督の琴の音は、聞き分けられるはずだ。嵯峨には民家など、いくらもないだろう」

仲国は、めどがついたような気がした。

「では、探してみましょう。会えた時のために、お手紙をお預かり致します」
高倉は、手紙をわたすとき、「宮廷の馬に乗ってゆけ」

ころは、仲秋の名月に近い。

仲国は、嵯峨野あたりの上空に浮かぶ月に向かって馬首をめぐらすと、ゆっくりと鞭を上げて、馬をすすめた。

○ 牡鹿鳴く この山里の さがなれば

           悲しかりける 秋の夕暮れ

かつて、藤原基俊が詠んだ嵯峨野あたりの秋の夕暮れは、さぞかし、しみじみとして哀れが深かったことであろう。

折片戸 (門が片方のみに開く戸) の民家を目にするたびに、「もしかしたら、小督がここに?」
仲国は、幾度となく馬の手綱をゆるめては、耳をすませたが、琴を弾いている気配はない。

寺院に籠っているかもしれないと、釈迦堂 (清凉寺) などを回ってみたが、小督に似た女房は見当たらなかった。



探しあぐねて途方にくれたが、このまま戻ったら子供の使いだ。天皇に顔向けできない。

「どうしよう」 と思い悩んだ末、「そういえば、ここから法輪寺はほど近い。小督は月の光に誘われて、参拝しているかも知れない」 と思いあたった。

法輪寺に向かって馬を歩ませていると、亀山の近くで、松林のあいだから、かすかに琴の音が聞こえてきた。

(原文) まことや法輪はほど近ければ月の光に誘はれて参り給へる事もやと其方へ向かひてぞ歩ませける。
亀山の辺近く松の一叢ある方に幽かに琴ぞ聞えける。


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平家物語の群像 小督⑥小督が奏でる曲は『想夫恋』

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$吉備路残照△古代ロマン-小督の局と弾正少弼源仲国 小督の局と弾正少弼源仲国  橋本(揚洲)周延

峰の嵐か松風か、訪ねる小督の琴の音か。

はっきりとは聴きとれないが、馬を速めて近づくと、片折戸の家の中から琴を弾く音が聞こえてくる。聴き覚えのある小督の爪音 (つまおと) だ。楽曲は、『想夫恋 (そうぶれん)』 

「やはり、小督はやさしい。高倉天皇を思って、数多い楽曲の中から想夫恋を弾くとは」 

仲国は腰から横笛を抜き出して、ビッと吹き鳴らした。そして、門をかるく叩くと、琴の音はたちどころに止んだ。
「内裏より源仲国が、帝の使いで参りました。開けて下さい」

いくら叩いても応答がなかったが、そのうち家の中から人の出てくる気配。鎖が外され、門がわずかに開いて、かわいらしい少女が顔だけを出した。
「こちらは、宮中から御使いの方が見えるような家ではありません。何かのお間違いでは」

仲国は、戸を閉められ鎖をかけられてはまずいと思って、返事をせずに無理やり戸を開けて中に入った。

「小督殿、どうしてこのような所に籠っておられるのか。帝は、あなたのことで命さえ危うい御様子。嘘ではない。お手紙を預かっている」

(原文) 何とてかやうの所には御渡り候ふやらん。 君は御故に思し召し沈ませ給ひて御命も既に危ふくこそ見えさせましまし候へ。かやうに申さば上の空とや思し召され候ふらん。御書を賜はつて参つて候ふ



そばにいた女房が手紙を受け取って、小督にわたした。

宸筆 (しんぴつ:天皇の直筆) である。小督はすぐに返事を書いて、女房装束を一着添えて仲国に渡した。

仲国は、女房装束を肩に掛けて、「他の使者ならともかく、御所で小督殿が琴を弾き、わたしが横笛を吹いたことをお忘れか。わたしに話して下され」

小督はもっともと思ったのか、仲国に語りだした。


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平家物語の群像 小督⑦範子内親王が誕生

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$吉備路残照△古代ロマン-平清盛日招像  平清盛日招像 広島県呉市警固屋

「清盛入道が恐ろしいことを口にされていることを、仲国様もご存じでしょう。私はどうなろうと構いません。
ただ、私のために帝の身にもし何かあればと心配になり、夕闇にまぎれてひそかに内裏を抜け出しました」

今はこのような暮らしをしております。明朝、大原へ発ちます。

「それで最後の夜の名残りに、この家の女主人が、

『夜も更けました。だれかに聞かれることもないでしょう』

と琴を弾くよう勧めるので、私もやはり懐かしく久しぶりに弾いていたところを、仲国様に気づかれました」

小督は涙をこらえようともせずに話す。

「明朝、大原へ発つということは出家なさるつもりか。それはまずい。帝の気持ちはどうなる。出家はだめだ」

(原文) 明日よりは大原の奥へ思し召し立つ事と候ふは定めて御様などもや変へさせ給ひ候はんずらん 然るべうも候はず さて君をば何とかし参らせ給ふべき 努々叶ひ候ふまじ

仲国は供の者に、「絶対に、小督殿をここから出すな」 と命じて急ぎ内裏へ戻った。

東の空は、すでに白みはじめている。

「帝は、寝所にお入りになっているだろう」 と思いつつ紫宸殿へ向かうと、高倉天皇はまだ昨晩と同じ場所に座っていた。

小督からの手紙を渡した。


大河 『平清盛』 の視聴率が異常に低い要因の一つは、登場人物が多いからだそうですね。しかも名前に馴染みがない上に、よく似ている。そこで記憶力アップですが、約11分、試してみるのも一興かもしれません。但し、身につくか否か責任はもてません。私は、これで健忘症になりました。



高倉は喜びのあまり、「では、今夜すぐに連れてまいれ」

仲国は、清盛の耳にはいるのが恐ろしいが、天皇の命令なので、雑色、牛飼、牛車に至るまできれいに仕立てて、再び嵯峨へ向かった。

小督は内裏には戻りたくないと言い張ったが、あれやこれやなだめすかして牛車に乗せ、内裏へ連れ戻すと、人目につかないところに隠しておいた。

ほどなく、女の子が生まれた。範子内親王 (坊門女院) である。

中宮徳子には、まだ子はない。

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平家物語の群像 小督⑧出家そして追放

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$吉備路残照△古代ロマン-小督局の塚小督局の塚 京都東山 清閑寺


内親王の誕生を時の権力者に隠し通すことは不可能だろう。

「小督が行方をくらませたというのは、偽りだったのか」

憤激した清盛は、小督を捜しだすと、ただちに東山の清閑寺で尼にして、内裏から追放した。

時に、小督23。

出家はもとより望んでいたが、愛する者たちと生木を裂かれるように別れさせられるのは、やはり身に応える。

『平家物語』 によると、小督が内裏を去った悲しみのあまり高倉は亡くなった。

このあたり、『平家』作者は、またまた清盛を横暴な大悪人に仕立てている感がある。

史実は……、

治承元(1176)年 小督が範子内親王を生み、出家

治承2(1177)年 中宮徳子が言仁親王 (安徳天皇) を生む

治承3(1178)年 女房藤原殖子が守貞親王 (後高倉院)

           女房少将局が惟明親王
         
           女房按察典侍が潔子内親王を生む

治承4(1179)年 女房藤原殖子が尊成親王 (後鳥羽天皇) 
            を生む


  勉強や仕事に役に立つそうですが……

   
こう書くと身も蓋もないが、高倉は、小督がいなくなった悲しみでこの世を去ったどころか、いたって元気だ。記録に残っているだけでも、3年ほどの間に、これだけの女性と子らがいる。

小督ひとりを、命をかけて愛していたわけでもなさそうだ。


元久2(1205)年 『明月記』 によると、藤原定家が、嵯峨で病に臥せている小督を見舞っている。

その後、小督の消息は杳として知れない。


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平家物語の群像 景時①嫌われ者だが有名人

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$吉備路残照△古代ロマン-梶原景時  梶原景時 憎ったらしい面相


梶原景時は、源平両軍の武士のなかで1、2を争う嫌われ者だ。大の嫌われ者ゆえか、
鎌倉幕府の御家人としては、飛びぬけて知名度が高い。

国民の皆さまに、ひどく嫌われているのも広く知られているのも、ひとえに国民的人気者・義経と対立していたからである。


文章の流れでつい国民的人気者と書いてしまったが、牛若丸こと源義経は、かつてほどの人気はないのではないだろうか。
メディアが採りあげて人物を論じることもなければ、義経を主人公にした新刊本も何年も見かけない。

義経は先陣を切って動きまわる武人でしかなく、大政治家頼朝の駒に過ぎなかったからではないだろうか。

崖を馬で下りたり舟から船へピョンピョン飛び跳ねたりするところに子供は憧れるが、時代時代の要請にこたえうるレベルの人物ではないということだろう。

戦いには強くても、政治的なセンスが欠落している。兄がやろうとしていたことを、ほとんど理解していない。

子供のころ、わたしのヒーローは源義経と織田信長、そして坂本竜馬の3人であった。
しかし、いつの間にか義経が完全に抜け落ちていたのだ。


            集中力こそ全てなのかも知れません

さて、景時と義経。

やはり、ここでも、 『平家物語』 お得意の二項対立が働いている。

     平知盛①見るべきほどのことは見つ 参照

義経は 「好きで、善い人」、景時は 「嫌いで、悪い人」

景時こそ、われらが義経を頼朝に讒言 (ざんげん:告げ口) して陥れた、憎い悪人というイメージが出来上がっている。

平清盛は大悪人、というのと同じだ。

屋島の戦いにおいて、平家方の舟上に浮かぶ扇の的を射ぬいた弓の名人・那須与一もまた、
景時の讒言によって越後に流されたという。

     那須与一①沖より尋常に飾つたる小舟 参照



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平家物語の群像 景時②石橋山の戦い

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$吉備路残照△古代ロマン-ししどの窟 ししどの窟の源頼朝
   前田青邨画


実は、『平家物語』 には梶原景時に関する記述は、文覚上人同様きわめて少ない。よって、とくに前半は、『吾妻鏡』 と 『源平盛衰記』 に頼ることになる。

      文覚①幼馴染みの袈裟と再会  参照

梶原氏のような中小の豪族は、源・平という大族の勢力争いの動向によって、源氏に付いたり平氏に味方したりしている。

家族や一族郎等の生命や生活を守るためには、仕方がなかったのだろう。

きのう、「国民の生活が第一」 という、他人事ながら恥ずかしくなるような名称の新党が、
本音では、「自分たちが選挙で当選するのが第一」 と思っている、政治資金をめぐる刑事被告人によって立ちあがった。

人気取りのキャッチフレーズを臆面もなく並べているが、国民を愚弄していること甚だしい。国民は、見透かしている。

選挙後、49名のうち何%が国会に戻ってこられることやら。


それはさておき、梶原氏はもともとは平氏の流れだが、源義家が関東に勢力を張っていたころは源氏の家人になり、平治の乱で源義朝が敗死すると、平家に従った。

治承4(1180)年8月、源頼朝が、以仁王の令旨を奉じて挙兵。伊豆国目代の山木兼隆を襲撃して殺害する。

つづく石橋山の戦いでは、梶原景時は同族の大庭景親とともに、平家方として頼朝討伐に向かい、頼朝軍を破った。

山中に逃れた頼朝を追跡してきた景親が、「この臥木が怪しい」 というと、景時が洞窟の中に入っていった。

すると、頼朝がいるではないか。頼朝は、「今はこれまで」 と自害しようとしたが、景時が制した。




「お助けしましょう。戦いに勝たれたときは、忘れないで下さい」 といい残すと、洞窟を出て、「こうもりばかりで、誰もいない。向こうの山があやしい」 と叫んだ。

景親か怪しんで洞窟に入ろうとすると、景時が立ちふさがって、「わたしを疑うか。男の意地が立たぬ。入ればただではおかぬ」

大庭景親は諦めて立ち去り、頼朝は九死に一生を得た。

この時のことを恩義に感じて、のちに頼朝が景時を重用したともいわれている。


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平家物語の群像 景時③弁舌家で教養人

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$吉備路残照△古代ロマン-頼朝挙兵   頼朝挙兵のルート

治承4(1180)年8月29日、絶体絶命のピンチで、思いかけず景時に救われた頼朝は、
夜の闇にまぎれて船で安房国 (千葉県南部) へ逃れた。

安房で再び挙兵を呼びかけると、千葉常胤 (つねたね 桓武平氏の流れ) 、上総広常 (平広常 桓武平氏の流れ) ら地元の有力武士団が続々と馳せ参じて、
頼朝軍は、わずかの間に数万の大軍に膨れ上がった。

ここでお分かりのように、俗に 「源平合戦」 と呼ばれる 「治承・寿永の乱」 は、決して 「源氏と平氏の戦い」 ではない。

清盛と同じ桓武平氏の流れをくむ上総広常は東国最大の勢力で、約2万の軍勢を擁していた。
彼が頼朝の旗下に参陣したことが、頼朝挙兵の成功を決定づけたといわれている。

10月6日、かつて父義朝と兄義平が住んていた鎌倉へ入り、大倉御所をかまえて政治の拠点とした。

10月16日、頼朝追討の宣旨を受けた平維盛率いる平家軍を、富士川の戦いで破り、大庭景親を捕らえて斬った。

12月、景時は、土肥実平を通じて頼朝に降伏。



翌養和元(1181)年正月、頼朝と対面して御家人に列した。

弁が立って教養のある景時は頼朝に見込まれ、さっそく鶴岡若宮の造営や囚人の監視、
北条政子出産の際の世話係など、諸事に用いられる。

寿永2(1183)年12月、上総広常と双六を打っていた景時は、いきなり双六盤をのりこえて広常の頸を斬った。


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平家物語の群像 景時④広常暗殺の真相

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$吉備路残照△古代ロマン-上総広常  上総広常 (かずさ ひろつね)    平広常  歌川芳虎画

広常に謀反の企てがあるとの噂が広がり、頼朝が景時に命じて殺させたものだ。

のちに謀反の疑いは晴れるが、広常は御家人の中で突出した大軍勢を擁しており、
そのため何かと頼朝を軽んじる言動が目だっていた。

安房での再挙兵以来、頼朝軍が勝ち進んでいるのは2万騎を率いて参陣した自分のお蔭だという気持ちがあり、それが見え隠れしたのだろう。

なにしろ、石橋山の合戦で平家軍に惨敗、房総半島に逃げ延びての再挙兵だが、頼朝直属の部下はわずか5~6名。

有名なエピソードがある。

頼朝の呼びかけに応じて、広常は2万騎を率いて駆けつけるが、頼朝は喜んで感謝するどころか叱りつけた。

「なぜ、もっと早く来ないのか」

広常は、「頼朝殿は、まさに大将軍の器だ」 と感じ入った。


上洛して平家を倒すことより東国での割拠を志向する広常と、武家政権の樹立を目指す頼朝とは、国の統治に対する考え方が相容れなかった。

もしかしたら謀反のうわさは頼朝の側近が流したもので、根本的なところで考え方のちがう広常を消したかったのかも知れない。
そのため、景時に暗殺させたのではないだろうか。



寿永3(1184)年正月、景時と嫡男の梶原景季は、源義仲との宇治川の戦いに参陣を命じられる。
景季と佐々木高綱との先陣を争いは、この戦いでのことだ。

景季は一躍、武名をあげる。

戦いのあと、源範頼や義経、安田義定 (甲斐源氏) らは、戦勝を鎌倉の頼朝へ報告したが、いずれも、
「木曽義仲を敗死させました」 程度のかんたんな内容。

景時の報告書だけが、違っていた。


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平家物語の群像 景時⑤梶原2度駆けの親心

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$吉備路残照△古代ロマン-土肥実平 土肥実平 (さねひら) と妻の像
 JR湯河原駅前

景時は、義仲を仕留めた場所やその時の戦いの様子、討ち果たした主な敵将と彼らの首をあげた者の名前などを、詳細にかつ分かりやすく記している。

頼朝は、景時の的確な事務処理能力と、簡にして要をえた報告文に舌を巻いた。

同年2月7日、一ノ谷の戦いにおいて初めは土肥実平が範頼の侍大将 (大将軍の下で実際に軍を指揮する者)、
景時が義経の侍大将になっていたが、それぞれ両者のそりが合わずコンビの相手を交替した。

範頼の大手軍に属することになった梶原父子 (景時 景季 景高) は、生田口を守る平家軍の主力である平知盛や平重衡と相まみえる。

       平知盛⑤知盛卿は生田森の大将軍にて

       平重衡①重衡卿は生田森の副将軍

この戦いにおいて、景時は 「梶原の二度駆け」 と呼ばれる働きをする。

『平家物語』によると、弟の景高は一騎で敵中に突入して大苦戦。これを救おうと、父景時と兄景季が平家陣へ攻め入ったが、今度は、景季が深入りしすぎて戻ってこない。

景時は、「景季は、敵陣深くはいり込んで討たれたのではあるまいか」 と心配で涙を流しながら、再び平家の陣中に突入していった。

わが身をかえりみず息子たちを救うために2度、敵陣に突入していったことを 「梶原の二度駆け」 という。

景時が、景季を救いに行った場面を原文で。

(原文) 梶原まづ我が身の上をば知らずして、「源太 (景季) は何処 (どこ) に在るやらん」 とて駆け破り駆け廻り尋ぬるほどに、案の如く、源太は馬をも射させ徒歩立ちになり、

甲をも打ち落され大童 (おおわらわ:ざんばら髪) に戦ひ成つて、二丈 (約6m) ばかりありける岸 (がけ) を後に当て、

郎等二人左右に立て、打物 (うちもの:刀などの打ち合って戦うための武器) 脱いで敵五人が中に取り籠められて、面 (わき目) も振らず 命も惜しまず、此処を最後と攻め戦ふ。



(原文) 梶原これを見て、「源太は未だ討たれざりけり」 と嬉しう思ひ急ぎ馬より飛んで下り、「いかに源太、景時ここにあり。同じう死ぬるとも敵に後ろを見すな」 とて、

父子して五人の敵を三人討ち取り二人に手負はせて、「弓矢取 (武士) は駆くるも引くも折にこそよれ。いざうれ源太」 とて掻い具してぞ出でたりけり。梶原が二度の駆とはこれなり。


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