五智院の但馬が、大長刀 (なぎなた) の鞘 (さや) をはずして、ただ一人、橋の上へ進みでた。
平家方は、「射殺せ、射殺せ」と次々に矢を射かけたが、但馬は少しも慌てず、上を飛ぶ矢はかいくぐり、下を飛ぶ矢は飛びこえて、向かってくる矢は長刀で切り落とした。
敵も味方も、あざやかな動きに見とれている。
但馬が、「矢切りの但馬」と呼ばれた所以である。
筒井明秀も、ひとりで橋の上を進んでいくと大音声 (だいおんじょう) をあげた。
「遠からん者は音にも聞け 近からん者は目にも見よ。三井寺の堂衆 (どうしゅ:天台教団では下級僧) に筒井明秀という一人当千の兵がいる。われと思わん者は、かかってこい」
明秀が、箙 (えびら:矢を入れる武具)に24筋さしている矢を立て続けに射かけると、たちどころに12人の敵を射殺し、11人に傷を負わせた。
箙を捨て、毛皮の沓 (くつ) を脱いで裸足になると、橋桁の上をすたすたと走った。
他のだれも橋桁を恐れて渡らないが、明秀には、都大路を走るようなもの。
長刀で、向かってくる敵5人を薙ぎ倒し、6人目の時に長刀がポキッと折れた。
そこで太刀 (たち) を抜いて、蜘蛛手、角縄、十文字、蜻蜒 (とんぼ) 返り、水車と四方八方に斬りまくる。
敵を8人斬り伏せ9人目のとき、太刀を敵の兜の鉢に強打、太刀が折れて宇治川の流れへ落ちてしまった。
やむなく、今度は短い腰刀で死にもの狂いで戦ったあと、ほうほうのていで平等院に戻った。
門前の芝の上に鎧を脱いで、刺さった矢を数えると63筋、裏まで突き抜けた矢が5筋ある。
しかし深手 (ふかで:深傷) ではなかったので、身体の何カ所かに灸をすえ、頭を布でくるんで白い狩衣を着た。
そして、弓を折って杖にし、平足駄を履いて、「南無阿弥陀仏」 と唱えながら、奈良を目指して去っていった。
それから、三井寺の大衆や頼政の郎等、渡辺党らが、明秀が橋桁を渡ったのを見習って、われ先にと駆けだし、平家の陣を目がけて、橋桁の上を渡って行く。
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