平安京~大内裏~内裏
桓武天皇の延暦13/794年から平清盛の福原遷都(治承4/1180年)をのぞいて、明治2/1869年の東京遷都まで1000年あまりの都。
【内裏】を中心として、政府諸官庁を配置した。
いまの東京の、皇居~永田町~霞が関界隈に相当。
帝の私的な生活区域。 南北約300m 東西約200m
内裏の北/後半分は、女御や更衣が住んだ後宮こうきゅう。
平安京の【内裏】は、鎌倉時代に焼失したあと再建されていない。
南北朝以降は【内裏】の東に位置する☆里内裏であった【土御門東洞院殿つちみかどひがしのとういんどの】が御所になった。
近世、その内域に【紫宸殿】や【清涼殿】などが復元されたのが、現在の【京都御所】である。
☆里内裏 内裏の外に仮に設けられた御所。多くは外戚の摂関家の邸宅を充てた。現在の【京都御所】も里内裏のひとつ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
明石の君は、かつて源氏が帰京する前夜に、再会を約束するとともに、形見として残してくれた『琴』を源氏の前に差し出した。
源氏は当時を思い起こして、しみじみと感慨が込み上げてきた。
琴を掻き鳴らすと、絃の調子が昔のまま。
ふっと、明石で暮らしていた頃がよみがえってきた。
源氏、
〇 契りしに 変はらぬ 琴の調べにて
絶えぬ心の ほどは知りきや
約束した通り、あの時と変わらない琴の調べで、変わることなくあなたを思い続けてきたわたしの心の深さをお分かりいただけましょうか。
明石の君、
〇 変はらじと 契りしことを頼みにて
松の響きに 音を添へしかな
心変わりはしないと約束してくださったことを頼みとして、松風の吹く音に琴の音を添えて待ち暮らしておりました。
源氏は思い悩んでいた。
明石の君は当面の間、『大堰の館』を離れて都育ちの貴婦人たちのいる『二条東院』に移る気はなさそうだ。
「どうしたものか。
姫君がここ大堰で、「日蔭の身」として育つことは、気の毒なだけでなく将来のことを考えたらまことに惜しい。
『二条東院』に引き取って、紫の上の養女として養育すれば、後に世間の人々から「身分」に関してとやかく言われることはあるまい」
源氏はもちろん、【入内】のことを考えている。
しかし、源氏の思いは立ち止まった。
いくら姫君の将来のためとはいえ、まだ3歳の女の子をむりやり母親から引き離していいのか。
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