光源氏の主なモデルたち
在原行平 818~893年 在原業平の実兄。
月岡芳年画 「中納言行平朝臣左遷須磨浦逢村雨松風ニ蜑戯図」
国会図書館デジタルコレクション
流謫の地・須磨で、松風・村雨姉妹と恋仲に。
嵯峨天皇の十二男。
『源氏物語』では、融ゆかりの故地が光源氏の土地や建物に擬せられている。
例. 六条河原院→(六条院)→渉成園 栖霞観→(御堂)→清凉寺
【平等院】は融が営んだ『別荘』が宇多天皇にわたり、その孫をへて藤原道長の別荘『宇治殿』となり、その没後、子の頼通が『宇治殿』を『寺院』に改めた。
これが、【宇治平等院】の始まり。
源高明 たかあき 914~983年
醍醐天皇の第10皇子。娘の明子は藤原道長の妻。
光源氏と同じく、母親が「更衣」の身分であり、幼いとき、「源」の姓を賜って臣籍に降っ た。
左大臣に出世しながら藤原氏に阻まれ、『安和の変』で失脚。
『源氏物語』は紫式部ではなく、源高明が書いたという説がある。
紫式部は道長の娘、彰子しょうしに仕えた。
道長は、『源氏物語』執筆を依頼したスポンサーである。
光源氏のモデルのうち唯一、紫式部と同時代人。
中流階級出身の式部は上流の人物や生活ぶりを描くにあたって内裏や道長邸での体験やウワサ話を参考にしたであろう。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
送りにだに。
せめて都まで送ってください。
午前八時近く、明石の君一行を乗せた舟が静かに明石の浦の海辺を離れた。
明石入道は、その昔、柿本人麻呂が「浦の朝霧」と詠んだ明石の浦の朝霧の中を遠ざかってゆく一行の舟を眺めていた。
長い仏道修行の甲斐もなく、悟りの境地とはほど遠い。
煩悩のまま、悲しみに暮れながら次第に小さくなってゆく舟影をぼんやりと目で追っていた。
海原の果てに、愛しい舟影が消えていったことに気づかなかった。
〇ほのぼのと 明石の浦の 朝霧に
島隠れゆく 舟をしぞ思ふ 柿本人麻呂
かすかに明るくなってゆく明石の浦の朝霧の中、島影の中に消えてゆく舟を思う
舟はさいわい順風に送られるように山城国に入り、明石の君一行は予定どおり【大堰の館】に到着した。
川沿いに建てられた【大堰の館】から眺める風景は、明石の浦ととても似ていて、どこか別の場所に来た感じがしなかった。
尼君は祖父中務宮在世のころを思い出しているのか、しみじみと感慨にひたっている。
寝殿造りの館は簡素だが瀟洒なたたずまいで、とくに遣水の流れが風流をきわめている。
建物内外の細かな造作はこれから手が入るのだろうが、仮の住まいと考えれば立派なものだ。
源氏は従者たちに命じて、明石の君の上京を祝うための準備や、自分が【大堰の館】に出かけるときに使う部屋を整えさせたが、なかなか訪れることはなかった。
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夢に見たアイドルにはなれましたが、楽曲ごとの『選抜メンバー発表』のときは本当にドキドキします。
AKB総選挙のときは、もっともっと緊張するだろうなあ。
でも、NGT48の荻野由佳さんのように、無名のわたしが一躍、全国の方に顔と名前を知っていただくチャンスなので、頑張ります。
(佐野という女の子の内なる声が、聞こえてきました)
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歌手志望でAKBグループを卒業していった先輩たちはそろって鳴かず飛ばずだが、山本彩はソロのミュージシャンとして十分やっていけそう。
前川喜平さんが、『加計学園事件』のキーマンと考えている和泉洋人首相補佐官の出席を与党が拒否した。
自民党が、「人物」にしろ、「文書」にしろ、「記憶」にしろ、隠せば隠すほど、「国民の信頼」を失ってゆく。
そのことに気がつかないはずはないので、ある程度の信頼を失っても、【安倍体制】を守るためには隠すほかないのだろう。
数日前の各紙世論調査によると、安倍晋三という権力者一押しの『読売新聞』を含めて、6~8割もの国民がもはや安倍氏の【人間性】を信用していない。
次回は、安倍晋三氏も支持率急落を受けて出席する。
ウソをつけば偽証罪に問われる【証人喚問】にすべき。
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【中選挙区制】では自民党内の派閥争いがあまりにも激しく弊害が大きいので、【小選挙区制】に変えた。
【小選挙区】は二大政党が政権交代を繰り返すことを