*女院/藤壺尼宮の御前と冷泉帝の御前の2度にわたって「絵合」が行われたことが帖名【絵合】の由来
*絵合--左右に分かれて絵の優劣を競う遊び
・当時流行っていた【歌合】にもとづく紫式部の造語
光源氏内大臣31歳 紫の上23 朱雀院34
女院/藤壺尼宮36 冷泉帝13 秋好/梅壺女御22 弘徽殿女御14
『梅壺』、『藤壺』のすぐ上(北)。
【別れの櫛くし】の儀式 『斎宮歴史博物館』 三重県多気郡
斎宮さいぐう(六条御息所の娘)が伊勢へ発つ前に参内して別れを告げるとき、朱雀院が櫛を斎宮の髪に挿して与えた。
このとき、朱雀院は斎宮を見初める。
【絵合】では、斎宮は伊勢神宮での勤めを終えて帰京している。
よって、地位をあらわす前斎宮さきのさいぐうor通称の秋好あきこのむと呼ばれた。
母の六条御息所は今わの際に娘を源氏に託して亡くなり、源氏は秋好を養女にした。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
源氏は女院/藤壺尼宮と計らって、腹違いの兄・朱雀院の気持ちを知りながら前斎宮/秋好の入内じゅだいを決めた。
秋好は内裏だいりの【梅壺うめつぼ】を与えられ、以後、梅壺女御にょうごと呼ばれることになる。
秋好に心を寄せていた朱雀院はおおきな失望と喪失感を味わうが、それでも華麗な装束や櫛箱、打乱箱、香壺など豪華な祝いの品々を届けてくれた。
櫛箱の中に和歌が一首、
〇 別れ路に 添へし小櫛を かことにて
遥けき仲と 神やいさめし
8年前にお別れの櫛をあなたの御髪に挿しましたが、そのせいで、あなたとの仲を遠く離れたものと神がお決めになられたのでしょうか
*女院にょういん、にょいん 帝の母親
気の毒に思った源氏は、お礼状を書くよう梅壺女御をうながした。
14歳の時に太極殿で仰ぎ見た朱雀帝のやさしい表情は、今も、女御の心の中にあたたかな残像として灯っている。
〇 別るとて 遥かに言ひし 一言も
かへりてものは 今ぞ悲しき
お別れの時に仰せられた一言が、都にもどった今、かえって悲しく思われます
【入内の儀式】のさい、源氏は朱雀院をはばかって秋好の親代わりとしてではなく、大勢の出席者のうちの一人という体裁で臨んだ。
女院/藤壺尼宮は、9歳も年上の新しい妃を迎えることになったと聞いて、いつになく緊張している冷泉帝に言葉をかけた。
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