日本の浄土式庭園
「浄土庭園」は、それまでの「寝殿造り庭園」をベースに、
池・島・橋・阿弥陀堂などを配置して極楽浄土を地上に現出した庭
浄瑠璃寺庭園
真言律宗 京都府木津川市加茂町
毛越寺/もうつうじ庭園
天台宗 岩手県西磐井郡平泉町 世界遺産
平等院庭園 世界遺産
特定の宗派に属していない仏教寺院 京都・宇治市
9世紀末、光源氏のモデルの一人とされる源融が営んだ別荘が宇多天皇にわたり、その孫・源重信を経て長徳4(998)年、藤原道長の別荘「宇治殿」となった。
道長は万寿4(1027)年に没し、その子・頼通は永承7(1052)年、宇治殿を「寺院」に改めた。
これが平等院の始まりである。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
使者を遣わすと、数日後、よろこび勇んで帰ってきた。
「十六日前に、女のお子様が無事にお産まれになったそうです」
久しくなかったわが子の誕生。
しかも、待ちに待った娘。
源氏の喜びは一通りではない。
「どうして、都で出産させなかったのか」
今さらながら、後悔した。
かつて、高麗から来ていた優れた占星術師が予言していた。
「お子さまは三人。帝と后がそろってお産まれになられます。
もっとも身分の低いお子は、太政大臣となって位人臣を極められましょう」
須磨へ下ってからの源氏は、わびしい生活が長引くなかで、「占い」と「現実」があまりにもかけ離れているので思い出すこともなかった。
しかし、いまや源氏は内大臣であり、しかも明石に娘が生まれたという。
「占い」が的中する可能性がゼロではなくなった。
亡き正妻・葵の上との間に生まれた夕霧は、出世コースの童殿上をしている。
このまま、順調にいけばーー-。
義母・藤壺尼宮との不義の子は、いろんな曲折をへて、すでに帝位(冷泉帝)に即いている。
墓場までもっていかねばならない「秘密」ではあるが、とにかく「占い」は的中した。
そして、明石の君が産んだばかりの初めての娘。
ただ、この娘が「后」になることは絶望的にむずかしい。
当時の身分社会においては、(受領)地方官の娘である明石の君の娘が、「后(中宮・皇后)」になることはありえなかった。
入内することさえ、きわめて困難である。
大臣以上の娘の娘でないと「女御」にはなれず、「女御」でないと「后」にはなれない。
「更衣」の息子である源氏は、身をもって知らされている。
そこで、娘を、「女御」として入内させるために、源氏は一計を案じることになる。
もし占星術師の「占い」が正しければ、夕霧はいずれ「太政大臣」となり、娘は「后」になるはずだ。
「それにしても、将来「后」になるほどの人が辺鄙な片田舎で産まれたことは気の毒であり恐れ多いことだ。できるだけ早く都へ迎えよう」
源氏はさっそく、東の院の修理と増築を急がせた。
源氏物語の男君たち/日本放送出版協会
両手を広げて清らかな空気を思いっきり吸い込みたくなる浄土系の庭園と、次にくる竜安寺石庭などのピーンと空気の
張りつめた禅宗系の庭園とはみごとに好対照