【須磨界隈の史跡】
綱敷(つなしき)天満宮
菅原道真は大宰府に左遷された際、風波をさけて須磨へ上陸した
松風村雨堂
在原行平が須磨にわび住まいした際、村長の娘、もしほとこふじの姉妹に出会い、それぞれ松風、村雨と名付けて愛した
関守稲荷神社
須磨の関(摂津の関)跡 海陸を兼ねた関
源兼昌(かねまさ)の歌碑がある
〇 淡路島 かよふ千鳥の なく声に
幾夜ねざめぬ 須磨の関守 百人一首
淡路島から渡ってくる千鳥の鳴き声に、須磨の関守は幾夜目を覚ましたことだろう
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
居合わせた人々の歌の披瀝が終わったころ、東の空の山の端からたいへん明るく優美な月が昇ってきた。
「そういえば、今夜は十五夜であった」
源氏は、宮中での管弦の遊びを懐かしく思い出した。
「都でも、姫君たちが名月を眺めながら物思いに耽っておられることだろう」
「二千里の外故人の心」(にせんりのほかこじんのこころ)
遠方にいる知人・友人を懐かしく思う気持ち
源氏が白居易(白楽天)の『白氏文集』の一節を口ずさむと、懐旧の情に駆られてか、従者たちの両の目から涙があふれた。
義兄の朱雀帝と、いつになく打ち解けて昔話などをした夜のこと。
帝が、故・桐壺院の身のこなしとあまりにも似ているので驚いたものである。
「恩賜御衣今此在」(おんしのぎょいは今ここにある)
源氏は、菅原道真の漢詩の一節を吟じながら、自分の部屋に入っていった。
菅公が漢詩(九月十日)に記しているように、源氏も、朱雀帝からいただいた御衣はいつも手元に置いている。
一方、都では、源氏がいなくなった月日に比例するかのように、帝をはじめ多くの人々が源氏を懐かしく思い出すことが多くなっていた。
殊に東宮(皇太子)は、ほかの誰よりも源氏を懐かしがって、時にはひっそりと涙を流している。
乳母たち、なかんずく王命婦(おうみょうぶ)は、そんな東宮を見るにつけて心を痛めた。
*王命婦は、東宮が源氏と藤壺のあいだの子であることを知っている
入道の宮(藤壺)は宮中における東宮の立場が心配でならないが、こともあろうに、後見人の源氏は須磨へ下っている。
源氏とは腹違いの兄弟である親王たちや親しい上達部(かんだちめ/上流貴族)らは、はじめのうちは漢詩文の交換など、源氏と手紙のやりとりをしていた。
源氏物語(2巻組・英文・サイデンステッカー訳)―
The Tale of Genji/チャールズ・イ・タトル出版
¥5,940
Amazon.co.jp
X-JAPAN THE LAST LIVE 完全版 コレクターズBOX (初回限定版) [DVD]/ジェネオン・ユニバーサル
¥12,960
Amazon.co.jp
木村拓哉がほかのメンバーとジャニー喜多川社長のあいだをとりもって謝罪させたのだそうな。安倍政権下の息苦しい世の中の空気を象徴している。
はたして、このまま覆水は盆に返るのか。中居正広ら4人
の表情は。木村に対して内心どう思ってる?
↧
須磨⑯恩賜の御衣
↧