桐壷帝譲位後の系図
光源氏 紫の上 東宮(春宮) 藤壷 兵部卿宮(ひょうぶきょうのみや) 継母 左大臣 夕霧 弘徽殿太后 右大臣
....光源氏と惟光(これみつ)
2008年 たけふ菊人形展:「源氏物語絵巻」から
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
とりわけ、源氏がちかく都を離れると聞いていらい、不安と寂しさにかられている紫の上が、日々、目に見えて憔悴してゆく様子が不憫でならない。
ほんの2~3日会わないだけでも寂しくてたまらないのに、須磨下りは何年と何日間と期限のある退去ではない。
いつ戻れるか、分からない。
そもそも、その日がくるのかどうかすら予測がつかない。
永遠の別れになるかも知れないのだ。
身寄りはあっても、いまの紫の上には、源氏だけが頼りなのである。
小心者の父・兵部卿宮は、源氏が官位を剥奪された時分から、右大臣をはばかって、娘に手紙の返事すら寄越さなくなった。
以前から、紫の上につらく当たっていた継母は、源氏の零落を喜んでいると聞く。
いっそのこと、紫の上の願いを聞き入れて須磨へ連れてゆこうかとの考えもよぎるが、やはりそれはありえないこと。
いたいけな少女が、海から吹き付ける波風のほかに訪れる人もない寒村で、どうやって暮らせるというのか。
源氏は、紫の上と自分に言い聞かせた。
「必ず戻ってきます。その日を楽しみに待っていてください」
翌日、左大臣邸に離京の挨拶に赴いた。
左大臣とままならない世の中を嘆いていると、まだ幼い夕霧がやってきた。
・夕霧 源氏と正妻・葵上の息子
久しぶりに父親と会えたことがよほどうれしいのか、源氏の膝に乗ったり、ふたりのまわりを無邪気にはしゃぎ回ったりしている。
中宮時代の藤壷
源氏の「初恋の人」にして「理想の女性」
北山の故・桐壷院のお墓に詣でる途中、藤壷の庵を訪ねた。
出家したことで男と女の関係性が昇華したという思いからだろうか、意外なほど心安く迎え入れてくれた。
宮中でも、わだかまりなく接してくれていたら、どれほどうれしかったことか。
東宮の後見人でもある源氏が都を離れることが心配でならないようだ。
・東宮(とうぐう 皇太子) 源氏と藤壷の不義の子。のちの冷泉帝
「どうか、ご無事でいてください」
他にもゆかりのある人々に別れを告げ、惟光や義清ら心を許したほんの七、八人ほどの従者とともに、ひそかに須磨への舟に乗り込んだ。
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まず顔ぶれに違和感がある。日・中・韓「首脳会談」ならば、中国は李克強首相ではなくトップの習近平主席だろう。
李克強ならば、日本は麻生太郎副総理。
どちらにしろ、この顔ぶれでは、日・中・韓の宥和は程遠い。
エピソードをひとつ。韓国の朴槿恵大統領は李克強を公式訪問とみなして「夕食会」を開いたが、安倍晋三首相からの「昼食会」の申し出を拒否。
英・独・仏にかぎらず、各国首脳は毎年のように北京を訪れている一方、国際会議でもない限りめったに来日しない。
「地球儀俯瞰外交」とやらで世界各国を飛びまわっている安倍外交の、残念だけれど、これが現実。
エルトン・ジョンが故ダイアナ妃に捧げた追悼曲「Candle In The Wind(Goodbye Englands Rose)」を覚えていますか。
これはマリリン・モンローに捧げた原曲です。
こちらがエルトン・ジョン本人によるリメイク版
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須磨①離京の挨拶
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