朝顔の姫君 右大臣 弘徽殿大后 故桐壺院 故桐壺更衣
京都御所秋季一般公開
・期間 平成27年10月30日(金) ~ 11月3日(火・祝)
・入門時間 午前9時(開門) ~ 午後3時30分(閉門)
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宮廷貴族のなかには、桐壺帝を中国唐代の玄宗(げんそう)に、桐壺更衣を楊貴妃(ようきひ)に見立てて、「今のままでは、国が乱れる」と本気で心配する者たちが少なからずいた。
しかし、互いに、「だれかが、猫の首に鈴を付けるだろう」と探り合っているうちに、桐壺更衣は心労が重なり体調を崩して、源氏か3歳の夏、わずか23歳で亡くなってしまった。
帝は、平凡な長兄(のちの朱雀帝)より、何事においても格段に優れている次兄の源氏を可愛がった。
弘徽殿女御は、当時の社会通念上ありえないことだったが、ひとつの疑念がわいていた。
「帝はまさか、自分の産んだ皇子をさしおいて、身分の低い桐壺更衣の皇子(光源氏)を東宮にするつもりでは---」
*当時、東宮は原則として、母親の出自で決まった
そのころの、桐壺更衣に対する憎悪と敵愾心はいまも消えることなく、息子の源氏に向かっている。
右大臣が、弘徽殿大后に告げた。
「この懐紙の文字は、源氏の君のご筆跡です。
六の君との関わりはこれで二度目ですが、一度目は人品の良さもあって、
「六の君の婿殿に、おなりくださいませんでしょうか」
と申し出ました。
ところが、まったく取り合わず、失敬な態度をお取りになった、
それゆえ、不満でしたが、六の君を「女御」にするのを諦めて、「女官」にしたのてす。
・女御 帝の妻(中宮と更衣の間) ・女官(にょかん) 後宮に仕える役人
葵祭 (賀茂祭)
毎年5月12日、京都御所~下鴨神社~上賀茂神社へ平安絵巻さながらの優雅な行列がねり歩く
それなのに、またしても、このような事があるとは情けない。
しかも、源氏の君は、斎院(朝顔の姫君)とも手紙のやりとりをしておられるとか」
・斎院 (賀茂斎王or賀茂斎院とも)
下鴨神社・上賀茂神社に巫女として奉仕した未婚の内親王or女王
父親よりもさらに気性の激しい大后の怒りは、すさまじい。
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京都三大祭 ・葵祭(5月) ・祇園祭(7月) ・時代祭(10月)
紫宸殿(ししんでん/正面の建物)の後ろに、「藤壺」や「桐壺」、「弘徽殿」などのある後宮が広がっています。
一昨年、桐壺更衣が弘徽殿女御たちにひどい仕打ちを受けた「現場」を見ておこうと出かけたのですが、無駄足でした。
後宮の一般公開は不定期で、数年に一度だそうです。
宮内庁の職員に、「後宮が次に一般公開されるのは、いつですか」と尋ねると、「今のところ、未定です」とのこと。
知らないところで知らない人たちがすごい仕事(研究)を続けているものですね。
安倍政権は今回の内閣改造で、「一億総白痴化」や戦時体制下の「一億総動員」を連想させる「1億総活躍社会」
という気持ちの悪い看板を持ちだしてきました