透垣の一形態
「今度は、もっと近い所で立ち聞きさせておくれ」
ほかに約束している所があるのだろうか、源氏は忍び足で帰ろうとしている。
命婦が、からかった。
「桐壺帝が事あるごとに、『光は、生真面目すぎて心配だ』とおっしゃっているのが本当におかしゅうございます。このような忍び歩きのお姿をぜひ一度、帝に御覧にいれたいものです」
源氏は引き返して来て、にやりとした。
「そなたには言われたくない。これを好色な振る舞いとしたら、どこかの色好み女の多情ぶりを何といおうか。宮中で、もちきりだぞ」
正面切って好色女呼ばわりされるのはさすがに恥ずかしいが、まんざら身に覚えのないことではないので、命婦はひとことも言い返せない。
源氏と命婦は、乳兄弟である。
男同士の乳兄弟は主君と第一の家臣になるが、男女の乳兄弟はなんでも遠慮なく言い合える仲になったのだろうか。
それとも、源氏と命婦は一風変わった乳兄弟なのか。
いずれにしろ、乳兄弟は、実の兄弟姉妹よりも絆が深いとされていた。
ちなみに日本史上に名高い乳兄弟には、平知盛(とももり)と平家長(いえなが)がいる。
ふたりは、『平家物語』屈指の名場面である壇ノ浦の戦いにおいて、「見るべきほどの事をば見つ。いまはただ自害せん」とつぶやいて、死ぬ時はともに同じ場所でというかねてからの約束どおり、同時に壇ノ浦の激流に身をひるがえした。
事実上、平家滅亡の象徴である。
帰りぎわ、源氏が末摘花を垣間見ようと寝殿そばの透垣(すいがい)に立ち寄ると、ひとりの男が物蔭にたたずんでいた。
「あそこに誰かいる。あの好き者はだれだろうか」
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