河原左大臣・源融(822~895) 嵯峨天皇の12男。 光源氏のモデルのひとり。 … … 『源氏物語』の中で、源融(とおる)ゆかりの故地が数多く源氏の土地や建物に擬せられている。
百人一首
陸奥の 忍ぶもぢずり 誰ゆゑに
乱れそめにし 我ならなくに
夕顔ほど、男運には恵まれたが薄幸の人生を終えた女は珍しい。
当代ナンバーワンの源氏と№.2の頭中将に真剣に愛された。
だが、№.2の正妻(四の君)に脅されて巷に隠れ住むことを余儀なくされ、挙げ句の果ては№.1の愛人(六条御息所)によって命を奪われてしまった。
女流作家の手になるからか、女の戦いが凄まじい。
紫式部は、よくもこんな劇的な「女の一生」を思いついたものだと感心する。
子細は忘れたが、数日前の天声人語(朝日新聞)が、「さまざまなパターンの恋愛を描き分けた『源氏物語』は、大学入試として出題するには難しい」旨のことを書いていた。
もっとも、受験生はこの頃の源氏よりも年上である。
それはともかく、恋愛体験が豊富だったとは思えない紫式部がなぜ、世界的にも傑出した「愛の文学」といわれる『源氏物語』を書けたのか、私はずっと不思議に思っている。
実体験の反映も中にはあるだろうが、わずかだろう。
紫式部が仕えた中宮彰子のサロンなどで、おしゃべり好きな女房たちの噂話を聞いて、それらの話を作家の非凡な想像力によって膨らませたとしか考えられない。
源氏は、きのう参内せず二条院にもいなかった理由を帝の使者である頭中将に説明する。
「乳母(めのと)が、5月頃から重い病に罹りました。快癒を願って出家し身を清めたからでしょうか、一時、少し良くなったようです。しかし、この頃、また弱ってしまいました」
「それは、いけません」
「『もう1度、見舞ってほしい』と言ってきたので、幼い頃から世話になっている乳母ですし、薄情には思われたくないので顔を見に行ってきました」
「どうでしたか」
「思いもしなかったことですが、乳母ではなく、病に臥せていたその家の下女がにわかに亡くなってしまいました」
「それは、大変でしたね」
「宮中は神事の多い時期でもあり、穢れた身で内裏へ参るのを遠慮しました」
「そうでしたか」
「しかも今朝から風邪を引いたのか、気分が悪くて頭が割れるように痛い」
「そういう事でしたら、そのように帝に申し上げましょう。昨夜も、管弦の遊びの折に心配されていました。それでは、失礼します」
帰りかけた頭中将が、戻ってきた。
「どんな穢れに遭われたのですか。先ほどのお話は、どうも本当とは思えませんね」
源氏は内心、ギクッとした。
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