初代囲碁名人本因坊算砂
天正10年(1582)6月1日、織田信長一行、本能寺に到着。
本能寺は、ただの寺院ではなかった。
「本能寺は、四方に掻き上げの堀を設け、その内側に土塁を築き、木戸を構えて出入りを警戒するという城砦の造りで、内に仏殿以下、客殿その他の殿舎を建て、厩舎までも設けてあるといった有様だったが、まだ塀は塗らないであった」。
信長の身近に仕えた太田牛一の著書『信長公記』によると、本能寺は、城砦造りだった。
茶器好きの信長は三大茶器の2つを所有していたが、残りの1つをもつ博多の豪商で茶人の島井宗室を招待している。
お互い自慢のコレクションを、見せ合おうというわけだ。
また信長は大量の名物茶器を持ち込んでおり、公家や高僧たち40名ほどが権力者への御機嫌うかがいを兼ねて、本能寺を訪れた。
夜には、囲碁名人の本因坊算砂が顔を出して、深夜まで腕前を披露、信長を感じ入らせる。
余談だが、信長が算砂を「そちはまことの名人なり」と称賛したことから、各分野で名人という言葉が使われ始めたという。
算砂らが帰ったあと、信長と森蘭丸ら小姓、護衛約100名が本能寺に宿泊した。
一方、6月2日早朝、羽柴秀吉の毛利征伐の支援を命ぜられて出陣した明智光秀は、桂川にさしかかろうとしていた。
信長公記 (上) (教育社新書―原本現代訳)/太田 牛一
¥1,050
Amazon.co.jp
ヒカルの囲碁入門/石倉 昇
¥1,260
Amazon.co.jp
茶と美 (講談社学術文庫)/柳 宗悦
¥1,313
Amazon.co.jp
↧
夢まぼろしの如く ⑲信長と光秀と本能寺
↧