連歌会が催された威徳院
天正10年(1582)5月21日、坂本城を出陣した明智光秀は愛宕神社に参詣した。
対毛利との戦勝祈願のためという触れ込みだ。
その夜は神社に泊まって、連歌会を開いた。
光秀の有名な発句。
○時は今 雨が下知る 五月哉
「時」は土岐(明智氏は土岐氏の支流)、「雨が下」は天が下で天下、「知る」は治める。
すなわち、「土岐氏(光秀)が今こそ、天下を治める五月です」という意味を込めたとも考えられている。
発句を受けた連歌界の第一人者・里村紹巴の句。
○花落つる、流れの末を せきとめて
これも解釈は一つだけではないが、
「花落つる」は栄華を誇っている織田信長が滅びる、「流れの末を せきとめて」は信長の勢いを止めて。
こう書いてくると、光秀の謀反は突発的なものではなく、事前に何人かの人々は知っていて、信長に代わって光秀が天下人になることを応援していたように思われる。
光秀はこれらの歌を愛宕神社に納めた。
5月29日、信長は中国地方を目指して、わずかな供回りとともに安土城を出発した。
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夢まぼろしの如く ⑱信長と光秀と連歌会
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