光秀の居城 坂本城址
安土城における徳川家康の饗応役を解かれた明智光秀は、坂本城で待機していた。
天正10年(1582)5月21日、織田信長から光秀に正式な出陣命令がくだる。
その内容は、光秀や斉藤利三ら明智家重臣たちを愕然とさせるものであった。
「丹波と山城、坂本などの領地を召し上げ、代わりに因幡と石見を切り取り次第に与える。以後、近江と丹波からの年貢の徴収を禁じる。また、豊臣秀吉の指揮下で中国攻めに加わるよう」などというものだ。
因幡と石見は、光秀が手塩にかけて治めてきた畿内から遠く、しかも両国とも毛利領である。
年貢の徴収が出来なかったら、これからどうやって家来とその家族の生活を守ればいいのだ。
ともに譜代の家臣ではない光秀と秀吉は、いわば実力だけで今の地位を築いてきたライバル同士だ。
織田家の家臣で城持ち大名になったのは、光秀が一番早い。
そういう誇りもある。
今まで信長から受けてきた数々の仕打ちは、光秀が自分だけの胸のうちに納めれば済むことだった。
だが、今度の出陣命令の内容は意味合いがまったく違う。
明智家の当主である光秀ひとりの問題ではすまない。
すべての家臣と、彼らの家族に及ぶ。
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夢まぼろしの如く ⑰信長と光秀と出陣命令
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