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Channel: 吉備路残照△古代ロマン
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平家物語の群像 建礼門院⑲父祖の善悪は子孫に及ぶ

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$吉備路残照△古代ロマン-建礼門院  建礼門院徳子


平家方のどんなに高貴な女房も御簾の中まですきま風が入ってくる屋敷に住み、そうでない身分の女房は粗末な家で塵に埋もれて暮らしていた。

枕を並べていた夫は、幽明境を異にするか、はるか遠隔の地に流されてしまった。

一緒に暮らしていた親と子は、離散した。

これらはひとえに、平清盛が上は天皇を恐れず下は万民を顧みず、死刑や流罪、官職の解任や停止などを誰はばかることなく行使した報いである。

「父祖の善悪は必ず子孫に及ぶ」ということは、どうやら間違いないようだ。


建礼門院は寂光院で空しく年月を送っていたが、ある日、ひどく体調を崩して病の床に臥せった。

日頃から覚悟していたことではある。

阿弥陀仏の御手に掛けた五色の糸の片方を持って、念仏を唱えた。

「南無西方極楽世界の教主・阿弥陀如来 本願を過(あやま)たず必ず極楽へ導きたまえ」

左右に控えている大納言典侍(だいなごんのすけ:平重衡の妻 建礼門院の兄嫁にあたる)と、
阿波内侍(あわのないし:清盛の一代前の権力者 藤原信西の娘)が、今生の名残りを惜しんで泣いている。

念仏の声が次第にか細くなると、西の空に紫雲が棚引いた。

芳香が部屋に満ち、空から音楽が聞こえてきた。

建久2年(1191)2月中旬、建礼門院は息を引きとる。


建礼門院が中宮(皇后)の位に就いてから片時も離れず仕えていた大納言典侍阿波内侍は、臨終のときは身も世もなく泣き叫び、そして崩れた。

ふたりとも身を寄せる身寄りも場所もなくなっていたが、折につけ平家一門の供養の仏事を営んだことは感慨深く哀れであり、健気であった。

ともに、立派に極楽浄土に往生を遂げたという。
              
             (平家物語の群像 完)

★次回から、『前田敦子AKBグルーブの群像(4~5名)』にしたかったのですが、材料不足を否めないので他にします。



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