時政は2、3度くり返し読んだ。
「小松三位中将維盛卿の嫡子・六代御前を捜しだしたと聞いている。しかしながら、高雄の文覚房がしばらく六代殿を預かりたいと願い出ている。疑うことなく、預けるように。
…… …… 北条四郎時政殿へ 頼朝」
最後に、判が押してある。
「たしかに、承知致しました」
斎藤五宗貞と斎藤六宗光はいうまでもなく、北条家の者たちも喜びの涙をこぼしている。
そこへ、晴れやかな表情をした文覚房が現れた。
「時政殿、六代御前をお預かりする」
そして、ここに至った頼朝との経緯を語りはじめた。
「頼朝殿とまわりの御家人たちは当初、『六代殿の父・維盛卿は、富士川の戦いをはじめとして、度々源平のいくさに大将軍として指揮を執られた。たとえ文覚坊の願いであろうと、認めるわけにはいかない』と拒んだ。
それゆえ、頼朝殿に、『文覚の頼みを退けて、どうして神仏のご加護を得ることができましょうや』などと悪態をついたが、それでもなお、頼朝殿は、『いや、だめだ』と言い残して、那須野に狩りに出かけてしまった。
それで、私も狩り場まで出向いて、言葉を尽くして説得、ようやく六代御前の命を預かりました。
貴殿はさぞかし、私がなかなか戻って来ないのでヤキモキしていたことでしょう。そういう事情だったのです」
「文覚房が約束された20日間はとうに過ぎております。頼朝殿のお許しがなかったのだと思っておりました。
六代殿をお連れしていて、よかった。もう少し御坊の到着が遅かったら、私は過ちを犯すところでした。
…… ……
しばらくお供したいのですが、頼朝殿に色々報告しなければなりません。ここでお別れします」
時政は、六代と文覚に挨拶して鎌倉へ下っていった。
京都へ戻る者たちと、鎌倉へ向かう者たちとの間にあたたかな親愛の情が通い合っていた。
六代を預かった文覚は、上洛途中、尾張の熱田で年の暮れを迎える。
源平争乱 群雄ビジュアル百科/ポプラ社
¥1,838
Amazon.co.jp
南海トラフ巨大地震に備える/アトラス出版
¥1,500
Amazon.co.jp
人智をこえる巨大地震や津波が襲ってきた時、どう振る舞うか。ジタバタするか、静かに呼吸を整えるか。
東海沖~九州沖の南海トラフで巨大地震が発生した場合、激しい揺れや大津波により経済的な被害額は最悪で220兆3千億円に上るとの試算を18日、内閣府の作業部会が発表した。
これは国家予算の2年分を上回り、東日本大震災の約13倍、阪神大震災の約23倍に相当するという。
これらの途方もない数字が、想像しがたい災害の規模を示唆しているのではないだろうか。