時忠一族の墓 石川県珠洲市
平時忠が検非違使庁の別当(長官)だったころ、強盗や海賊などを捕まえると、容赦なく腕を切り落として追放した。
そのために、「悪別当」と呼ばれていた。
平家一門が、讃岐の屋島に本拠地を構えていた時のこと。
都から、安徳天皇と三種の神器を都へ返還するようにとの院宣を届けに来た花方の顔に、「浪方」という焼き印をしたのも、時忠である。
後白河法皇は、寵愛していた亡き建春門院の兄なので、時忠に会いたいという気持ちもあったが、彼には悪行が多く法皇の怒りも相当なものだったから、結局会わずじまいであった。
また義経は、時忠の娘をめとっている関係で、時忠は義父にあたる。
それで、なんとか義父を助けようと手を打ったが、どうにもならず、ついに時忠は能登(石川県)に流されることになった。
16歳になる次男の時家は流罪から洩れて、伯父の時光のところにいたが、昨日から時忠の屋敷に来ていて、母の帥典侍(そちのすけ)とともに、父の袖にすがって名残を惜しんだ。
時忠は、「今日が最後の別れになるだろうか。そんなことはあるまい」と気丈に口にしたが、言葉とは裏腹にもはやこれまでと観念していたのだろう、心の中は悲しみに閉ざされていた。
年齢を重ねた今、仲睦ましい妻子と別れ、住み慣れた都を遠く離れて、名前だけは聞いたことのある土地へはるばる下って行く。
その道すがら、「あれは志賀の唐崎、これは真野の入江、堅田の浦」などと歌枕を口にしながら、涙ぐんで一首詠んだ。
帰りこん ことは堅田に 引く網の
目にもたまらぬ わが涙かな
帰ってくることは難しい。堅田の浦で漁師が引く網の目に水がたまらないように、私の目からも涙がこぼれ落ちるよ
昨日は西海の波の上を漂いながら源氏との怨憎会苦を味わい、今日は北国の雪の下で妻子との愛別離苦の辛さに都の雲を思った。
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