5月23日、義経は鎌倉へ到着するが、ひと足早く梶原景時が着いて頼朝に告げ口していた。
「今や、日本国中の人々が殿に従っております。ただ、弟君の義経殿が最後の敵となるように思われます。なぜかと申しますと、一事が万事ですが、弟君がいわれました」
『一の谷は、この義経が上の山から落とさなかったら東西の木戸口は破れなかっただろう。だから、生け捕りも死に捕りもまず義経に見せるべきだ』
『何の働きもなかった兄・範頼殿に先に見せる法があるか。平重衡殿を速やかに引き渡して頂きたい。こちらから引き取りに参ろうか』
平重衡③腹を切らんとし給ふ所に
あわや戦いになろうとしていたのを、私と土肥実平が心を合わせて、重衡殿を実平のもとに預け置いたので争いは鎮まったのです」
頼朝は頷いて、「義経が今日ここへ来るだろう。各自、用意するように」と言うと、関東八か国の大名・小名が駆けつけ、たちどころに数千騎が集まった。
頼朝は軍兵を七重八重に据え、その中心に陣どった。
「義経はすばしっこい男だから、畳の下から這い出てくるかも知れない。だが、そうはさせん」
頼朝は金洗沢(かねあらいざわ)に関を設け、宗盛・清宗父子の身柄を預かり、そこから義経だけを腰越へ追い返した。
義経には、理由が分からなかった。
「一体、どういうことなのだ。去年の春、木曽義仲を追討して、今年の春は平家を滅ぼし、八咫鏡と八尺瓊曲玉を朝廷に返還し、その上、平家一門の棟梁の宗盛殿を生け捕りにして、鎌倉まで下ってきたのだ」
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今日は関西弁によるお勉強のようです。