桶狭間古戦場公園
永禄2年(1559)、信長26歳。
尾張一国を平定するより前に上洛して、13代将軍・足利義輝に尾張の統一者として、親しく拝謁した。
都からはるかに遠い信州の川中島では、竜虎とでもいうべき上杉謙信と武田信玄が雌雄を決していた頃である。
若い信長は早くも、将軍と天皇の住む権力と権威の中心・京都を視野におさめて思考し、行動していたのだ。
天下を取る。
乱世の掟である弱肉強食の論理の行きつく先はそこにしかない。
行きつけば、世は収まる。
信長のすべての感性と知性と行動力が、その一点に向かってギリギリと絞られていく。
永禄3年(1560)、天下に号令しようと大軍を擁して西上する今川義元を田楽狭間に奇襲して滅ぼした信長は、一躍名を上げ、天下取りへの第一歩を踏み出した。
そして、合戦時には今川家の部将であった徳川家康と同盟を結び、東国は家康に任せた。
東へ備える必要のなくなった信長は、全力で道三亡き後の美濃・斎藤家をうかがう。
長い歳月にわたる苦闘の末に斎藤龍興を降し、本拠地を尾張の清洲城から、京都により近い美濃の稲葉山城に移した。
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