豊臣秀吉vs明智光秀
三日天下より少し長い11日後、光秀は、「お館様の仇を討つ!」という名分のある秀吉によって難なく葬られる。
このことは、光秀が本能寺に攻め込む前に覇権を掌握するまでのプランを欠いていたことと、天下人の器量ではなかったことを意味するものであろう。
決行に及ぶ前、謀反人になる自分にどれだけの人数がついてくるか計算はしていたのだろうか。
親しい武将らにさえ、根回しはしていなかった。
信長との長い葛藤の末に賭けに出た光秀は、頼りにしていた細川幽斎ら長年の友の支持を得られず、悲惨な末路を辿らねばならなかった。
足利義昭は悲願の将軍職には就いたが、本質的な旧体制破壊者である信長の武力を借りてのこと。
信長にしてみれば、自らが天下に号令するため一時的に大義名分が欲しかっただけだ。
もともと室町幕府を存続させる気はなかった。
織田信長の場合は、油断の一語に尽きる。
人を人として尊重する気持ちさえあればなどといえば、「何をたわけが!道学者のようなことを」と一喝されそうだ。
歴史は、人々の誇りや野心や失意など少しも意に介することなく、それらをに一口に呑み込んで流れていく。
義昭が、信長が、光秀が、中世的なるものとともに滅び去ったあとの土壌に、秀吉の華やかな桃山文化が花開いた。
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▼人間模様(義昭・信長・光秀) 歴史は流れゆくのみ
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