本能寺
天正10年6月2日、光秀は、信長に対する拒否感と将来への不安からやや衝動的に主殺しを決行する。
そのころ、羽柴秀吉は備中高松で毛利方の清水宗治と戦っていた。
その秀吉の毛利攻めに助勢するよう命じられて西国に向かっていた自らの軍馬のきびすを返し、信長が森蘭丸などわずかな供の者と宿泊している本能寺へ向かったのである。
光秀が考え抜いたあげくの敵は毛利ではなく、信長だったのだろう。
織田家の有力な諸将は遠国に出払っていて、京都は軍事的空白状態だ。
謹厳実直といわれる明智光秀が、足利義昭に続いてまたもや主君に銃口を向けたのは歴史の皮肉というべきか。。
ただ、信長に代わって天下人になろうという野望があったとはとても思えない。
有能な人材を見出し、活用するうえに卓抜な才を示した信長は、小なりとはいえ生まれついての大名の子ゆえか、人情の機微には疎かったようだ。
叱られても怒鳴られてもカラッと陽気に振る舞える秀吉と、ただでさえ陰にこもりがちな光秀に対する態度とは変えてしかるへきだったろう。
家臣たちを天下取りの道具に見立て、彼らの屈折した心理を読む努力を怠った信長は、まことに手痛いシッペ返しを受けたわけだ。
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