源義経騎馬像(騎馬像では日本一の大きさ) 徳島県小松島市芝生町旗山
「よき大将軍と申すは駆くべき所をば駆け、引くべき所を引き、身を全うして敵を滅ぼすを以てこそ、
よき大将軍とはしたる候ふ。さやうに偏趣 (強情) なるをば、猪 (いのしし) 武者とてよきにはせず」
景時がややきつくたしなめると、義経が反論した。
「猪鹿 (いのしか) は知らず。敵はただ平攻めに攻めて (攻めまくって) 勝ちたるぞ、心地はよき」
ふたりの部下たちも頭に血がのぼって、あわや同士討ちかと思われたが、さすがに実力行使には至らなかった。
義経は暴風の中をわずか5艘150騎で出撃、
平家陣営を急襲して、あっという間に屋島を落とした。
瀬戸内海をはさんで源氏軍と対峙していると思い込んでいる平家の面々は、海上の見張りは怠らないが、
後ろの山から義経勢が襲ってくるとは夢にも思っていない。
敵の虚をつくところが、義経が天才と呼ばれるゆえんか。
敵が油断している所を、つまり相手が思ってもいない時に、しかも予想さえしていなかった方面から、信じられないスピードで突撃する。
一の谷の戦いにおける、鵯越の逆落としと似たような戦法だ。
二位尼⑩重衡からの手紙
こうして、平家一門は木曽義仲の勢いによって都を追われ、義経の奇襲によって今にも息の根を止められようとしている。
景時の本軍140余艘が屋島に到着した時には、平家はすでに海上の船に逃れていた。
決着後に着いた景時は、六日の菖蒲 (むいかのあやめ:時機おくれで役に立たない 十日の菊) とからかわれた。
しかし、どうだろう。
逆櫓論争は、戦術的な常識論と規格外の天才性との論争であって、結果から、景時を六日の菖蒲、と揶揄するのは公平ではないような気がする。
敵方を圧倒する大軍を擁していようと、「大将の首を取られたら負け」 の世界で、その大将が真っ先に敵陣に切り込むべきではない、と凡庸なわたしなどは思う。
後世、桶狭間の戦いで今川軍は織田軍よりケタ違いの軍勢を誇っていたが、義元が討たれた時点で、敗北が決したのだ。
夢まぼろしの如く⑤天下布武
大将と個人プレーは似合わない。
だが、義経の個人プレーが平家を倒したのかも知れない。
寿永4年3月、壇ノ浦海戦の火ぶたが切られようとしていた。
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平家物語の群像 景時⑦大将と個人プレー
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