「さては、検非違使庁の役人をだまされたな」
「文覚は、観音様を深く信仰している。ほかの誰に、お願いしろというのだ」
文覚には、悪びれた様子などかけらもない。
伊勢の阿濃津から舟で下ってきたが、遠江の天龍灘でにわかに強風が吹き荒れ、大波が舟をひっくり返そうとした。
水夫や船頭たちは懸命に転覆を免れようと努めたが、もはやこれまでと観念した。
ある者は 「観世音菩薩」 の名号を唱えだし、ある者は 「南無阿弥陀仏」 と唱えはじめる。
文覚は、少しも騒がず舟底で高いびきをかいて寝ていたが、まさに舟が転覆しようとする瞬間、はね起きた。
舟首に立つと、怒涛のような荒波の彼方を睨みつけて、大声を張り上げる。
「龍王はいるか、龍王はいるか」
「どういうつもりで、大願を発した文覚が乗っている舟を沈めようとするのか。天罰を受けるぞ、龍神どもめ」
そのためかどうか、激しく荒れ狂った波風は、ほどなく静まって、無事、伊豆に着いた。
平家物語は文字通り 「物語」 であって、必ずしも 「史実」 に則ってはいない。
琵琶法師が、日本各地のあらゆる階層の人々に語って聞かせた 「お話」 である。
「本」 の場合、もし内容を理解できなかったら、分かるまで何度も読み返せる。
琵琶の弾き語りの場合、「もう一度、お願いします」 とはなかなか頼めなかっのではないだろうか。
話の流れを止めて興をそぐうえに、ほかの多くの聴き手に迷惑をかけるからだ。
それゆえ、話し手である琵琶法師としても、聴衆の反応をみながら、彼らの頭にはいりやすいように、少しずつ話の内容と構成を修正していったのではないか。
入り組んだ人間関係や細かい心理の綾などの描写はできるだけ避けて、単純明快な内容と構成にしていった。
そして、明快さを 「史実」 に優先させた。
たとえば、平清盛にまつわることはすべて 「悪」 であり、嫡男の重盛はとにかく何があっても 「善」 人である。
史実では明らかに重盛の 「悪」 い行動をも、あろうことか、無実の清盛が仕出かしたことにしている。
清盛には好い面の皮だ。
宗盛はいつも 「愚」 かであり、知盛は常に 「賢」 い。
登場人物を、「善と悪」 や 「賢と愚」 に色分けしたのは、聴衆が理解しやすいようにという、『平家』 作者の計らいではなかったか。
文覚に話を戻そう。
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