織田信長
信長と光秀はお互いの才能は認め合いながらも、野人は教養人のもっともらしい陰気な言動を嫌悪するようになり、教養人は野人の神仏をも恐れぬ所業を憎悪するようになる
伝統を重んじる光秀には、信長に命じられた比叡山焼き討ちなどは耐えられない悪行であっただろう。
しかも信長は、家臣らの面前で光秀の人格侮辱をやり、手をかけている。
しかし、これらの仕打ちは光秀個人が自分の胸に納めて、忍び難きを忍べば済むことではある。
はたして本能寺の変に及んだかどうか。
やはり、弑逆の直接のきっかけは多くの家臣や彼らの家族、もちろん自分の家族を含めて路頭に迷わせかねない命令を受けたことではないだろうか。
長い間はぐくんできた近江と丹波を召し上げられ、いまだ毛利領である岩見、因幡に移るよう命じられたのだ。
同時に、近江と丹波からの年貢の徴収を禁じられた。
いわば裸一貫で、遠い岩見と因幡に赴いて毛利勢と戦えという。
にわかには信じられない、情けのかけらもない非情な命令である。
数万に及ぶ人々を背負っている光秀は、進退窮まったに違いない。
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