重衡捕らわれの地 兵庫県神戸市須磨区1丁目
重衡は土壇場で、乳母子の盛長に裏切られた。
『平家物語』に登場する乳母子は二つのタイプに分けられる。
わが身を捨てて養君(やしないぎみ 主君)に忠節を尽くした忠義の士と、臆病風に吹かれて養君を見捨てた不忠の臣と。
最期まで養君を守り抜こうとしたあるいは行動をともにした代表的な乳母子には、木曽義仲に対する今井兼平
…… (義仲⑬さてこそ粟津のいくさはなかりけれ 参照)、
平宗盛に対する飛騨三郎左衛門景経、
平知盛に対する伊賀平内左衛門家長
…… (平知盛①見るべきほどのことは見つ 参照)らがいた。
一方、ギリギリのところでわが身かわいさに養君を裏切った乳母子には、以仁王に対する六条佐大夫宗信、そして平重衡に対する後藤兵衛盛長らがいる。
宗信や盛長は世間の非難を浴びるが、乳母子ゆえに他の家臣よりも非難の度合いが強かった。
…… ……
○三位中将馬は弱る海へさつとうち入れられけれども其処しも遠浅にて沈むべきやうもなかりければ急ぎ馬より飛んで下り上帯切り高紐外し既に腹を切らんとし給ふ所に庄四郎高家鞭鐙を合はせて馳せ来たり急ぎ馬より飛んで下り、
重衡は馬が弱ったので、海へざっと乗り込んだが遠浅で沈まない。急いで馬から飛び下りて上帯を切り高紐を外して腹を切ろうとしているところへ、高家が鞭を振るい鐙を蹴って駆けつけ、急いで馬から飛び下りて、
○正なう候ふ何処までも御供仕り候はんものをとて我が乗つたりける馬に掻き乗せ奉り鞍の前輪に締め付け奉つて我が身は乗替に乗つてぞ帰りける。
「それはなりません。私がお供します」と自分の馬に重衡を乗せ鞍の前輪に縛りつけ、自分は乗り替え馬に乗った。
○乳母子の盛長は其処をばなつく逃げ延びて後には熊野法師に尾中法橋を頼うで居たりけるが法橋死んで後後家の尼公訴訟の為に京へ上るに供して上りたりければ三位中将の乳母子にて上下多くは見知れたり。
盛長は逃げのびると、尾中法橋を頼って熊野にいた。法橋の死後、後家の尼公が訴訟のため上洛するとき供をしたが重衡の乳母子だったので、京では顔を知られていた。
○あな憎や後藤兵衛盛長が三位中将のさしも不便にし給ひつるに一所でいかにも成らずして思ひも寄らぬ後家尼公の供して上りたるよとて皆爪弾をぞしける。
憎い奴だ。盛長は重衡公にあんなに可愛がってもらっていたのに、運命を共にするでもなく自分ひとり逃げてしまい、あんな後家尼の供をして都にやって来たとみんな軽蔑した。
○盛長もさすが恥づかしうや思ひけん扇を顔にかざしけるとぞ聞えし。
盛長はさすがに恥ずかしいのか、顔に扇を翳していたそうだ。
…… 原文に忠実な訳ではありません ……
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