捕われの重衡 平家物語絵巻
平成の世では、乳母子(めのとご)という言葉はほとんど聞かれないが、古代から中世にかけての擬制的血縁関係の一つで、重要な社会システムであった。
実母に代わって貴人の子・養君(やしないぎみ)を養育する女性を乳母(めのと)といい、乳母の実子を乳母子という。
同じ母乳を飲んで育った養君と乳母子は、実の兄弟のような関係になり、主従関係としては強い相互信頼で結ばれることが多かった。
武家社会においては、乳母子は忠実な側近として養君と行動を共にしている。
乳兄弟は、「一所の契り」を結んでいるからだ。
一所の契りとは、同じ時に同じ場所で一緒に死のうと約束すること。
例えば、重衡の兄の知盛は壇ノ浦の戦いで敗北したとき、乳母子の伊賀平内左衛門家長と手に手を取って、「見るべきほどのことは見つ。今は自害せん」と達観したかのような心境で入水した。
………… (平知盛①見るべきほどのことは見つ 参照)
ところが、重衡の場合は違った。
「牡丹の花」にして「常勝将軍」が、一の谷で源義経の奇襲戦法に面食らって敗走しているとき、思いもしないことに、乳母子の後藤兵衛盛長に逃げられたのだ。
これを境として、華やかだった重衡の人生が暗転する。
…… ……
○三位中将は童子鹿毛といふ聞ゆる名馬に乗り給ひたりければ揉み伏せたる馬の容易う追つ付くべしとも見えざりければ梶原もしやと遠矢によつ引いてひやうと放つ。
重衡は童子鹿毛という評判の名馬に乗っているので、梶原は疲れ果てた馬では追いつけるとも思えず、弓を引き絞って遠矢をひゅっと放った。
○三位中将の馬の三頭を箆深に射させて弱る処に乳母子後藤兵衛盛長は我が馬召されなんとや思ひけん鞭を打つてぞ逃げたりける。
重衡の馬が尻骨あたりを深く射られて弱ったので、乳母子の盛長が自分の馬を取られてしまうかもしれないと思ってか、鞭を打って逃げてしまった。
○三位中将いかに盛長われをば捨てて何処に行くぞ年比日比さは契らざりしものをと宣へども空聞かずして鎧に付けたりける赤標どもかなぐり捨ててただ逃げにこそ逃げたりけれ。
重衡が、「盛長、おれを捨ててどこへ行く。そんな約束はしていないはずだ」と叫んだが、聞こえないふりをして鎧につけた(平家を示す)赤い印をかなぐり捨てて逃げてしまった。
…… 原文に忠実な訳ではありません ……
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平家物語の群像 平重衡②盛長はわが馬召されなんとや
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