平重衡 菊池容斎画 江戸時代
私はまだ、重衡卿(清盛の息子)と維盛卿(これもり:清盛の嫡孫 重盛の嫡男)にお目にかかったことはないが、ふたりが平家の公達の中で抜きんでて華があったのだろう。
重衡は「ぼたんの花」に例えられ、維盛は「光源氏の再来」の通り名をほしいままにした。
『建礼門院右京大夫集』によると、重衡は何かと心遣いが出来るうえに性格が明るく愛嬌もあって、宮中の女房たちにとても人気があったそうだ。
のちに運悪く仏敵の汚名を着せられるが、武将としても一流の「常勝将軍」である。
花も実もある大将軍だったようだ。
一方、維盛は嫡流ながら、父重盛亡き後は孤独の影が差し始め、武将としては「連戦連敗」である。
イケメン繋がりでいうともう一人、平家の公達ではないが、渡辺競(きおう)という「王城一の美男」(源平盛衰記)がいた。
宮尾登美子の『宮尾本 平家物語』によると、「競が都大路を歩くと、あまりの美しさに女たちは皆めまいがして倒れた」。
何とも羨ましい限りだが、渡辺競は以仁王の乱の首謀者源頼政の家来である。
以仁王と頼政が敗死した宇治平等院の戦いのさい、華のトリオが戦場で遭遇して妍を競っていたら見物だったろう。
ただ、重衡と維盛は宇治へ出陣しているが、競は赴いていないようだ。
ところで、当時の三大美女はどういう顔ぶれなんだろうか。
…… ……
○本三位中将重衡卿は生田森の副将軍にておはしけるがその日の装束には褐に白う黄なる糸を以て岩に群千鳥繍うる直垂に紫裾濃の鎧着て童子鹿毛といふ聞ゆる名馬に乗り給へり
重衡は生田森の副将軍で、その日の装束は深藍に鮮やかな黄色の糸で岩と群千鳥を刺繍した直垂に紫裾濃の鎧を着、童子鹿毛という評判の名馬に乗っていた。
○乳母子後藤兵衛盛長は滋目結の直垂に緋威の鎧着て三位中将のさしも秘蔵せられたる夜目無月毛にぞ乗せられたる
乳母子の盛長は、滋目結の直垂に緋威の鎧を着、重衡が大切にしていた夜目無月毛に乗っていた。
○主従二騎助け舟に乗らんとて細道にかかつて落ち給ふ処に庄四郎高家梶原源太景季よい敵と目をかけ鞭鐙を合はせて追ひ駆け奉る。
主従二騎が助け舟に乗ろうと細い道をたどって落ちているところへ、庄四郎高家と梶原景季が、いい敵を見つけたと、鞭を振るい鐙を蹴って追いかけてきた。
○渚には助け舟共幾らもありけれども後ろより敵は追つ駆けたり乗るべき隙もなかりければ湊川苅藻川をもうち渡り蓮池を馬手に見て駒林を弓手に成し板宿須磨をもうち過ぎて西を指してぞ落ち給ふ。
渚には助け舟が何艘もあったが、後ろから敵が追いかけてくるので、乗っている暇がないため、湊川、苅藻川をも越え、蓮池を右に見て駒林を左に見て、板宿、須磨も通り過ぎ、西を目指して落ち延びられた。
…… 原文に忠実な訳ではありません ……
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