知盛幻生 前田青邨画
では、そういうファン心理とでも呼べそうな願いや同情や憧れと、平成の今も現実に存在する「落人伝説の土地」とはどういう関係にあるのだろうか。
専門知識のある方がもしこの拙文を読んで下さっていたら是非ご教示をお願いしたいところだが、取り敢えず素人の特権で素朴かつ大胆に考えてみたい。
「当事者」の方には、失礼にあたるかも知れない。
四国で指折りの観光地になっている徳島県の秘境祖谷の『教経伝説』は有名だ。
この伝説を例にとろう。
繰り返しになるが、祖谷地方の伝説によると教経は壇ノ浦で入水せず、安徳天皇と草薙の剣を伴って祖谷に落ち延びた。
名を幼名の国盛に改め、平家再興を図ったものの安徳が9歳で崩じ平家再興を断念、20年後に没したという。
国盛の末裔は阿佐家を称し、平家の赤旗を今に伝えている。
…… ……
○この馬主の別れを惜しみつつ暫しは船をも離れやらず沖の方へぞ泳ぎけるが次第に遠くなりければ空しき渚に泳ぎ帰り足立つほどにもなりしかばなほ船の方を顧みて二三度までこそ嘶きけれ。
馬は知盛との別れを惜しんで、しばらく船から離れようとせず沖の方へ泳いでいた。浜辺から遠くなると戻っていったが、脚が立つ辺りで、船の方を振り向いて2、3度いなないた。
○その後陸に上がつて休み居たりけるを河越小太郎重房取つて院へ参らせたり。
それから陸に上がって休んでいたところを、重房が捕まえて後白河法皇に献上した。
○元もこの馬院の御秘蔵にて一の御厩に立てられたりしを一年宗盛公内大臣に成りて悦び申しのありし時下し賜はられたりしを弟中納言に預けられたりしかばあまりに秘蔵してこの馬の祈りの為にとて毎月朔日毎に泰山府君をぞ祭られける。
馬は以前、後白河が大切にしていた馬で、一の御厩で飼われていたのを、宗盛が内大臣に就いたとき、祝いとして賜った馬であった。宗盛が知盛に預けると、知盛は大切にする余り馬の諸祈願のために毎月1日に泰山府君に祈った。
○その故にや馬の命も長く主の命をも助けけるこそめでたけれ。この馬元は信濃国井上立ちにてありければ井上黒とぞ召されしか。今度は河越が取つて院へ参らせたりければ河越黒とぞ召されける。
それゆえか馬の命も長く、知盛の命まで助けるとは素晴らしい。馬は信濃国の井上産だから井上黒と呼ばれていたが、河越が院へ献上したので河越黒と呼ばれることになった。
…… 原文に忠実な訳ではありません ……
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平家物語の群像 平知盛⑦馬の命も長く主の命をも助けける
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