新中納言平知盛 「入道相国最愛の息子」
『平家物語』において、知盛は同母兄の宗盛と対比的に描写されている。
ちょうど、父の清盛が、異母兄で嫡男の重盛と二項対立的に描かれているように。
愚鈍で優柔不断な宗盛に対して、冷静でかつ決断力に富んだ知盛。
都落ち以降の平家を、ひとりで支えているかのようだ。
ただ、人格者重盛にとって暴君清盛がそうであったように、愚昧な宗盛が一門の総帥として決定権を握っていた。
知盛がいかに正しい意見や判断を提起しても、宗盛は弟の意見と判断を斥け、いつも平家が滅亡する方向に動いた。
取り返しのつかない、愚兄賢弟である。
『平家』によると、一門が20年ほどで滅亡した主因は、清盛の神仏をも怖れぬ振る舞いと宗盛の相次ぐ判断ミスにあった。
物語としての文学的効果を狙ってのことだろうが、清盛さんと宗盛さんには迷惑な話だろう。
泉下で苦笑しているか、怒っているか。
あの世に逝ったら、さっそく尋ねてみたいものだ。
後世の私たちは、どうしても『平家』が描いている人物像に引きずられて類型的にイメージしがちである。
清盛は横暴で、宗盛は暗愚だったと。
対して、重盛と知盛は、ずいぶん得している。
もともとが琵琶を弾じながらの語り物だから、おおぜいの聴衆に分かりやすいよう単純に構成したという面もあろう。
善と悪、賢と愚。
実際の知盛は有能ではあったが病弱で、先日(4/16)、京都の祇園で車を暴走させて死傷者を出した40男と同じ、てんかん持ちだった可能性が高いそうだ。
不幸を背負っていたからかどうか、知盛は「入道相国最愛の息子」だったというのも事実らしい。
もしそうであれば、清盛公、慈愛に満ちた父親である。
★「見るべきほど~自害せん」という知盛の辞世の言葉は、いとこである教経の入水を目撃したあとに発せられた。
…… ……
○新中納言、「見るべきほどのことは見つ。今は自害せん」とて、乳母子の伊賀平内左衛門家長を召して、「いかに、約束は違ふまじきか」とのたまへば、「子細にや及び候ふ」と中納言に鎧二領着せ奉り、わが身も鎧二領着て、手を取り組んで海へぞ入りにける。
「この世の何もかも見届けた。死のう」知盛は乳母子の家長を呼んで、「どうだ、約束は違えまいな」とおっしゃると、家長は「無論です」。そして知盛に鎧を二領お着せし、自分も二領の鎧を着て、手を取り合って海に没した。
…… 原文に忠実な訳ではありません ……
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